龍角散の発祥の地は美郷町ではありません。 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人

Joined September 2021
かていやくのサイトのバックナンバーに当時の会長の発言あり 龍角散は幕府の医者の処方だと グーグルの『書籍』に「藤井玄信」と入れると 秋山高志さんの著書の195ページ部分が少し見られ 岩根村(現在の茨城県) 藤井玄信(字は篤) この江戸中期の藤井玄信は、水戸藩の医者である原南陽の門人
毎回思うのですが、龍角散のように1つの町の歴史ではなく、久保田藩(秋田)の歴史になるため、秋田県と茨城県近郊、東京下町の知識がないと謎が解けないような物には手を出さない方がいいと思いますがね。
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「龍角散は秋田県が発祥」までは各地域で語られていた説ですが、この10数年で言われているような六郷出身だから、今もその地で薬草栽培しているという事実はありませんので、お気をつけください。 原型は水戸藩のもの、久保田藩(秋田)が薬草栽培していた場所は現在の秋田市ですね。
喉やられたので、龍角散をお供に歩きに行く🍬 秋田発祥、ハーブも秋田で作られてるよ😋 地元由来のものは割りと愛着あります🫶 ということで今から歩いている間はずっと舐めてます🥴 一袋無くなるかもしれん🫣 #STEPN #STEPNGO
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失礼致します。 「龍角散は秋田県が発祥」までは各地域で語られていた説ですが、この10数年で言われているような六郷出身だから、今もその地で薬草栽培しているという事実はありませんので、お気をつけください。
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リプライしたの見てますか? 実際には水戸藩に伝わる秘伝薬がルーツ。龍角散の古い資料や会報誌を見れば答えが書いてありますよ。 何処から得た情報なのかをお確かめください。
秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解。歴史を捏造しない retweeted
喉やられたので、龍角散をお供に歩きに行く🍬 秋田発祥、ハーブも秋田で作られてるよ😋 地元由来のものは割りと愛着あります🫶 ということで今から歩いている間はずっと舐めてます🥴 一袋無くなるかもしれん🫣 #STEPN #STEPNGO
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Replying to @tsuguya_crypto
失礼致します。「龍角散は秋田県が発祥」までは各地域で語られていた説ですが、この10数年で言われているような六郷出身だから、今もその地で薬草栽培しているという事実はありませんのて、お気をつけください。
毎回思うのですが、龍角散のように1つの町の歴史ではなく、久保田藩(秋田)の歴史になるため、秋田県と茨城県近郊、東京下町の知識がないと謎が解けないような物には手を出さない方がいいと思いますがね。
佐竹資料館にある本より。 1835年頃の武士の日記に、江戸で龍角散を買い求めたとあるところから来ています。 そもそも水戸光圀と水戸儒学、琴楽、医薬は密接な関係にあり、竜角と和琴とは音楽に関する用語なので、本来の「龍角散」の名前とはここから来ているとされます。
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佐竹資料館にある本より。 1835年頃の武士の日記に、江戸で龍角散を買い求めたとあるところから来ています。 そもそも水戸光圀と水戸儒学、琴楽、医薬は密接な関係にあり、竜角と和琴とは音楽に関する用語なので、本来の「龍角散」の名前とはここから来ているとされます。
龍角散のルーツは、実は水戸藩に伝わる秘伝薬です。 現在の東京下町では、約190年前には江戸で「龍角散」と名付けられた薬が売られていたという説があります。 そのため龍角散が作られていたのは、神田、或いは台東区だと言われています。
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龍角散のルーツは、実は水戸藩に伝わる秘伝薬です。 現在の東京下町では、約190年前には江戸で「龍角散」と名付けられた薬が売られていたという説があります。 そのため龍角散が作られていたのは、神田、或いは台東区だと言われています。
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東京府にあった薬種店は、当時の久保田(秋田市)にあったと言われている本店の支店。すなわち支店を開業した場所が神田となります。 繰り返しポストしていましたが、得三郎は東京における支店長のような立場だったと古い資料に書かれています。
龍角散が藩主と共に東京へ移住し、明治4年創業は東京府側の理屈でして、江戸末期には現在の秋田市と大仙市に店を持っていました。 そもそも龍角散を販売していたのは正亭治の時代よりも、もっと前とされます。 本当に龍角散と秋田県が関係あるとやりたいのであれば、もっと掘り下げましょう!
