80代以上
①空に太陽がある限り(にしきのあきら)昭和46年 35票
②傷だらけのローラ(西城秀樹)昭和49年 33票
②私鉄沿線(野口五郎)昭和50年 33票
④お嫁サンバ(郷ひろみ)昭和56年 30票
⑤YOUNG MAN(西城秀樹)昭和54年 28票
⑥ギンギラギンにさりげなく(近藤真彦)昭和56年 25票
⑦●男の子女の子(郷ひろみ)昭和47年 21票
⑧涙のリクエスト(チェッカーズ)昭和59年 18票
⑨●哀愁のカサブランカ(郷ひろみ)昭和57年 16票
⑩ギザギザハートの子守唄(チェッカーズ)昭和58年 15票
全体
①涙のリクエスト(チェッカーズ)昭和59年 755票
②YOUNG MAN(西城秀樹)昭和54年 686票
③傷だらけのローラ(西城秀樹)昭和49年 527票
④私鉄沿線(野口五郎)昭和50年 525票
⑤ギザギザハートの子守唄(チェッカーズ)昭和58年 523票
⑥ギンギラギンにさりげなく(近藤真彦)昭和56年 500票
⑦空に太陽がある限り(にしきのあきら)昭和46年 454票
⑧お嫁サンバ(郷ひろみ)昭和56年 437票
⑨仮面舞踏会(少年隊)昭和60年 412票
⑩学園天国(フィンガー5)昭和49年 398票
30代以下のトップは光GENJIの3枚目のシングル「パラダイス銀河」、40代は2枚目の「ガラスの十代」で、いずれも作詞・作曲は飛鳥涼さんです。昭和62年8月のデビュー曲「STAR LIGHT」も飛鳥さん作詞、チャゲ&飛鳥作曲でした。
光GENJIは大沢樹生さん、諸星和己さんら7人組で、ローラースケートを履いて踊る新しいスタイルで大人気となりました。「最後のスーパーアイドル」とも呼ばれ、昭和末期の芸能界をにぎわせました。平成7年の解散時にはテレビの歌番組でメンバー全員がローラースケートを脱いでステージ中央に置きました。
60代、70代でトップテン入りしたのが昭和51年11月に発売された清水健太郎さんの「失恋レストラン」です。作詞、作曲は自身もミュージシャンのつのだひろさん。清水さんは独特の短いヘアスタイルが「健太郎カット」と呼ばれ、当時はアイドル的な存在でした。
調査は今年10月上旬から中旬にかけて実施、男性1143人、女性724人で、年齢別では80代以上67人、70代325人、60代658人、50代495人、40代226人、30代以下96人。