109.黄金の林檎
次回か、その次くらいで最終回――になる、予定です。(予定は未定)
それはかつて、女神たちの対立を招き、大きな戦乱の引き金となった小さな種。
己の美しさを測られることとなった女神たちにとって、それは今でも大きなわだかまりを残している。
ある時、彼らの集う宴の席で、混乱の種が投じられた。
不和と争乱の象徴となったもの、それこそが――黄金の林檎。
よりにもよって、里の全ての神々が集う場だった。
しかも酒の入っている時に。
『この黄金の林檎をこの場で最も美しく、素晴らしい女神に――貴女の信奉者より』
……等と書き添えて放り込まれては、争いにならない筈がなかった。
たちまち現場は自尊心の高い女神達による睨み合いで凍り付く。ツンドラ気候に早変わりだ。
女神達は誇り高い女ばかりであったので掴み合いこそ発生しなかったものの、嫌味と皮肉が大活躍な舌戦と心理戦を交えた牽制やら駆け引きやらで場は混沌と化した。
これがもう少し参加者を絞った集まりであれば、一番高位の女神に渡すことで無難にお茶を濁すことが出来ただろう。しかしここには、主神の妻と娘と叔母が揃っていたのである。
他の女神は高位の三女神に威圧され、いつしか宴は三つ巴の戦場へと趣を変えていた。女の戦場は、時に実際の戦場よりも恐ろしい。無心で戦っていればいずれ終わる殴り合いと違い、女の心凍る戦いは簡単に終息などしない上に、よくわからない理屈で否応なく周囲を巻き込みまくるのだから。
結局この時は公平な審査員に無理やり美女判定させることで決着を着けることになったのだが、三女神が揃って審査員の買収に走った挙句、ごり押しで美の女神が林檎をもぎ取った。林檎なだけに。
しかも下手に買収なんぞしたお陰で滅茶苦茶禍根が残ったというのだから救えない話である。
「――と、そんな曰くがあるブツが『黄金の林檎』だっつう訳だが」
「今更その林檎が欲しい、と? あれ、でもその林檎、この女神が手に入れたんですよね? 欲得ずくで強引に」
「ちょっと! 失礼な言いがかりは止してちょうだい。ただ妾がどれ程に素晴らしい女神なのか、矮小な人の子(審査員)に教えてあげただけでしょう?」
「その結果、愛憎渦巻く戦乱が下界で勃発して国一つ滅んでるんだが……」
「妾は人の望みを聞き届けただけ。その始末をどう収めるかは人の責任よ」
「成程、言い分は理解しました。つまり黄金の林檎っていうのは血塗られた怨念の果実って訳ですね。でも既に一つお持ちなのに、どうしてもう一つ欲しいんですか? この強欲女神は。――あ、もしかして経年劣化で腐りました?」
「天界の植物が腐り落ちる筈がないでしょう、この物知らずの××g――ひっ」
「おい、この駄女神が……俺の可愛い妹分が、何だって? あ゛? 化物鯛釣る生餌にすんぞ、ごるぁ」
「ひ、ひぃっやだやだいやよ近寄らないでよこの鬼畜生ぉーっ!!」
「まぁちゃん、鯛を釣るならエサはタイムシの方がおススメだよ?」
「そういう問題じゃないから、リアンカ……」
人面エビフライに素直になっていただいた結果、私達は本音を隠しておけなくなった彼女から難なく勇者様開放の条件を聞き出すことに成功していました。
その、勇者様の権利を手放す条件として提示されたモノが、『黄金の林檎』。
天界でも稀な、滅多に手に入らないソレを、女神の存在を匂わすことなく手に入れて献上すること。
それが勇者様の自由を取り戻す為の対価でした。
いや、別にそれを叶えるのは良いんですけどね?
