100.仮の姿に欺かれたものは
乙女の姿に変えられ、声を奪われ。
軍神は眩暈がしたと思った次の瞬間には、見知らぬ場所に立っていた。
今まで周囲を取り囲んでいた者の、誰も見当たらぬ光景。
だが少し離れた場所に、生命の気配を感じた。
……前情報の通りであれば、この場には彼の『父』がいる筈である。
今の己の姿を省みる。
近づくのは自殺行為にしか思えない。
だが用心するにしても、警戒すべき相手の位置情報を正確に把握するのは重要だ。
本当にそこにいるのが、父なのか否か。
遠目に確認しようと、軍神はそろそろと動き始めた。
果たして、彼(彼女?)がそこで見たモノは――!
「(ち、父上……?)」
中央に、膝を抱えて蹲るものがいる。
両手で顔を覆い、しくしくと啜り泣くその人物は……見間違える筈もない。
主神だ。
だが軍神は、主神のあんなに惨めで哀れっぽい姿を今まで見たことも無い。
何より異様なのは、その周囲だった……
……体操座りをする主神を、取り囲むように。
円陣を組んで………………地中から這い出してきたマンドラゴラと大根がそれぞれ一本ずつペアになったものが、延々とマイムマイムを踊っていた。
その外側に、やはりマンドラゴラと青首大根が交互に手(?)を繋ぎ、更に大きな円を描いてくるくると踊っている。なんだこの異様な光景。
まるで魔界か異次元にでも迷い込んでしまったような錯覚を受けて、軍神は大きく後退った。
がさっ
その動きが周囲に茂っていた枝葉に触れ、大きく音を立てる。
「(しまっ――)」
やべぇ。
そう思った時には遅かった。
伏せられていた主神の、虚ろな瞳が。
確かにしっかりと、変わり果てた姿の己が息子を捉えていた。
あまりに姿が変わり過ぎて、それが我が子とはわからなかったのだけど。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「今頃、おとうさんと息子さんは感動の再会といったところですかねぇ」
「感動は感動でも、動いただろう『感情』の種類が惨過ぎるものしか想像できない」
「そんな、私達が残忍無慈悲な悪魔みたいな……」
「悪魔じゃないかもしれないが、充分に残忍無慈悲だからな!?」
「案を出したのは私じゃなくってりっちゃんですのに……私も止めずに便乗して楽しみましたけど」
ヨシュアンさんが描いた『野郎の思い描く一種の理想的な美少女』に姿を固定させられた軍神さんに、薄っぺらでスッケスケな踊り子さんの衣装を着せたのは、何を隠そう実は私です。
髪結いと化粧は安定のサルファでしたけどね。見事に男心をガッチリ掴んだ仕事ぶりでしたよ?
みんなで協力して一つのことを成し遂げるのって、どうしてこうも清々しい気持ちにさせてくれるのでしょうか。達成感で気分爽快です。
奥方様とまぁちゃんが、軍神さんを画伯の描いた姿に固定して。声を封じて。
私とサルファ、それからお手伝いのせっちゃんで身支度を整えさせて。
そして力技でスノードームに叩きこむ。
とっても楽しかったですよ!
再会した父子がどうなったのかまで見守れなかったのは残念ですが、悠長に留まり続ける訳にはいきませんしね。
そろそろ美女神との因縁にも決着のつけ時です。
捕獲の為の、罠を張る為。
私達は女神の訪れる確率が高いだろう、軍神さんの神殿を目指しました。
「…………なんで肩を落としているんですか、ロロイ」
「俺、今回なにもやってない……」
るんたるんたと楽し気に歩くせっちゃんとは、対照的に。
何故かうちの若竜が肩を落として歩いていました。
何かあったのかと聞いてみれば、返答はどこか拗ねたような口調で。
どうやら、主神から軍神さんまでの一連のアレコレで、これといって役に立てる場面がなかったことに対して思うトコロがあるようです。
そんなに気にする必要、ないと思うんですけど。
特に勇者様が狂った時、その精神世界では大いに活躍してくれたじゃないですか。
偶々さっきは活躍の機会が巡ってこなかっただけです。
私がそう言っても、ロロイはなんだか納得できない様子。
キッと強い眼差しで虚空を睨み、ロロイは力強く宣誓しました。
「次、何かあった時は……絶対に、俺がリャン姉の役に立ってみせる」
「ロロイ? ロロイ? そんな深刻に考えなくても良いんですよ? 特に私の役に立つかどうかはあまり重要じゃ……」
「絶対に、役に立ってみせる」
力強く言い切って、いつ来るともしれない出番の到来を思って張り切るロロイ。
だけど、意外な話。
その出番というヤツは、思ったよりも早く訪れました。
ところは、軍神さんの神殿で。
――ANGYAAAAAAAA!!
