人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

言葉の妙Ⅳ、蛇霊その1 蛇霊総論

よく霊的世界に関しまして、蛇や狐や狸霊が言われるのですが、その中で私達人間と一番深い関わりがあるのが蛇霊です。特に蛇神信仰は古くから【巳さん信仰】として、金持ちに成る為に蛇霊が盛んに祭られているわけです。どうして巳(蛇)と金は結びつくのか?。私達は財布に蛇の皮を入れると金が貯まると聞かされたものなのです。

御承知の様に、聖書では人類の祖とするアダムとイヴが蛇の囁きでエデンの園を蛇と一緒に追放されたとします。これをキリスト教では人類の原罪と呼び、イエス一人だけを神の御子と信じる者はその罪から救われるとしたわけです。
私は、この蛇の囁きでエデンの園を蛇と一緒に追放された意味は、「人に内在する良心」神を取り戻すことによってエデンの園に帰れますと説明して来ました。

ですから、この世に人として生きている存在は、全ての人に蛇霊が居ることを意味しています。その蛇霊を天に帰しているのか帰していないのかが、エデンの園(主の神の元)に戻る鍵となるのです。それが、創造神の側に住む巳(蛇)帰るの「ミカエル」と成る者なのです。

イエスは40日間もの荒野の彷徨を経て悪魔を退け、明けて「41」目にて神の御子となったとされる仕組みなのですが、どうして【41】日目なのか?。それは大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】でその意味を知ることが出来るわけです。
 

日本において、霊能者として看板を上げている方ならば、誰でも言われることがあります。
 
それは、
 【邪の道は蛇】

言葉の意味が解っておられない方は、ただ「邪(じゃ)」に『蛇(じゃ)』を掛け合わせたぐらいにしか受け取っておられないでしょう。

なお、「邪」と書いて、「よこしま」とも読みます。よこしま?。
よこしまとは、真っ直ぐの道を行かずに、間違った道に行った者
縦には行けずに、横に行った者。横道にそれることです。

スピ系の人達は蛇霊についてほとんど何も説明もされず、神は慈悲で何をしても許されて死後は天国界だ。地獄界など存在しないと説かれますが、実態はそうではないのです。
人は死ねば天国ではないのです。それは蛇霊の存在をきちんと見ておられないからなのです。

【邪の道は蛇】を言われる霊能者の方は、実際に蛇霊と深く関わられた方でしょう。人に対する恨みから蛇化して、七代に渡って子孫に祟るとか、色情因縁に蛇霊が深く関わっていることは、実践として体験して来られているはずです。怨念や執念が強いと蛇化するわけです。

お釈迦様の逸話に。【蛇霊に成った長者】の話があります。だが、この話は経典にはないようなので、あまり知っておられる方がないようです。生前は貪欲な金持ちが死後の世界で蛇霊化した話です。私は多くの方がこの話を知らないことに驚きました。人が死後に蛇霊に落ちているなど、あり得ない話だと思われているのかも知れません。

日本の狂言で演目名は知りませんが、私が子供の時に大本教みろく殿前の特設広場で観た舞台で演じられるものに、「(主役)成った。成った。ジャに成った。(脇役)何のジャに成った。(主役)当家の長者は【蛇(じゃ)】になられた。」がありました。
蛇(じゃ)と長者の者(じゃ)の言葉を掛けたものです。おそらく、お釈迦様の逸話の中の【蛇霊に成った長者】からの話でしょう。何故?。日本語は蛇と邪が掛け合わせてあるのか?。それが神の仕組みだからでしょう。
一般的に知られているのは落語の「松竹梅」で、当家の婿殿は蛇(じゃ)に成られた。なんの蛇(じゃ)に成られた。長者に成られたとめでたい話にしているのですが、蛇霊に成ることは決しておめでたい話ではないのです。

