人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

言葉の妙、ウシトラの言葉から解る数々の神の仕組み(まとめ編)

私は言霊(ことだま)と呼ばれる存在に触れた時、それまで私が持っていた神観が吹っ飛んだのですが、言霊の実相はとは何かを知っておられる霊能者や宗教家の方は今日まで若干名しかおられないようです。当然に大本教の出口王仁三郎聖師は御存知であることは、霊界物語のある記述で解りますが、西洋の宗教書や神秘家の著本を見ても、そうした記述がどこにも存在していません。
これでは、いくら聖書に始めに言葉は神と共に在ったと記述されていても、その意味が解るはずもありません。

日本は幸い「言霊の幸はふ国」と呼ばれたことでも解る様に、少数の方であっても「言霊(ことだま)」の奥義を習得されていたわけです。

何故に、神の御言(みこと)が命なのか?

日本で「命=神の御言(みこと)」としたのは、大本教霊学が初めてではないかと思いますが、探せば他にも記述があるかも知れません。私はヴェーダ典に「人の中で眠るコブラが目ざめて走り上がる時、その人は真理に目覚め」とありますが、そのコブラの目覚めを体験しても、そのことが書かれた書物に出会うまではまったくその意味が解らなかったわけです。

明治25年旧暦の節分の夜に、丹波の片田舎「綾部」住む老婆「出口なお」さんに、【ウシトラ】金神と呼ばれる神の神懸かりが起きて、発祥した宗教が戦前の大宗教「大本」でした。この「大本」はウシトラ金神国常立尊の世の大立替を宣伝したのですが、その宣伝の明治五十五年には何も起きませんでした。その後、時の政府による弾圧事件で大宗教としては瓦解したわけです。現在残る大本教は、あまり大きな組織ではありません。過去の名門性としてあるようなものです。

この大本教で説かれた「艮(ウシトラ)」の意味を探りますと、非常に「妙」なことが解ります。

まず「艮」の字は【根元】に存在します。この神は「根元の神」であると伝えています。次ぎに【退く】にもあります。現在は「退いている神」を表しています。これは霊界物語の国常立尊の御引退劇をも語ります。
さらにこの「艮」は方位を示し、この場合は「東北」なので別名「東北」金神とも言われて来ましたが、東北に隠されているのは【みちのく】なのです。
そこを単に「陸奥」で終えるのか、それより先の【未知の九】を紐解くのかとなります。未知の九は、大本教神諭予告の「九つ花」をどう紐解くかです。

そして、その「大本」から出された大本神諭には、「艮」のみならず【牛虎(うしとら)】も在るとあります。この「牛虎」は牛頭に虎パンツの【鬼】を示唆します。鬼と云うで【魂】の字となります。そこにあるのは、この「ウシトラ」で表現されている神が全「魂」の親神さんに当たるわけです。
しかしながら、出口王仁三郎聖師や大本教を口に出される方を見ていましても、どなたも「艮」は言っても「牛虎」のことは言われません。それでは【牛頭天王】のことが消えてしまいます。私は修業時代、霊的話ではあるのですが、牛頭の人を見てびっくりしたことがあります。

その大本を戦前日本の大宗教にしたのは娘婿の二代教主補の出口王仁三郎聖師の力にあるのですが、この「王仁三郎聖師」の本名は「喜三郎」でして、神はこの「喜」を「鬼」の字にしなさいと告げられのですが、本人が鬼とはあんまりじゃで「王仁(おに)」となったわけです。
この牛虎(牛頭虎パンツ)の鬼は、通常は冥界の【閻魔庁】の番卒を指すのですが、雷様は粋なお方よ臍ばっかり狙うと言いますが、この牛虎の雷様(鬼)は「七つの太鼓」を持って鳴らすと言います。どうして七つの太鼓?。それは今日までに七つの太古が存在するわけです。今の世は七度目の世ですよと教えるわけです。

