IIH 前書きと序文
ヘルメース主義への秘儀参入
魔術理論と実践の教授過程
フランツ バードン著
Part 1 理論篇
オッティ ヴォタヴォヴァによる前書き
真理と真正の認識を求めるあらゆる人々が何年も、場合によっては一生をかけて信頼できる訓練の技法を探しているのは疑いない事実です。この高貴な熱烈な願いから、多くの人は方々からたくさんの本を集めていますが、それらには多くの実際の実践は欠けています。どれ一つとして探究者は集めた本から意味をなすものを得られず、熱烈に求める目的は曖昧な遠くに消えていきます。高く評価された教授のあとに与えられた技法を熱意と勤勉とともに実践しても、何の結果も出せないのです。それらに加え、誰一人としてこの道が彼の場合に正しいかどうかの質問に答えることができません。
今、神の摂理は堅く霊性開発の道と方法を求めるこれら全ての探究者を助ける決意をしました。この書を通じて、神の摂理に特別な仕事として選ばれた秘儀参入者によって、普遍的技法は人類に与えられました。
誇張無しに、これらの完全な魔術技法が公で得られることはかつて一度もなかったと言えます。
オッティ ヴォタヴォヴァ (*1)
序文
誰にせよ、努力することなく簡単に名誉と栄光、富、力、敵の殲滅のレシピ集がこの書の中にあると信じる者は、失望とともに書を置くことになるとまず最初に警告する。
これまで数えきれない宗教や宗派は、「魔術」という表現を、黒魔術、魔女術、邪悪な力による陰謀以外に理解していない。それゆえ、多くの人が「魔術」と聞いたら恐怖に震えるのも故無しとはいえない。大道芸人、呪術師、詐欺師はこの言葉と関連して語られ、この環境の中では魔術知識は常にやや否定的に見られているのも驚くことではない。
だが古代においては、MAGUSは至高の達人と見做されていた。興味深いことかもしれないが、実際問題、魔術(magic)という言葉は、ここから来ている。所謂妖術師たちは、秘儀伝授を受けていないが、利己的な目的により嘘と詐欺を行うことで、部分的に愚かで部分的に真理を知る個人、あるいは集団である。真の魔術師は常にそのような実践を排するだろう。
実際、魔術は神聖な科学であり、非常に正しい意味において、知識すべての総体である。なぜなら、天の法則を知り利用する方法を教えるからだ。魔術と神秘学には名前以外は何の違いも無い。真の秘儀伝授は、いずれも同じ基底で進められ、同じ法則に従い、あれこれの信条によって与えられた名前とは無関係である。宇宙の極の善悪、積極性と消極性、光と闇の法則に従うと、それぞれの科学は善にも悪の目的にも使うことができる。例えば、ナイフは事実上、パンを切るためだけに使うこともできるが、殺人者の手に渡ると危険な武器となろう。全ては個人によるのである。この原理はオカルト学の全ての領域においても同様である。この書において、私は「魔術師」という用語をすべての私の弟子に対して選んだ。これは最も深い秘儀伝授と至高の知恵の象徴なのである。
そしてタロットという言葉は、カードゲームや占術を意味するのではなく、秘儀伝授の象徴的な書であり、偉大な秘密を象徴の形で保有していることに、多くの読者は知るだろう。この書の最初の絵では、その中から「魔術師」を紹介する。この者はエレメントのマスターで、最初のアルカナ、カバラにおけるヨド・ヘー・ヴァヴ・ヘー、テトラグラマトン (*2)の言葉にできない御名の鍵を与えるのを表している。ここにおいて我々は魔術師の秘儀伝授の門を見つけ、読者はこの絵の適用はどれだけ重要で、多様にわたるのか、容易に気づくだろう。今日におけるどの本にも、第1タロットカードの真の意味合いを、本書ほど明白に記しているものはない。この書はさらに注記させてもらうならば、自らの実践から生まれ、多くの他の人々の実践的使用のために定められた。そして私の弟子すべては最良でありもっとも適用できる体系を本書に見い出している。
だが私はこの本には、魔術あるいは神秘学の全ての問題を対処し記述しているとは、決して主張しない。もし誰にせよこの雄大な知恵について書こうとしたら、それには何十冊も必要としただろう。だがこの本は真の秘儀伝授、宇宙の法を使う最初の鍵への門だと断言できる。私は様々な本において真実の破片が見つかることを否定はしない。だが、1冊の本の中に読者が第1タロットカードの正確な説明を、これほどまでに見つけることはないだろう。
私はこの講義において、誰でも理解できるように可能な限り平明な言葉を使うように努めた。だが、すべての読者が理解できるよう平明な言葉を見つけるのは時にはとても難しかった。私はそれらの成否は読者の裁断に委ねたいと思う。特定の箇所においては、私は重要なセンテンスを強調し、読者に前のページへ戻る労を避けるために繰り返す必要もあった。
オカルト学に興味がある人々が、個人的師、あるいは指導者(グル)から秘儀伝授を受ける機会が決してなかったという不満は常にあった。
それゆえ、例外的な才能を持つ人々、ごく少数の者のみがこの至高の知識を得ることができた。ゆえに、真剣な求道者の大多数は、わずかな真珠を掴むために本の山に埋もれる必要があった。だが、ここに熱心に進歩を望み、この神聖な知恵をただの好奇心や個人的欲望を満たすために使わない人は、この書の中に秘儀伝授を与える正しい指導者を見つけることだろう。だが、どんな生まれ変わった達人、どれだけ彼が高い段階にあろうとも、弟子に対してこの本が与えるよりも多くのものを与えないだろう。正直な学徒も注意深い読者も何年も探し続けても得られなかったものを、この本の中に見つける事ができたなら、本書の目的は完全に達せられたといえる。
著者
- 最終更新:2021-04-30 19:02:54