今は、人は死ねば天国だ!。式ですが、少し前までは人は死ねば【草場の陰(墓の下)】から見守っているで、死ねば天国等と言われてはいませんでした。何時頃から、人は死ねば天国の大安売りが始まったのか?。スピリチュアルと呼ばれるものが流行りだしてからかも知れません。
故、浅野和三郎氏はスピリチュアルという言葉は誤った弊害を生むとして、「心霊主義」に置き換えて説かれましたが、確かにスピリチュアルの言動は今や弊害を産み出しているだけです。おまけに真実をねじ曲げ始めています。
基本的に言いますと、人は死んで天国に入るには、それなりの資格が要ります。一部に、今の時代は天国界に入る人は珍しいとの論がありますが、この世で遊び呆けていて天国入りはないのです。中有界の比較的良い場所を天国と見誤っている可能性があります。
この世で好き勝手で生きていたということは、その魂はほぼ磨かれていないと見ていいわけです。自分の魂を汚し、腐らせ、潰しておいて天国の門など開くはずもないのです。だが、今のスピリチュアル系の方は魂の存在を無視しておられるようです。
この世を楽だ楽だで天国行きは、針穴に駱駝を通すようなもの
徳川家康が言ったとされる【人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし】なのです。
【蛇化した事例】
これは私が修業時代に関わったサニワの中での話です。その蛇霊自身が語ってくれたことなのですが、それが何時の時代であったのかは定かではありません。その祟られていた家の御先祖は屋根に関する工事をする親方だったそうです。
その蛇化した存在はその親方の下で住み込みで働いていた職人さんだった。ところが、現場で屋根から落ちて大怪我をしたそうです。
ところが、その親方は自分を粗末な部屋に寝かせているだけで医者にも診せようともせず、働かざる者には飯も喰わせないで、食事もろくろく与えて貰えなかった。その親方の元を出たくても歩けない体。そして、衰弱して恨みだけを残して死んだそうです。為に親方を恨んで、その子孫も許さないで祟っていると言うのです。
現代であれば保険制度が整っており、医療保険も労災保険もありますが、昔はそうした保険制度はなかったので親方にしても働かざる者には飯も食べさせないだったのでしょうが、無慈悲な人だったとは言えます。
こうした話は各種語られています。一時テレビで活動されていた陰陽師さんが関わられた事件は、相談者の御先祖が強欲な金貸しで、病人の布団を剥いでもって行くような人。そのことによって亡くなられた霊が蛇化してその家系を祟ったがありました。それも無慈悲な人だったわけです。こうした出来事は嘘ではないのです。既存の神仏界を歩いた方ならば、見聞されている話です。
ただ、こうした事例を見て解る様に、その正反対を行くとすれば誰に対しても「慈悲」を持つということが大切なわけです。それが天国にと進める道になるのです。この世に現れる事象をキチンと見ていくことが大切なのです。
そうした酷い仕打ちを受けて、恨んで蛇霊と成った方に同情は禁じ得ません。その蛇霊と化してまで祟っている存在に処罰が出来るでしょうか?。あまりにも気の毒です。どちらが悪いかとなった時、逆に無慈悲の親方だったのではないでしょうか。だが、人を恨むということは本人に落ち度が無くても蛇化の原因になってしまうのです。
その、悔しい気持ちは解ります。その怨念も解ります。だが、その為に蛇化して蛇の身に成るということは実につまらない話です。そこで、恨んでいる相手を許して元の人の体に戻りましょうと言向けするより道はないのです。本人が恨み続けている限り、蛇化から抜けきれないからです。その恨みを忘れさせることが大切なのです。
人を呪えば穴二つと言われていますが、呪った方も呪われた方も大変なことになります。
それが、例え相手から理不尽な仕打ちを受けたとしても、相手を憎まずに許してあげなさいと説く理由なのです。自分がそうした身(巳)になるからです。その意味を間違えてはいけないのです。
ところが、スピリチュアル系の方達は、何をされても「愛」で許しましょうと方向違いのことを言われるのです。その霊の気持ちや心情を察して一緒に涙してあげるのが、その頑な心の氷を溶かすのです。
神等存在しない。一人一人が創造神なのですと、創造神が解っていないスピ系の方は、「何をしても神の愛で許される」と説かれるようですが、別に神が罰しているのではないのです。自分がした行為が自分やその子孫にはね返っているのです。
目には目を、歯には歯を(正負の原則)
それがカルマです。
カルマの原則を忘れてはならないのです。カルマは個人だけの問題ではなくて、自分が生まれた家系にもカルマとして流れるのです。
しかしながら、自分がそうした仕打ちを受けたからと言って、「目には目を、歯には歯を」と仕返しをしていたならば、自分が蛇などの身に落ちてしまいます。だから、そうした仕打ちを受けたとしても、忘れてしまいなさいなのです。忘れてしまうということが、結果的に相手を許すことなのです。
醜い仕打ちを受けた気の毒な存在が恨んで落ちているのに、加害者に何をしてもいいのです。この神が醜い仕打ちをした者も許しますと言う神であれば、私はその神は本当の神ではないと言います。いくら神だと名乗っても、仕返しをしたい執着に取り憑かれている存在はその言葉を受けてはくれないのです。そんなことも解らずに言うのは神の様な顔をした獣の魂の者達でしょう。
受けた恨みを許すことが、元の世界に戻る「許可」となるのです。
魂を腐らせたり潰した存在はその魂は破砕されているにも関わらず、そうした事実に触れようとはしないスピリチュアルとは何なのでしょうか?。
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