既にお持ちなのにどうして今更そんな呪われてそうな謂れのある林檎が欲しいっていうんでしょうか。
あまりにも趣味が悪いので、純粋に気になります。
なんか聞くところによると天界の植物や食べ物は腐らないって話ですし、失くしたって訳でもないでしょうに……
……と思ったら、そのまさかだったようで。
首を傾げて不思議がる私達に、事情通の酒神様がゆるーい苦笑いで教えてくれました。
「いや、それがな? この里では超有名な裏事情っつうか暗黙の了解っていうか……まあ、そんな感じのアレなんだけどさー………………女神の争った黄金の林檎、もうないらしーんだよね」
「そうよ……あの頭でっかちの陰険筋肉女……! 戦場暮らしに明け暮れて女らしい所作の一つも出来ないくせに! 妾よりも劣る女のくせに! 妾の、妾の……ああぁぁぁあっあの筋肉女がぁぁあああああああ!!」
「うわ、どうしたんですか。女神がいきなり発狂したんですけど!?」
「駄目だ、そこに触れるなリアンカ……っ! 俺は嫌な予感しかしない。こういう時は目を逸らして見なかったことにするんだ!」
「そう言っている時点で勇者様も見て見ぬふりなんかできてませんよね!?」
「いやいや、ほらさー? 女たちが醜い争いを繰り広げた時、最後に残った三女神ってのが、そこの美の女神に奥方様に、戦女神の三つ巴で」
「戦女神、ですか? ……軍神さんの、女版?」
瞬間、私の脳裏にはスノードームに放り込んだ美少女(偽)が彷彿と……
「いや、いやいや、違うから。そっちは戦場の狂気と暴力を司る神な? 戦女神っていうのは用兵とか軍略とか、戦場の知性を司る神で……」
「戦場の狂気と暴力、ですか。……透け透けレースを装備させられて半泣きになっていた、あの神が」
「いや、ほら、あのな? いまはちょーっと過去のことは置いておこうな? ああん、もう、なんか説明がしんどくなってきたな……女神達は汚い買収合戦で勝負をつけたが、林檎を貰えなかった奥方様と戦女神には滅茶苦茶禍根が残った! そんで戦女神が凄い謀略巡らせて、裏で糸を引いて、まんまと美の女神が手に入れた黄金の林檎を再生不可能なレベルで焼失させた! 以上!」
「へえ、それはそれは……」
「ああぁぁぁあああああああっ あの女、腹が立つぅー!!」
「そんでまんまと戦女神に踊らされて、林檎を失った女がこちら」
「お前にも腹が立つのよ、この呑んべの穀潰しがぁぁあああああああ!!」
「俺が潰した穀物なんて、酒の原料にした分くらいだぜ」
女神の苛立ちは、その猛り具合を見れば否応なく察せられるというもので。
それはそれは悔しかったことでしょうねー? 戦女神様、いい仕事をしておいでです!
「女神様が林檎を失った経緯は、よくわかりました。そりゃ手元に林檎がないなんて恥ずかしくって仕方ありませんよね。だって手元にないってことは戦女神様に出し抜かれた何より如実な証拠な訳ですし」
「わかっていることを一々言葉で再確認しなくても良いのよ!」
「それとな、もう一つ」
「え、まだ何かあるんですか。酒神様」
「これは俺の嫁さん情報なんだけどな……少し前に、天界の各神族合同で大規模な『女子会』やったらしーんだわ」
「じょ、女子会……何をやってるんだ、天界は」
「そ、女子会な。主だった女神達が集まってお茶会がてら情報のやり取りをする場、らしいぜ? 美の女神は黄金の林檎を失ってから、黄金細工の林檎を『黄金の林檎』だと偽って保管してきた。けどな、美の女神の性格上、美女の証拠ともいえる黄金の林檎は本来見せびらかして自慢し倒すのが普通だ。大事に仕舞い込んで誰にも見せねえってのはおかしい。だから、他の里の女神でも聡い女神はなんとなく事情を察していた――が」
意味ありげに、顔をによっとさせる酒神様。
何やら愉快なことがあったようですね?
