「物分かりの悪い記者」として食い下がる

過ちを繰り返してはいけないと頭では分かっていましたが、常日頃から意識していたかと問われると、「はい」とは言えません。政府や東電を大本営ととらえ、発表を載せるだけの新聞に向けられた読者からの怒りの矛先は、心に突き刺さりました。

自分たちの命や暮らしに直結するだけに、事故について「本当のこと」を知りたいという読者の欲求は強く、このままでは新聞は信頼を失ってオワコンになると、心の底から思いました。

新聞は事実に基づく報道が生命線であり、憶測に基づく記事は載せません。ウソなど論外です。だから事実関係の裏付けは綿密に行い、結果として報じるタイミングが遅れることは仕方ありません。それでも読者からは「大本営発表の垂れ流し」と見られたのです。権力側の発表に頼らず、自分たちの力で「本当のこと」を伝える使命に忠実であろう。「3・11」を経験した世代として、腹を決めて新聞を作ってきました。

政府や東電の記者会見でも、相手に嫌がられても粘り強く質問しました。「津波は想定外」「現時点で、放射能の影響は認められない」など、通り一遍の発言を繰り返し、原発絡みの専門用語も乱発したからです。「本当のこと」を知るためには、相手からは「物分かりの悪い記者」と思われても、食い下がるしかありません。記者が気にすべきは、その場にはいない読者の思いです。「相手の土俵に乗らない」が、記者たちの合言葉でした。

2016年12月に撮影された福島第一原子力発電所
写真=iStock.com/ArtwayPics
※写真はイメージです

私たちは右でも左でもない

「本当のこと」を伝えると同時に、新聞の「顔」である1面トップの「主役」を権力の側から民の側に切り替えました。大本営と思われている権力が発信する情報を、問題意識もないまま1面に置くことができないからです。これを機に憲法の3原則の一つである「国民主権」を体現する新聞を目指しました。

新聞各社の報道姿勢、言論を比較する時に「右か左か」でよく論じられますが、私は権力の側に立つか、人々の側に立つかの違いだと思っています。

第3章は安倍晋三首相の下でこの国の「かたち」が変質した時代の権力監視がテーマです。タレントのタモリさんが22年12月末のテレビ番組に出演した時、来年はどんな年になるかと問われて、「新しい戦前」と答えています。番組出演の2週間ほど前に、「敵基地攻撃能力」の保有などを明記した「安保関連3文書」が閣議決定されており、関連性を感じますが、私は安保法制が成立した15年9月19日から「新しい戦前」は始まったと本書に記しました。