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共感なき再分配は成立しない:ナショナリズム、世代間格差、そして経済学

 本日の話題はこちら.米欧,そして日本における福祉国家の危機についての論考です.本マガジンで繰り返し言及してきたように,再分配の基礎は共感にあります.同記事では,これを「政治共同体を共有する『国民』の同胞意識抜きには成立困難である。」と表現しています.

※同記事は有料記事なので24時間(2025/5/16 15時頃まで)読めるリンクを張っておきます.ご参考まで.

 現実の再分配政策において,仮に「国民と国民以外の差別的取り扱いを行うべきではない」という前提に立つならば……合意できる再分配水準はごく限られたものになる.

 例えば,「日本国民である自分が日本国内で陥るかもしれない」困難に対して,私たちは強く共感することができる.だからこそ,同じ日本人の事故や病気,障害による生活困窮のために税や社会保険料を徴収されることに私たちは(それなりには)合意できるわけです.
 もちろん,アフリカで飢餓に苦しむ子供に対しても私たちは大いに感情を動かされます.しかし,彼ら彼女らのために課税を行うことに政治的な合意を形成するのは実に困難です.例えば,途上国の子供のためにワクチンを……というレベルでは合意できても,途上国の貧民層のために学校とインフラを整備・運営し,生活を保障する(要は日本人への福祉のレベルを提供する)ために日本人の税金を使うことに賛成する人は少ないでしょう.これに違和感を覚えるのは私自身も同じです.途上国支援に私財を投じている篤志家の方は尊敬しますが,それよりも国内の困窮者を助けたいと思う.

ナショナリズムと中流社会

 日本国民,日本人,日本民族(大和民族)……どの表現を用いるかは政治的な立場・志向によって異なれど,「日本」抜きの再分配は極めて控えめなものにしかならない.左派の国際主義が国籍・民族による差別的な取り扱いを攻撃すればするほど,国内の再分配の基礎は切り崩されていきます.そして,世界的な再分配を強制できる地球連邦政府がない以上,それは再分配そのものの縮小に帰結します.

 これを如実に表すのが,ヨーロッパにおける福祉国家主義の停滞でしょう.多文化主義に基づいて受け容れてきた移民の増加は「同じフランスに住む仲間だから助け合わなければ」という共感を希薄化させてしまった.こうなると再分配は「俺たちの仲間ではない誰か」が「俺たちの仲間を収奪する」ための装置として認識されるようになる.その結果,安価な医療・教育機会の提供,公共インフラの利用といった再分配そのものが批判・非難の対象になってしまう.

 米国では,欧州と類似の課題に加え,富の不平等が再分配批判に拍車をかけている.所得・資産格差があまりにも大きくなると富裕層と貧困層が「同じ仲間」という認識を共有できなくなっていきます

 映画『スタンド・バイ・ミー』では将来小説家になるゴーディ(主人公・語り手),弁護士になるクリス,刑務所帰りの日雇労働者になるテディ,材木工場の労働者になるバーンが,同じ12歳の夏を過ごします.
 『SOUTH PARK』シリーズではユダヤ系弁護士の子であるカイル,生活保護受給家庭で親がアル中のケニー,元ポルノ女優(なのか?)の片親家庭で育つカートマンが同じ学校の児童として登場します.

 これらは現代ではかなり不自然な設定となってしまった.なぜならば,富裕層・知識層と貧困層では住む地域が異なるからです.同じような家に住み,同じようなTVをみて(またはCMをみて),似たような少年時代を過ごすという経験の共有が「米国民としての意識」になるわけです.元をただせば米国は移民の国です.民族的な出自による同胞意識を全国化できないからこそ,経験,人生の歩みの共有が失われると分断はより深刻なものにならざるを得ないでしょう.

そして日本の問題

 そして日本では...日本は米欧のような大規模な移民の受け容れを行ってきませんでした.その意味で日本は恵まれている.だからこそ,私は定住型の外国人労働者の受け容れには最大限慎重であるべきだと考えています.外国人労働者の受容には厳格な出入国管理,不法滞在の強力な取り締まりが必要でしょう.そして長期の定住は,現代の日本的ライフスタイル・価値観の受容を条件とすべきです.

 所得・資産の分配状況も社会的分断をもたらすレベルには達していません.ジニ係数(所得)で比較するとOECD内の中位程度の所得格差があるとされますが,上位10%富裕層の資産占有率では先進国中で最低位グループにあります.また,融通の利かない学校行政のおかげ(?)で富裕層の子供と中低位層の子供が全く異なる学校教育をうけているわけではない.

 その一方で,日本においては世代間格差が分断の元になるのではないかというのが冒頭記事での安藤馨氏の指摘です.ここで問題になるのは、民族的な同胞意識や中流的な生活の共有ではなく,「世代という単位への共感」です。ある世代を「世代として助けるべきだ」という国民的な物語といってもよい.