……そう、なんでも酒神様が話に聞いたところ。
裏事情を知らない他の神群の、割と高位な空気を読めない系女神様が。
美女の象徴として名高い『黄金の林檎』、その実物をぜひ見てみたいと――言ったそうで。
他神群の女神様は『天然』だと有名だそうですが、その発言は果たして裏に何の意図もない純粋な好奇心だったのか。それと実は黒い思惑の潜むものだったのか。
どちらにせよ、大勢の前で真っ向から話に出され、駄女神は引くに引けなくなった。
駄女神も「大事なものだから」「大切に保管していて出したくない」と何とか言い逃れようと頑張ったらしいけれど。そこですかさず同じ一族の女神様方が……特に戦女神と奥方様が便乗した。
「きっと林檎を得ることの敵わなかった妾達に気を使っているのだろう」
「もう随分と前の事ですもの。……わたくし達も、是非もう一度あの林檎を見せていただきたいわ」
もうどうにも林檎を持ってこないと話にならないという方向に追い詰められ、駄女神は実は焦っていたそうな。手元に置く分には黄金細工の林檎で心を誤魔化せても、『黄金の林檎』と『黄金で作った林檎』の違いは神々にとって明白なモノ。誤魔化しは効かない。
だからといって新たな林檎を手に入れようにも、天界でも希少な果実を手に入れられるだけの伝手も手段も……なくはないが、『自分が手に入れようとした』ことが知れては、それこそ他の女神達に攻撃の隙を曝すことになる。
内心、どうしたものかと頭を抱えつつ。
駄女神は結局現実逃避で無駄に時間を費やしていたところだった、と。
「馬鹿だなぁ……」
「うるさいわよ、小娘が!」
「人を小娘呼ばわりするくらいオトナなら、もうちょっと賢く生きてほしいものですね」
なんだか色々げんなりです。
げんなりしながらも、そういった切実な裏事情があったお陰で活路が開けました。
女神は、ちゃんと(素直になるお薬の力で)明言しましたから。
『黄金の林檎』を持ってきたら、勇者様を開放するって。
『黄金の林檎』それは黄金でありながら生きた果実でもあるという不思議な果物。
黄金を林檎の形に成型するとか、林檎に黄金を塗すとか、そういうお為ごかしは通用しない。
不思議で珍しいからこそ、『黄金の林檎』は神々にさえも有難がられる。
そんな林檎を、どうやって手に入れよう?
その算段はまだ、ついていないけれど。
「希望が見えてきましたよ、勇者様!」
「そんないい笑顔で、簡単そうに……神々にも難しいって言われただろ?」
「難しくっても無理とは言ってなかったじゃないですか。手に入れる手段が僅かでもあるのなら、そこに希望がちゃーんと道を用意してくれているものです!」
「楽観的だなぁ……けど、そうだな。不可能じゃ、ない」
希望が見えた、だからでしょう。
勇者様の目が、キラキラしてきました。
強い表情でうんと頷き、次いで申し訳なさそうにへにょっと眉を下げる。
「あれ、どうしました」
「その、済まないんだが……ここまで来てもらって、今更かもしれないが。俺一人じゃとても『林檎』は手に入れられそうにないから。だから皆にも手伝ってほしい」
「言われるまでもなくお手伝いしますよ!」
「……仕方ねぇな。俺も手伝ってやらぁ。リアンカに無駄な苦労させる気もねえ」
「せっちゃんもお手伝いいたしますのー!」
もうここまで、勇者様を助けようって来たところなんです。
改めて頭を下げる勇者様に、なんだか微笑ましい気持ちが沸き上がります。
本当に、お願いされるまでもないんですけど。
まずは林檎を手に入れて、それで下界に帰ってから纏めて「有難う」って言ってくれれば充分なのに。
「ご先祖様、そんな訳で黄金の林檎ってどこに行けば手に入るのか教えてほしいんですけど。……よく実る林檎農園とかありません?」
「農園は、ねえな。けど、『黄金の林檎』が一定量収穫できる場所なら知ってるぜ」
「え、マジですか」
私もちょっと物は試しに聞いてみただけなんですけど……
なんと、林檎収穫の当てがご先祖様にはあるようです!