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再掲載︰不審な情報発信源を特定するためのコツは、そのポストの発信者よりも、その仲間や取り巻きを怪しめということでした。 「その先にいるのは?」 ↑なんてネタを何度もやっていましたが、これがヒントでした。
不審な情報発信源を特定するためのコツは、その発信者よりも、その仲間や取り巻きを怪しめということでした。 「その先にいるのは?」 ↑なんてネタを何度もやっていましたが、これがヒントでした。
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久しぶりにgrok 3に語りかけていたところ、また 〜の資料に〜と書いてあって、 とやりだしたものの、事実確認は出来ませんでした。 美郷町の、美郷町による、美郷町のためのAI状態でした。呆れます。
Replying to @fujiiyakuho
これをポストしたところ、龍角散について書いた本はない、ネットの情報からはスキャンしきれないようなことを言い出しました。 以後もネット上からのスキャンには苦戦していました。 grok 3にも、Google検索で「書籍」のやり方を教えたものの、拾えるのでしょうか。
Replying to @P701iD
失礼致します。玄淵の時代は台東区、正亭治の頃なると現在の龍角散ビルの近くに住んでいたと伝わります。 実際の龍角散は水戸由来の物で、水戸藩の秘伝薬を習い行ったのは江戸中期の藤井玄信と名乗った久保田藩医。 東京側でつけた2代はまだ産まれていません。 玄淵も本来、何代目かは不明です。
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歴史は多数決ではないので、少数ポストだからと言って、真実でないということはありません。
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Replying to @gh3z4qc35xjbVmn
リプライ失礼致します。 これについては正亭治が大曲の人だから、龍角散は大曲生まれという人もいますが、参勤交代があれば江戸に住む生活をしていたため、龍角散は東京下町生まれ、またはそこで作られていたと長年語られているものです。
Replying to @adbrex_
神田生まれの龍角散。神田の祭りをモチーフに使うことで、プロダクトオリジン効果も期待できますね!
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nitter.net/Aki_Yadome/status/1920… 佐竹義堯は現在の福島県出身で、久保田(秋田)藩の末期養子。佐竹の殿様は参勤交代で江戸に住んでいる。すなわち、龍角散は神田、若しくは東京下町生まれ、または作られていたというのは長年渡り語られている説です。
Replying to @adbrex_
神田生まれの龍角散。神田の祭りをモチーフに使うことで、プロダクトオリジン効果も期待できますね!
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龍角散が藩主と共に東京へ移住し、明治4年創業は東京府側の理屈でして、江戸末期には現在の秋田市と大仙市に店を持っていました。 そもそも龍角散を販売していたのは正亭治の時代よりも、もっと前とされます。 本当に龍角散と秋田県が関係あるとやりたいのであれば、もっと掘り下げましょう!
【実はソレ秋田が発祥!】日本一有名な犬「忠犬ハチ公」や“ゴホン!といえば”の「龍角散」など!各スポットの観光情報も紹介 - tabizine.jp/article/645999/
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当家は江戸中期〜後期には久保田(秋田市)から大曲(大仙市)へ移住した※と言われ、明治以降は薬剤師か登録販売者、医師免許を持っていたのは関西に行った正太郎氏です。この正太郎氏の子孫が現在の東京龍角散となります。 ※説が複数存在
Replying to @ptkr7fUM5128020
そうなんですね。医師系となりますと、六郷(美郷町)系の別れの方でしょうか? 当家は江戸中期〜後期には大曲(大仙市)にいて、明治以降は薬剤師か登録販売者、医師免許を持っていたのは関西に行った正太郎氏です。この正太郎氏の子孫が現在の東京龍角散となります。 情報をご確認ください。
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そして佐竹義堯が東京府へ移住したのは、秋田県の事典(辞典)の類ですと、明治5年となっています。 根本的に当家は武士、または藩医と言われていますので、江戸時代から現在の台東区、若しくは神田界隈に住んでいました。 美郷町が主張し、わらび座様がお芝居で演じていた町医者という事実なし。
Replying to @tabizine_twi
龍角散が藩主と共に東京へ移住し、明治4年創業は東京府側の理屈でして、江戸末期には現在の秋田市と大仙市に店を持っていました。 そもそも龍角散を販売していたのは正亭治の時代よりも、もっと前とされます。 本当に龍角散と秋田県が関係あるとやりたいのであれば、もっと掘り下げましょうね!
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