この世に立替が起きると盛んに説かれていますが、立替とは、現在住む場所を更地にして引っ越しをしてからでないと立替は出来ません。
家を建てる時、そこに家が建っていたならば、その家が建ったままでは建て替えが出来ないからです。一度その建物を取り毀して更地にして、土地を整理しからでないと家は新しく建てられません。それが立替です。すると、それまでの家に住んでいた住民は、その間はどこかに引っ越しをしなければならないのです。
世に国常立尊様の手による立替が盛んに説かれていますが、立替を言うのであれば、その間の人類の引っ越し話が出て来ないとは不思議なことです。
引っ越しをしないで、そこに住んでいた家の悪くなった場所を修復するのは改修で立替とは言いません。改修ならば引っ越しをしなくても可能だからです。今回の立替は根本的立替で、道理から言えば引っ越しを伴っていなければおかしいわけです。
そもそも日本で世の立替論を出したのは大本教という宗教からなのですが、その経典である霊界物語の中には、【鏖殺(おうさつ)】という言葉が出て来ます。これは皆殺しという意味ですが、他に全員一度天に引き上げてからとなっているように、全ての人は肉体としては一度死んで、各自の魂を再度点検をして、魂の格付けを終えた後に復活する話なのです。
それは聖書における最後の審判「火の審判」が単なる裁きではなくて魂の格付けによる捌きで、その後に復活する話と一緒なわけです。
しかしながら、三次元世界に蘇生するでは話になりません。三次元世界に生きるということは、魂の修学においての世界であり、高度の次元を目指して輪廻転生を続けている魂の本義からは外れるからです。
そのことは、肉体から自分が幽体離脱したり、魂(意識)を飛ばして霊界なり神界に渡り、霊界や神界を見聞した人ならば肉体は魂を守る服で脱ぎ捨てる物とだと理解出来ますが、体験していないで頭の知識としてだけであれば、なかなか納得出来ることではないわけです。
ただ、霊界物語と聖書におけます内容で、聖書には記載されていても大本教霊界物語に記載がないことは、聖書のヨハネの黙示録の第21章には「新しい天と新しい地を見た」とあります。また、「御座います方が、私はすべてものを新たにする」とありますように、全てを「御維新(御一新)することなので、日本では立替と言われるわけです。すると、新しい天、新しい地の概念が必要となります。
私が子供の時に私に臨んだ声は、この地球と同型の別の地球号に移ると聞かされました。つまり、この地球から見る天と地ではなくて、新しい地球で新しい天と新しい地を見ることなのです。それが立替なのです。だが、現在の地球と同型の為に移行しても移行したことそのものに意識が気付かないことが起きる可能性があるわけです。
聖書で説かれる新しい天、新しい地。それが別地球であるとするならば、立替論には引っ越しが必要であり、それが起きるか起きないかは別として、肉体ではなくて魂で移行する高次元世界であることも理論的には納得となるわけです。
私が魂論からそれずに説いているのは、人は肉体が終わっても、それは「魂」の死ではなくて、私達の【意識】は死後も存在しています。すなわち、魂が住む霊界の居場所を変えるだけのことなのです。しかし、その魂が住む世界とは俗に天国と呼ばれるような世界もあれば、地獄と呼ばれる様な世界も存在していて、私達の魂はこの世の生き方で、その霊界で住む世界が違っていることなのです。そのことに対して、これまでの宗教は曲がりなりにも説いては来ましたが、最近のスピを標榜する人達の認識不足は甚だしいわけです。
本守護神、正守護神、副守護神の違いも解らずに、明らかに副守護神と思われる存在の霊の言葉を真に受けているが方が多々見られるわけです。サニワ(審神)と呼ばれるものそのものを御存知ないわけです。
私は子供時に、姿無き声から「もう一つの地球」の存在を聞かされた時、子供心にもとても信じられる話ではありませんでした。成長して大人になってから、神霊世界に修業の足を踏み入れましたが、神々が見せられる摩訶不思議な現象を見させていただいて、神の存在に関しましては何一つ疑いも持ってはいません。
だが、もう一つの地球ともなりますと、現世御利益とか病気治しという段階の話ではありません。いくら次元が違う世界の話だとしても、とてつもない話であって、創造神と呼ばれる存在は宇宙の創造に関わった神であり、神社仏閣に祭られている神仏のお力とでは比較すら出来ないわけですが、立替と言うだけで本当にそれだけの力があるのかは疑問を持っはいます。何故ならば、誰も創造神と呼ばれる神の力を見たことがないからです。
始めにして終わりの神。終わりの時で無いと、その力を見られないからです。
私は子供の時、姿無き声は、「私はこの世の幕を降ろす。そして、人類は新しい世に行く」と聞かされた時、それは何時ですかと尋ねましたところ、その質問には応えられず、「そなたには、この世の終わりの時を見せる」と答えられたのです。ですから、仮にそれが起きるとしたならば、私がこの世に生きている間となります。
本当にそうなのかと、神霊世界の修業に入った時、豊受様に「この世は終わるのですか?」と質問したところ、「あなたは立替の嵐の中を通って行かれる。人類に助かる道など無い」。とまで、言い切られたのです。だが、私の当時の師匠は、自分はその時には霊界で高見の見物をさせて貰いますと言います。この世で立替は起きても神界サイドでは起きないのかと、疑問を持って聞いていました。
私は、そんなことがあるのだろうか?。人類に助かる道は本当に無いのかと模索したのです。だが、滅びるという確証もなければ、助かるという道も見当たらないのです。
すると、豊受様がある光景を見せて下さったのです。それは、八角形の屋根を持った夢殿。その屋根の芯柱の上に立たれていて、そこから天に登る道が通じており。何の意味かと思っておりましたが、八角形の屋根は八方向の棟瓦。すなわち「米」の字型の屋根(八根)。その真ん中の芯柱に立てと言う形。それが、天(神)の世界に進む道。
私は、これならば全人類が助かる道だと、「米」教で「良心」神の教えを説きだしたのです。
無論、それだけでなく、朝鮮に残された最後の審判前に救世の為に「米」一字の教えが起きる。
大本教神諭予告、「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」。これも「米」型でみろく「369」を出す教え。
何も、一つの事例から説きだし良心神の教えではなく、数々の事柄からなのです。
ただ、私の教えは全て「理論構成」をしてありますので、そんな難しい教えは要らないと言う方達からは見向きもされない「人に内在する良心」神ではあるのです。
人に「良心」神ですとよ説いても、そんな「良心」神など別に教えて貰わなくても、良い心のことだと解っていると聞いては貰えないわけです。
良心神とは、単に良い心を説く教えではないのです。存在しないと思われている万物の創造神が仕組まれたであろう言葉の仕組みを通じて、万物の創造神様が存在しておられることを確信する為の教えなのです。
お前が説いている内容に絶対性があるかと聞かれたら、絶対性はありません。万一の為の教えなのです。99.99%まで大丈夫であったとしても、万一のことがあるかも知れないからです。
私達は昨年、想定外の東日本大震災を体験したわけです。何が起きても不思議ではないと学んだのです。
創造神は宗教が説く架空の存在ではなく、私達人類や世に出ておられる神々にもその詳細が解らないだけであって、宇宙の深層に存在するのかも知れないのです。
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