早々に当たりを引いた気分で、私はちょっと目を丸くしました。
ご先祖様は、なんだか複雑そうな顔をした後、苦笑を交えて……何故か、勇者様の眼前に立ちます。
存在感たっぷりな、仁王立ちです。
下界で試合した時の記憶がそうさせるのか、勇者様ってちょっとご先祖様に苦手意識があるっぽいんですよね。目の前に立ち塞がれて、ほんの僅かに左足が後退するのを私は見逃しませんでした。
「リアンカちゃん達が天界に来てから、余計な手は出さずにずっと見てきた。で、結論なんだがな。
勇者はどうやら、リアンカにとってかけがえのない『特別』らしい。それが友情によるものか、恋愛的な意味なのか、ただの信愛なのか……その辺、『特別』の意味まではわかんなかったが。
けど、お前が酷い目に遭うと、リアンカが巻き込まれる可能性が高い。お前が一人で切り抜けられるような状態なら、そこまで影響もないが……お前だけじゃどうにもならねーって判断になると、どうしたってお前を救いあげようとリアンカが関わって来る。で、リアンカが身を張ると漏れなくバトゥーリも関わることになる。セトゥーラは……ちょっとわからないが」
多分、ご先祖様は大切なお話をしている。
それがわかる神妙なお顔に、勇者様は最初戸惑っていました。
だけど話が、自分の不憫に私達が巻き込まれる……そういう流れになってからは、思い当る節があったからでしょうか。ぐっと真面目な顔で、ご先祖様の話に聞き入っていました。
私にとっても大変身に覚えのあるお話なので、ちょっとばかり明後日の方向を眺めてみます。
ご先祖様は、一体何が言いたいんでしょうか?
勇者様との付き合いは考え直しなさい、とか?
そんな保護者みたいなことを言い出すつもりでしょうか。
林檎入手の伝手として頼りにしたい、この状況。ご先祖様の言葉を軽んじられない状況です。
でもそれが、納得のいかない言葉なら……私は、従えません。
どうかご先祖様の『言いたいこと』が、納得のいくものでありますように。
「――結論だ。お前が危険に陥ると、リアンカ達まで危険にさらされる。それは先祖として捨て置けねえな。
だからな、ライオット・ベルツ。てめぇ……俺の眷属になりやがれ」
「俺に人間を辞めろと!?」
「どういう意味だこの野郎! 既に半分以上辞めてる分際で何言ってやがる!」
「やめろ、俺はまだ人間だ……! 貴方は、もう神なのだという。その眷属になれとは……神の領域に入れという話じゃないのか」
「違う。別に神になれとは言っちゃいないさ。俺が堂々と後ろ盾になれば他の神共は手を出せねえ。だから俺の眷属に……俺の直系血筋の女と結婚して、俺の末裔に入れっつってんだよ」
どうしましょうか。
何がどうなってそうなったのか、いま説明してくれたと思うんですけどね?
なんかご先祖様がとんでもないことを言い出したので。
この場にいる、全員の思考が停止しました。
「…………………………は?」
「俺の末裔と結婚したら、お前も俺の義理の末裔だろうが。俺の庇護下にあるもんを、それも血筋に関係するものにわざわざちょっかい出そうなんて命知らずは天界にもいねーよ。いたら俺が木刀で半殺しにするから安心しろ。
という訳で、だ……ライオット・ベルツ。てめぇ、俺の末裔と結婚する気はあるか?」
「……………………………………………………は?」
「俺の末裔……リアンカと結婚するか、セトゥーラと結婚するか、今ここではっきり選べ」
ご先祖様の、子孫の感情を丸無視……いや、子孫の身の安全を案じた結果、なんでしょうけれど。それでもちょーっと展開が急すぎて誰もが正気にバイバイしちゃっている、この状況での乱暴な展開に。
いきなり重大すぎる選択を突き付けられた勇者様、ではなく。
まぁちゃんがぶち切れ。
「ちょっと待ちやがれぇぇぇええええええええっ!!」
「おー? バトちゃんはちょっと黙ってよっかー。お前が入ってくると纏まる話も纏まらねーんだよ」
そしてご先祖様に詰め寄った瞬間、ご先祖様に四肢の間接極められて無力化されました。
ご先祖様、強ぇ……。
流石は檜武人と勇名をはせたフラン・アルディーク。
だけど今はそこあんまり大事じゃない。大事じゃないけど……。
あまりに突然に、私の未来がさらりと選択肢に突っ込まれているから、でしょうか。
なんだか頭が回りません……。
え、これ、勇者様?
勇者様は、選ばないと駄目なんですか?
私とせっちゃんの意思は、というところまで頭は回りませんでした。
ただただ、勇者様がなんと答えるのか。
そこにばかり、意識が向いていた。
誰と結婚する?
a.リアンカちゃん
b.せっちゃん
c.ヨシュアン
d.まぁちゃん