言霊



言霊其の一

「言霊と他界」ダイジェスト(川村湊 講談社学術文庫)


 本居宣長はかなりきちきちした性格な気がする。それは彼の細かな自分の墓への注文、(本居宣長 小林秀雄)でも、何となく感じることは出来る。  彼は少し強迫観念症っぽいのだが、そこがスコラ哲学みたいなコテコテした世界観(国学)を作る出発点となり、古事記の解読につながったのだろう。  一方、上田秋成(雨月物語 春雨物語などの作者)はのんべんだらりとした性格に違いない。団体行動が苦手なタイプだ。  その正反対の二人が絡んだのが「呵刈か」(がかいか、或いは、あしかるよし、“悪しかる良し”の意が含まれてる)というお話。
 「あしかるよし」上篇第二章、秋成は「古の人の言語に、ん、の音なしといふは、私の甚だしきものなり」と論難したのに対して、 宣長は「連声に随ひて自然に、ん、の音あるは、 中世以降さらにくづれたる訛音にして、本の正しき言にはあらず、そもそも自然に古今の異なければ、今の人に、ん、の音あれば、 古の人とても、ん、の音も有りむれども、それは不正な音なるが故に、古は言語に用いることなかしなり」と答えている。
 彼らは「ん」の音が「万葉、古事記」の時代にあったのか、無かったのかと争っているのだが、それは彼らの言語についての考え方の、 根本的な相違によっておこっている。
 宣長は言語思想について、“五十音神授説”を賀茂真淵から授かったらしい。五十音神授説というのは呼んで字の如く、 五十音は神から授かった、世界で一番スゴイ言葉だということだ。
 これは実は、文字の無かった日本がやむを得ず漢字を輸入してしまったが故にちょっとばかりそれをコンプレックスに感じ、 日本は「字」より「音」がスゴイ!と自画自賛してみたらしい。
 だから、賀茂真淵の「国学」のミソは、中国の漢字(表意文字)VS日本のかな(表音文字)での表音文字の優位ということだった。
 中国(外来文化)VS日本(国学)は、字VS音という対立に転化され、結果、「語」であり、 日本的なものが称揚されるというパターンになっている。
 だから、宣長が「やまとごころ」や「もののあはれ」にこだわり、 「からごころ」を排斥したのにもそこら辺に理由があるのかもしれない。
 いつらのこゑ(五十音)の秩序が、真淵、宣長にとっての「日本」そのものの原理であり、「日いづる国」を支える宇宙的な秩序の象徴だった。
 こうした思想は日本語の音韻の分類図である、五十音図の成立と無関係ではない。
 五つの母音と横に九つの子音(+母音)を配した五十音図は、「国語の音韻組織の合理的説明を下したるものであると共に一面から見れば、 宇宙の音韻そのものの合理的説明としての根本原理を示したもの」であり、「言霊信仰」のもっとも基本的で、普遍的なイデオロギーとして形成されていった。(私は四十五音までしかわからない。五十音図はア行とヤ行とワ行が変だ。ゐ、ゑ、は音は、い、え、と一緒なので抜かせば四十六音だし、ワ行には、り、があるから、計四十五音)  でも、それまで五十音図が無かったのだとしたら、己の使っている言葉の音を図にしたときピッタリ五十音だった時の驚きがわからなくも無い。
 でも後々には濁点なんかのいろんな音を増やして、それも全部「神授説」にしてしまうなんてお茶目な人も出てくるのだけれど。
 宣長にとって、この調和的な五十音の「声の秩序」を崩す「ん」の音や半濁音、促音を認めることは、五十音の原理の綻びを認めることになってしまう。(五十音図には「ん」は無い)
 今から見れば、使用されている音を認めないのは、「ら抜き言葉」に激怒するおじさんみたいなものか。でも、宣長は「不正の音韻」、皇国の五十音という、声の秩序に背反するものを激しく排撃するらしい・・・。
 で、「さすがにそれはむりだろ」といったのが上田秋成だ。
 原理、法則はそれ自体が拘束力を持つものの、自然の妙法はそれと背馳していくと主張する。秋成にとって五十音はゆるい枠みたいなもので、それ自体が音を限定し束縛するといった考えは無かった。
   要約すると宣長はスタティックすぎる言語感覚で現実にうまく対応できなかったから、秋成に小ばかにされたが、秋成は言語体系には興味が無かったから、世間的には無視されたという感じか。
 そして二人は喧嘩別れ。


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