私達の前に立ち塞がる、巨大な影。
「ど、ドラゴン!?」
軍神さんのお宅の番犬を務めるのは、どうやらこのドラゴンさんのようです。
神殿の入り口を塞ぐように、巨体を持ち上げて私達を威嚇しているその様子。
大きく開けたお口には、鋭い牙がびっしり。
見たところ虫歯の一本もありません。ピカピカ綺麗。お手入れ上手ですね?
「ドラゴンだ」
「ドラゴンですね」
「ドラゴンだなぁ」
「なんでそんなほのぼの眺めていられるんだ、君ら!?」
なんでと言われましても……慣れ?
そうですね、慣れとしか言えません。
だって魔境はドラゴンの一大棲息地でもありますし、今更珍しくもないといいますか。
そもそも今、私達の隣にいるロロイとリリフの二人だって立派な真竜ですし。
だけど勇者様は、いきなりご対面することになった巨大生物を前に慌てふためいておいでで。
いきなりの事で、混乱しているんでしょうか? そんな簡単な事も理解できなくなっているようです。たぶん、一時的に。
でも魔境は様々な竜種が存在しますが……よくよく見てみると、なんだか今まで見たことの無い種類のドラゴンですね? 魔境で見たことないなんて、珍しい。希少種でしょうか、突然変異でしょうか?
赤と黒で斑に彩られ、ところどころに炎を纏った見るからに火属性な外見。
全身各所に白いトゲトゲ(角?)が生えた、なんとも邪悪そうな凶悪そうな面。
そして広げられた皮膜の翼から突き出す、剣の様に鋭利な刺……骨でしょうか、角の一種でしょうか。
「あれ、六千年くらい前に地上から姿を消した邪炎竜ってヤツじゃねーの?」
「前に図鑑で見たのとよく似ています。恐らく陛下の推測通りかと」
「へえ。あれが邪炎竜ですかー。すっかり滅んだものと思っていましたが、天上界で生き延びてたんですねぇ。属性的に天界っぽくありませんけど」
「君ら、そんなに悠長に話している場合かー!?」
あたふたとする勇者様。
私としては、勇者様が慌て過ぎだと思うんですけど……。
勇者様は焦って慌てていますけど。
でも、良く見て下さい?
「神殿を守ることを優先しているのか、あのドラゴン、一定距離以上神殿から離れようとしませんよ?」
「だから距離を置いていれば安全、とでもいうつもりか? 竜と言えば、遠隔攻撃の定番が――って言っている端から!」
勇者様が手をぶんぶん振って、ドラゴンの方を指差すので。
確認のつもりで目を向けてみれば……わあ、すっごい大口開いてますねぇ。
しかも口の奥、喉の方から鮮烈な光が……
「危ない!! ドラゴンブレスが――!」
勇者様の警告が、音の響きで私達に退避を促します。
ですが。
私達は、これといって逃げる必要を感じませんでした。
……何故なら、ね?