 戦前~戦中に若者時代をおくった世代を豊かになった世代が支えるべきだという物語は共感が集まりやすい.実際にその世代が経験した苦難は我々世代には想像もつかないものだったでしょう.さらに,昭和ひとケタ世代と昭和40年生まれでは...後者が平均的に豊かであることは明らかなわけです.

 しかし,終戦からもうすぐ80年が経とうとしています.戦時中または少なくとも戦後混乱期に物心がついていた方は高齢者の中でも少数派になりつつあります.まして,これから高齢者になっていく世代は,現役世代より「おしなべて貧しかった」と言えるような状況ではもはやないでしょう.
 さらに高齢者のなかには(現役世代以上の割合で)富裕な家庭が存在します.このなかで,高齢であること,なかでも高齢であることのみを根拠として現役世代から高齢者への分配を続けると...再分配そのものが「俺たちの仲間ではない誰か」が「俺たちの仲間を収奪する」ための装置として認識される可能性が高まります.

 現代日本の再分配制度は多くの生活困窮者を救っています.金銭的再分配にとどまらず,社会的なインフラは低所得者層の生活や将来の希望をかろうじてつなぐ重要な装置です.しかし,これらの分配は「俺たちの仲間が困っている」「まぁ助けないと寝覚めが悪い」という意識に決定的に依存しています.この基礎が世代間対立によって失われない工夫が必要です.

 これに対して,現在の高齢者への分配を批判すること自体が分断をあおっているという主張が散見されますが,同意できません.実際に現在の世代間分配は感情面だけではなく,実際の経済的得失の点においてあまりに現役世代を軽視しています.20代は所得の30%を税・社会保障費として負担させられています.これは年代別で最も高い.年代別負担率(税・社会保障費÷所得)が20代で最も高くなる国なんて聞いたこともありません.この問題を「指摘するな」という主張は,現役世代に「黙って従え」と強いるだけの話であり,対話ではなく抑圧です.

 日本の再分配システムを維持するためには現役世代から高齢世代への再分配を改革,適正化することが必要です.これは財源論としてではなく,再分配の基礎たる共感の維持という視点から必須のことなのです.

経済学と価値

 本エントリのなかで繰り返し登場する共感・物語・価値ーーこれらのタームを経済学者が語ることを奇異に感じる人もあるかもしれません.確かに,主流派経済学(以下「経済学」)の論理は価値規範からできる限り距離を置く形で構成されています.

 そしてこの価値規範フリー(特定の価値観を前提しないし,称揚しない)な論理に集中しているからこそ現代の経済学は数多くの成果をあげてきたと(私は)考えています.

 そのため,経済学で扱われる再分配問題は

・不平等が経済成長を促進するか抑制するか
・経済成長は不平等促進的か抑制的か

といったものになりがちです.特定の価値そのもの(ここでは不平等は良いことか悪いことかなど)の優劣が論じられることはまずありません.そして,これはこれで非常に重要な研究姿勢です.これからも(私は)経済学は価値フリーな研究を中心に進められるべきだと思っています.

 しかし...「経済学の論理が特定の価値意識に依存しないこと」は「経済学が価値観・価値意識に優劣がないと考えている」ことを意味しません.経済学のモデルが特定の価値意識を前提にすることを避けるのは……価値意識に強力な仮定を入れると,モデルの仮定と結論が同じものになってしまう(モデルとしての意味がなくなる)からです.つまりは,方法論としての価値観フリーなのです.

 魚屋さんが精肉を売らないのは、肉嫌いだからではありません.余談ですが私の知り合いの漁師さんはほとんど魚を食べません(笑) 経済学者が価値問題を取り扱わないのは,価値問題が意味がないと考えているからではありません.自分の担当業務ではないと考えているのです.

 なぜ経済学は「価値論争は自分の担当業務ではない」と言い切ることができるようになったのか.この役割分配から生じた誤解(経済学者の中にすら誤解している人がいる)については...次回エントリをお待ちください.今回は左派のダイバーシティ・包摂主義が再分配の基礎を切り崩しているのと同時に,経済学(者)の誤解がいかに社会に害悪をもたらし売るかについて論じたい思います.

さらに解説

ナショナリズムと再分配の基礎について 

世代間対立と再分配の危機について 

年金よりも医療・介護に注目すべき理由


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購入者のコメント

1
M!
M!

”途上国の貧民層のために学校とインフラを整備・運営し,生活を保障する(要は日本人への福祉のレベルを提供する)ために日本人の税金を使うことに賛成する人は少ないでしょう” うーん、割と賛成なんですが。日本人と同レベルとは言わないまでも、『最大多数の最大幸福』を奉ずるutilitarianとしては(どういうutilityを採用するにせよ)貧困国への再分配のほうが、効用を増す効果が大きく感じられる。

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共感なき再分配は成立しない:ナショナリズム、世代間格差、そして経済学|飯田泰之
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