私が修業時代、サニワで蛇神と話をしたのですが、蛇神は【相談者の病気治しをして、いくばくかのお礼を貰う。御神酒を貰ってどこが悪い。皆、病気を治して貰ったと喜んでいるではないか。】と言われます。
私は病気治しをしていくばくかのお礼をいただかれた。そのことが悪いと言っているのではないのです。貴方はどうして自分の体が蛇体になっているのか?。その意味を自ら考えて下さいと言っているのです。どうして貴方は蛇の身を恥じて、脱却しようとされないのですかと言うのです。そう言ったことがあります。だが、蛇霊に落ちた方は、そこを解ってくださろうとはされないわけです。

私の最初の師匠は実践霊能者としては非常に優れた人でした。その師匠が自分の著本の中で、自分は神様は蛇や狐だと思っていると記しています。それはその師匠が非常に優れていた霊能者だったので、その師匠に見える神々は人の姿でもあり、そして蛇や狐で見えてもいたのでしょう。それは狼がくれた睫(まつげ)で語られる話です。そうしたことは幾多の霊能者の方も言われます。
私はある霊能者から、貴方は神の教えをされる方ですが、惜しむらくは、この世で神とされているほとんどは蛇霊や狐霊なのですが、その蛇霊や狐霊と語る能力を持っておられない。蛇霊や狐霊と語ることが出来る補佐役が貴方には必要です。そうでないとこの世での物事が片付かないし、人も集まらないと言われたことがあります。それは、私の師匠と同様に、この世に関わる神界はその多くが蛇霊や狐霊だとその方も言っていたのです。

蛇や狐と言うのは爬虫類の蛇や動物の狐のことを指しているのではないのです。無論、爬虫類の蛇や動物の狐の場合もありますが、基本的には【霊(ひ)止(と)】の意味合いなのです。
霊の世界では、どのようにも化相して来るのです。それは死霊だけでなく、生き霊ですら別の人に化相して出て来る場合もあるのです。その様に霊には【身変える】が起きるわけです。

では、蛇とは何なのでしょう?。

蛇の字は、虫でも無いのに虫(むし)がつきます。これは虫ではなくて、真ん中の棒が突き抜けていない。すなわち、魂の中心に立つ心棒(良心神)を【無視】した者の意なのです。
次ぎに右辺の【它】は、仏陀の「陀」にも使われますが、船の「舵」で解る様に「右左・真ん中」に進む「舵(かじ)」を意味しているのです。蛇は「舵」が真っ直ぐに取れずに右左に蛇行している者の意なのです。つまり、よこしま。道を外した者なのです。
これを単に「曲津(まがつ)」神と言ってしまいますと、曲がりくねっている者としか理解が難しくなります。

蛇とは、道理の真ん中を行けない者

道は、首(かしら)が進む方向

こうしたことを書きますと、漢字の成り立ちと違うというお叱りを受けるかも知れません。漢字の成り立ちではなくて、創造神の意図(糸)がどう言葉や漢字に織られているかを知ることなのです。ですから、大本教の出口王仁三郎聖師は、神の九十九折り、織られたものを見ないと解らないと告げておられるのです。なお、九十九折りとは、大本教神諭予告「九つ花」。九と(十)九で織るわけです。

私は改心を終えた神霊が涙してお礼を告げられて天に帰還する時、現実界の「蛇」が棒状になって「直立」するを見て来ました。その時はどうして現実界の蛇が神霊の改心で直立するのかまったく意味が解りませんでした。ただ、聖書にはモーゼとエジプトの神官とが蛇と蛇を投げ合って、どちらが棒の様に成るのか競った記述があるわけです。蛇が棒に成ることが重要なのか?。

それは、蛇霊が改心して悔い改めた時、その魂の心棒が真っ直ぐになったのです。
魂の中の良心神(心棒)の芽生えです。


悔い改めて、改心した蛇神(霊)は

麗しき天人の姿に戻って、神の園にと帰る

人は、誰しも蛇霊と共に在る

改心・悔い改めほど、素晴らしき教えは無し
曲津神(曲がりくねった)者から脱却出来る


一般的に見れば、私は言葉遊びをしている者と見られがちですが、実際に霊的世界を体験して見聞して来たことで、言葉に秘められた謎を解き明かしているのです。


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