それ自体は日本神話では今は神代七代目で、今は七の世ですよと説いてはありますが。元々物質世界たる三次元世界が【七(質)の世】なのです。

この大本教が発祥した綾部は、藩主が元は【鳥羽】藩の九鬼(くかみ)氏がお家騒動で摂津の三田藩と丹波の綾部藩とに分割されて、熊野本宮別当家の家柄でもある九鬼氏の九鬼神道を引き継いだのが綾部藩のお殿様の方だったわけです。
この九鬼神道では、宇宙の主宰神たる元津神を【宇志採羅(ウシトラ)】根真ともしていました。綾部の大本教が出した「ウシトラ(艮・牛虎)」金神。熊野の九鬼神道の「宇志採羅」根真。どちらも平仮名やカタカナで書けば同じ「ウシトラ」なのです。

そうしたこともあって、綾部の九鬼氏の藩邸に出入り出来たであろう大工の出口なおさん夫が、九鬼文献を盗み出して「ウシトラ」にしたのだろうという濡れ衣を着せる向きもあったようですが、出口なお開祖は文盲と呼ばれた方で難しい漢字だらけであろう九鬼文献など読めもしなかったでしょう。
大本教の出口なお開祖が住まわれていた場所は「新宮」町と言いますが、現在の大本教が神殿を構えている場所は主に「本宮」町で、他に寺号として那智山と呼ばれるお寺があるように、新宮とか本宮とか那智山で解る様に、九鬼氏が藩主として来る前から綾部は【熊野】を型模写している土地なのです。
ですから、熊野本宮別当職の家柄でもある九鬼氏が綾部藩主とし転封されたことそのものが、神の仕組みの一環とも考えられるわけです。

この「宇志採羅」の宇志は宇宙の意志ということであり、「宇志」は「牛」を意味します。また「太一」ともするのです。採羅は【羅(ラ)】を採るということです。
この「羅」は網目のようなものを意味するのですが、【死者の維新】の意味を持ちます。それは、閻魔大王の正式名は【閻羅大王】であって、閻羅大王(閻魔大王)が住む居城を「羅城」と呼び、この門をくぐれば【来世】が貰えるということで、「羅城門」のことを別名「来世門」と呼ばれたわけです。この羅城門の門番が「鬼」とされ、その鬼達を「羅卒」としたわけです。


宇志採羅の採羅(トラ)に秘められた意味は、「輪廻転生」


この「羅卒」は警察官が巡回することを「警邏」と称しますので、「邏卒」ともします。つまり、悪を取り締まる警察官のことを言っているわけです。
その悪を取り締まる警察官の邏卒(鬼)は来るなと、炒り豆をぶつけるのが【鬼は外】なのです。それでは悪はのさばります。

大本教が開教したのは明治25年の「節分」の夜なのです。そこにあるのは、本来は「鬼(魂)は内体の内、服(魂を守る服たる肉体)は外なのです。
大本教は鬼は内、福も内なのですが、九鬼藩中では「鬼は内、福は外」だったのです。

そもそも「警察」の「警」とは何でしょうか?。

警は、「言を敬う」です

そして、警察の「察は宇宙を祭る」なのです。
宇宙神の言霊を敬い祭るが、魂の勤めたる信仰なのです。
すなわち「創造神」を唯一神とすることなのです。
諸々の神々や天使と呼ばれる存在は神司の役割なのです。

で、信仰は人は言葉を仰ぎ見よ

誰が言葉に、こんな不思議な仕組みをして来たのでしょうか?
こうした言葉使いは古語ではありませんので、遙かなる昔から現代という時代の言葉使いまで見通して組み立てていた存在があることになります。

私は修業中、御神霊や優れた霊能者や神通力者と呼ばれる方が見せられる数々の奇跡を拝見して来ました。額に飾られた絵が見ている間に違う絵になるとか、人が空中に浮いたり、医学では無理なものが治癒されるとか、様々な奇跡を見て来ました。
しかし、どんなに奇跡を見せびらかす神霊であっても、ここまで言葉の仕組みは創れないでしょう。私は言葉でここまで仕組んだ神は、人類が未だ見ない創造神だと思っています。
奇跡だけならば、蛇や狐や狸や猫と呼ばれる神霊でも見せて来るからです。

がいくら言葉の説明をしても、絶対的大多数の方達は私が単に言葉遊びをしているようにしか思って貰えません。だが、大本教が説いた教え、綾部という土地の藩主であった九鬼氏を考えるならば、私が説明している内容は言葉遊びの範疇でないことは解るはずなのです。


大本教が出した「ウシトラ」から、こんな不思議な内容が読めるのです


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