ざっぱぁぁぁああああああんっ
放たれた、黒い炎の塊。竜の咆哮。
でもその衝撃も威力も、ほんの僅かな火の粉ですらも。
全て、瞬時に私達と竜との間を隔てて立ちはだかった水壁に阻まれて。
水に食われ、消され、ついでとばかりに跳ね返されたのですから。
勇者様が、鳩が豆鉄砲を食ったよう顔をしました。
この結果を、勇者様だけが予測できていなかったのです。
ざしゃっ
重々しい足音を響かせて、一歩前に……竜の眼前へと進み出る。
異様に目が据わった……というか、キレてますね、アレ。
いつもよりも当社比三割増しで目つきの鋭いロロイとリリフ。
二人が怒り心頭といった顔で竜と対峙します。
人間の若者みたいな姿をしていますが、その本質は竜の姿となんら変わりません。
ええ、そうです。ロロイとリリフは竜なのです。
それも竜種の頂点とされる真竜の、若様やら姫様やらなのです。
そんな二人に、攻撃ブチかましちゃったドラゴンが一匹。……一頭?
私はよく知りませんけど、竜って上下関係どんな感じなんでしょうね。
怒りで目を爛々と輝かせ、剣呑に口端を吊り上げて。
地獄の底から響くような、低い低い声音で言いました。
「お前……リャン姉に攻撃するなんて、よくも。か弱いリャン姉が、うっかり死んだらどうしてくれる気だ?」
……あれ?
え? 怒りの論点、私だったんですか?
「眷属の分際で……」
「私達にじゃれつくなら兎も角、主様やか弱いリャン姉さんに噛み付こうとする態度は許せませんわ。リャン姉さんはね、人間なんですよ? ちょっと本気で叩いただけで死んでしまう、か弱い人間なんですよ……?」
あはははは、どうしよう。
さりげなく勇者様のこと人間の範疇から除外していませんか? リリフ?
二人とも、私がびっくりするくらいに怒ってますねー…………本当に、どうしよう。
え、あれ? こんなに怒ったところ、あまり見たことないんですけど。
えっと……この怒り、ちゃんと時間が経てば納まりますよね?
そんな無意味な心配をしてしまうくらい、二人の目はマジでした。
マジな怒り一色でした。
「身の程を弁えない三下が……今すぐ躾けてやるから、そこになおれ」
「ロロイ、私の分も残しておいてくださいね? 一人だけで憂さを晴らすのはズルいから」
「ああ、二人でヤれば問題ないだろ」
何か私がよくわからないでいる内に、妙な協議を完了させて。
次の瞬間には、二人そろって竜の姿に……本当の姿になって、邪炎竜に向かっていったのです。
……うん、邪炎竜さん、超たじたじなんですけど。
まさか天上界に、真竜の長の血統が二人もいるなんて思いもしなかったでしょうね。
いきなり眼前に現れた大きな竜二体に、邪炎竜さんの腰が引けています。
というか、尻尾巻いてるんですけど。後ろ足の間に挟み込むように、凄く巻いてるんですけど。
頑張って抵抗というか……物凄く頑張って、威嚇やらしていますけど、尻尾は正直でした。
上位種族の貴種を前に、既に気持ちで負けているのが一目で見て取れます。
その様子は何というか……弱い者いじめ、一歩手前でした。
「…………まぁ殿、止めないのか?」
「あ? なんでだよ」
「いや、なんというか……リアンカや、姫が竜の攻撃対象に入っていただろう? まぁ殿の普段の言動的に、この二人に牙を剥いた竜に何もしない、とは、思えなかったんだが……」
「あー……だってアレ、竜じゃねーか。リリフとロロイがいるだろ? 竜同士の関係やら兼ね合いやらもあるだろうし、あの二人が出るんなら俺は様子見に徹しても良いかな、と」
「……まぁ殿は、自分の手で血祭りにしないと気が済まない性質かと」
「おいこら勇者、てめぇ俺の事、血に飢えた偏執狂かなんかだと思ってねーか……?」
「しかし圧倒的……いや、一方的、だな」
勇者様が虚ろな目で見る先には、暴威を振るう竜の姿(味方)。
ただでさえ心情で負けているというのに、怒りに荒れ狂う二人を相手にしては、軍神の番竜といえども手も足も出せないようでした。
……出す出さない以前に、水の槍やら光の刺やらでぶっ刺されて拘束されてましたしね。