人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

白狐に見る事例 人から白狐 白狐から人に

大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語第一巻「神界旅行の三」で自己の霊界旅行の記録として、霊界で狐霊に対して大改心をして人間界に生まれ変わったらどうだと問いかけておられます。それに対して、狐霊が人間に生まれ変わることが出来るのですかと問い返したことに対して、生まれ変わることが出来ると言っておられます。

これは通常「野狐(やこ)」と呼ばれる部類の狐霊に対しての話ですが、稲荷神の眷属とされる白狐にも同様の話が言えます。

白狐から→人間に。人間から→白狐があります。

私は摩訶不思議な体験で最初の師匠のところに行った時、最初の師匠は貴方の本守護神さんは「国常立尊」ですが、伏見稲荷山で修業されたらどうですかで、稲荷講で修業のお世話になりました。
その師匠が神主をしていた稲荷神社に一体の大きな白狐が来て、自分は滋賀県に居たが、少しこの神社に置いて欲しいと言い。その白狐が人間として在ったときのことを師匠に語ったと言われます。
【自分は江戸時代、侍の妻でした。が、主人に早く先立たれて、残された子供が4人。まだ幼少と言うことでお家の名跡が継げずにお家断絶。住まいや収入の道が断たれて幼い子供を抱えて路頭に迷っている時、稲荷の神に拾っていただき仕えることになったのです。その御陰で子供達は無事に成長しました。そのお礼と言うこともあって、死後の世界で稲荷の神様にお仕えするで、白狐になったのです」。そうした経緯を語ったそうです。

私は摩訶不思議な事件で一人の女性を知りました。その女性を見て、あれ!。この女性は白狐ではないかと感じたのです。その話を最初に行った霊能者の方に話しますと、そんな話は信じられない。だが貴方は嘘を言う方でないことは一目で解ります。不思議な体験をされたのですねと言われます。
さらにその話を最初の師匠に話ましたところ、師匠はその話は貴方は夢を見たのであって、現実にその女性はこの世には存在しません。忘れなさいと言います。しかし、現実には何度もその女性とは出会っているのです。それを、現実の話では無いと言うので、不思議に思っていました。何故、そうしたことを言われるのか聞き返したのですが、黙して答えてくれませんでした。
その話を2番目の師匠に話すと、直ぐに霊査に入り、それは白狐が人間になって出て来たのを見たのだ。これは可愛い。こんなに可愛い白狐だったら、誰でも一目で惚れるわ。自分もこれならば惚れると言います。
私が出会ったのは人ではなくて白狐だったのか?。その女性と出会っていて、白狐でないのかと感じたのは当たっていたわけです。それで最初の師匠は夢を見たと、そのことを忘れなさいと私に言ったわけです。

陰陽師として有名な「阿倍晴明」さんは、信太の森の白狐と父・安倍保名の子供とされていますが、単に伝説だと思われているわけです。

私は修業の中で、霊媒質だとその肉体を支配した何者かによって、完全に意識が支配されてその存在その物に成るという数々の事例に遭遇して来ました。一般的に見られる霊媒だと支配されている時間が短いのですが、特定の霊によって支配される肉体も存在するのです。この場合は長期間コントロールを受けてしまいます。だが、その存在が去ると、その間の記憶が自己から消えてしまうのです。それは「意識」とは、何かということを教えてくれているのです。

私は最初の師匠のお供をしていて、あれ?。もしかすると師匠も白狐と違うのではないかと感じていましたが、2番目の師匠が最初の師匠を霊査したところ、やはり白狐とのことでした。
私の母親が夢で最初の師匠が案内してくれた処に行くと、そこには白狐ばかりが居て楽しく遊んで入る。ここで一緒に暮らしませんかと誘われたが、自分とは別の世界だと思って断った。不思議な夢だったと言っておりましたが、最初の師匠は子供の時から遊び相手は白狐霊だったと言っておられたように、白狐界から人間界に転生して来た口だったようです。
そして人間として今生は稲荷神界に仕えたことによって功績を上げられて、死後は神の位に就けることを豊受神から約束されておられたわけです。

白狐は獣だから下等動物だで切り捨てる方がありますが、私が伏見稲荷山で体験したのは霊媒に入神した白狐霊は、そこに居る講員さん達に対して、【人間の分際で頭が高い】と来ました。
人は「神の姿に似せられた者」ですが、神そのものではありません。人間には2種類あります。そのことを大本教の出口王仁三郎聖師は書いておられますが、これを書くと物事を勘違いする人が続出しますので、私は言わないようにしています。知りたい方は大本教の出口王仁三郎聖師の著を読まれたならば書いてあります。ただ、言えることは人間には2種類あるが故に、上記の白狐から人間、人間から白狐があるのです。


そこに、神の位を得るまでは【輪廻転生】の道が存在して来るのです。
人間とは、人と動物の間と言われていますが、単に神に似た姿だけでは神の座には入らないのです。

これは「白狐」のみならず、「龍神」と呼ばれている「霊界の年老いた蛇霊」にも言えるのです。白狐も浄化してあげると美しい天人の姿となりますし、世に龍神と呼ばれる存在も、また浄化をすることが出来れば麗しい天人となります。

全て元を辿れば全ての魂は汚れを知らない存在であり、魂の汚れから「悪」を発生させて行ったからです。すなわち「改心や悔い改め」をすることによって、皆、元の美しき魂にと戻れるわけです。

が、そこには、「では、誰が自分が浄化してくれるのですか?」の問題もあるわけです。自分の魂の汚れを霊媒質の人に押しつけている人達も存在します。この世の中、自分は善人ですと表向きは演じても、霊媒質者に魂の汚れを押しつけていれば、見破られているのです。
一般的に言われている龍神とか白狐は神霊の眷属とされています。その神霊と呼ばれている者達を見ていかないと根本的解決には辿り着きません。それらの神霊が眷属からの脱却を図っていないからです。
それでは、やがて天帝による【神界大掃除】へと進むことになりかねません。

スピの様に、何をしていも良いのです。全て神の「愛」で許されるのです。そうした内容を信じていてると、永遠に自己の魂の汚れは取れないのです。
畜生と呼ばれるどんな動物にも「愛」はあります。この世で好き勝手をしていいのだと多寡をくくっている動物界に転出となるのです。それも神の「慈悲」です。

自己にも厳しく、他の人に厳しき者は「鬼」かも知れません。
されど、他の人に甘い言葉を囁いている人が「誠」の人ではないのです。
どんなに自分を取り繕っても、各自の【この世の閻魔(良心神)】は魂に記録をしているのです。



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