仏典においては、宇宙は「無から有を生じた」です。だが、これは【无(む)から有を生じた】なのです。
「无(む)」と「無(む)」は同じ意味とされています。同じ意味だったら、何の問題も無いじゃないかとなりますが、そこに言霊神の仕掛けが存在していたと言えるでしょう。
無は人の舞う姿から来た字で、そこには最初から有無の意義はないのです。一方、「无」は元に通じる意味があるのです。元が存在して「有」が生じるなのです。
世の大立替を予告宣伝した大本教では、出口なお開祖と出口王仁三郎聖師さんとの間で激しいやりとりがありました。それは出口なお開祖が神のコトバとは「ひらかな」や「カタカナ」で漢字否定に走られたことに対して、出口王仁三郎聖師はひらかなやカタカナは「漢字」から創られたものだと漢字の研究をされた。そのことに関して出口なお開祖を熱狂的に支持する大本教信徒の一部が、出口王仁三郎聖師を襲撃して漢字の研究書をことごとく焼く事件が起きました。
現在もなお、日本語は「ひらかなやカタカナ」で漢字を否定をされている御神霊達もあるようです。それでは、神のコトバの仕組みは解らないでしょう。もし、それを言うのであれば「言霊・音霊」と言うべきことになるのです。本来の音は文字を持たないからです。
その音たる言霊・音霊に対してコトバたる文字を振り付けているのが言霊神で在り、神の旧字の【神】はコトバを「示し申す」となるのです。この言霊神の存在は日月神示あたりから出て来たようで、神社等に鎮座されている御神霊ではありません。宇宙を司っている神達です。
私が修業に入った頃、へんな風采の御神霊に案内されて、中国で創造神とされる「磐古大神」に拝謁したことがあります。そのご案内をされた御神霊は、豊受様から神界通信として私の元に「鍾馗神」が行ったと当時の師匠から連絡がありましたが、鍾馗様だったようです。だが、何故に私が磐古大神に拝謁したのかが解らないわけです。
私の家の風呂場の前に大きな漢字と書かれた浴衣を着用された出口王仁三郎聖師霊が立たれていて、私は何事かとびっくりしたことがあります。それが、私に漢字を研究させることになりました。
私はそれまで磐古大神とは何たる神かを知らず、それを切っ掛けとして大本教霊界物語を読んだしだいです。霊界物語には中国の磐古大神から日本の国祖大神国常立尊様に神界の大政奉還と書かれていました。日本の国に常に立つ御言(みこと)は、漢字が無いと「感じ」が解らないわけです。漢字を返還(変換)です。
では、「ひらかなやカタカナ」の元となった漢字を見てみましょう。
この場合、濁音半濁音の言霊は考慮しなくてもいいわけです。
ひらかなの「ん」の漢字は「无」と解っています。カタカナの「ン」は諸説あってはっきりしません。「尓」の説もありますが「无」を言う説もあります。
私は「九つ花」の中心となる第41位の「ラ」神が、良心神になると言っている意味は、ここからでも解るかと思います。
大本教の出口王仁三郎聖師が出された第13の「ス」の神論が「須佐之男命」となるのも、言霊の仕組みからすると「須」がありますので当然なわけです。
大本教の出口なお開祖にウシトラ金神の神懸かりが起きる前、出口なお開祖は宇宙の元津神を「宇志採羅」根神とする九鬼神道の綾部藩主の九鬼氏の守護神であるところの本興稲荷に、よく参拝されていたと言われています。
そこで私も本興稲荷に参拝して、隣にある天満宮の石柱を見た時、?となってしまったのです。その石柱に彫られた文字は天満宮ではなくて「无満宮」となっていたのです。私は「天」の字と「无」の字の違いに、石の彫り師が字を間違えたのかと思ってその時は帰ったしだいです。
だが、どうにも気になるので後日本興稲荷に行って、その石柱を見ると今度は「天満宮」となっているのです。?。私が前に見た時は「无満宮」だったのです。そんなバカなです。あの時、私は見間違えたのか?。私は无満宮の文字に驚いて、何度も何度も確かめたのですから間違ったはずはありません。その時に見たのは「无」の字なのです。ここは本興稲荷なので、狐にでもやられたのかと、当時はそう思っていました。
なお本興稲荷とは熊野本宮別当家でもある綾部藩主九鬼氏の守護神で、元は綾部藩の藩邸の中に祭られていたお稲荷さんなのです。九鬼氏は綾部藩と三田藩に分けられる前は有名な鳥羽水軍の鳥羽藩でした。その鳥羽藩の時代に曹洞宗妙厳寺からお稲荷さんを勧請されているので、そのお稲荷さんだと考えられます。すると、本興稲荷の本籍は豊川稲荷さんでしょう。
无満宮
だが、私は「无」の字の意味が解らぬままに「ラ」神で「良心」神論を展開していたしだいです。
私は夢の中で自分が中国「河南省」に居る夢を見ていました。河南省?。聖書にカナンが出て来ますが、何か意味があるのかと考えても、河南省では九つ花の元となる河南省「洛水」の亀の甲羅の故事しか頭に浮かびませんでした。
前回のブログに出した真ん中が「81」の「九つ花」を考えていなかったのです。
私の意識の中に「ラ」の良心神の判定は既に終わり、「ン」に向かって走っていると出て来ても、正直なところ意味が解りませんでした。
この「九つ花」の場合、今日までの【九霊界】の図式が完全に崩れます。すなわち、これまでの霊界も終わるのです。それで全宇宙、三千世界の大立替となるのです。
これまで示した「九つ花」であれば、492 357 816の九霊界が出来たわけです。
无は「ん・ン」を意味します
宇宙は无から有を生じたです
「ん・ン」は終わりの字でトドメの意味です
それでトドメの金神の意味が解けるわけです
始めにして終わりの神を意味する時の一輪の言霊は「ん」です
で、創造神の元に行くことは「彼方の【ん】」の地で「かなん」
私が最初の師匠と2番目の師匠の元を離れ、自分はいったい誰だろうと東京の著名な霊能者の元で霊査を受けましたところ、もしかしての注釈付きでしたが、あなたは人類が未だ知らない創造神の元に人類を案内することになるかも知れませんよと不思議なことを告げられました。その時は、人類が未だ見たことが無い創造神って?。と思っていましたが、「无」の字の意味を解き終わって、神の仕組みの恐ろしさにただただ感嘆するしだいなのです。
霊能力がある方から、あなたはモーゼの後裔ですかと尋ねられる時がありますが、別にモーゼの後裔ではないのですが、人々に後悔(紅海)を渡らせて、神「ラ」の椅子(イス)を得る(エル)のイスラエルに入る作業をしていたわけです。
そして、最終章として「カナン」であり、宇宙創造神が人類の上に降臨をもちまして、人類は新しい神の御国にへと向かうわけです。
九つ花の真ん中に「81」の「无(ん・ン)」を意味する神が出て、新しい369(みろく)世の到来宣言となるわけです。
巷では、自分が創造神の現身〈うつそみ〉だと名乗っておられる霊能者の方がゴロゴロおられます。私の2番目の師匠もそうでした。確かに、そこには目を見張る霊的奇跡が存在しました。しかし、それは僅かな範囲の中では見させることが出来る奇跡であっても、その霊力は広大な範囲に及んでいません。つまり、どなたも創造神の現身(うつそみ)の名乗りにしては力不足は歪めないわけです。
私達は日本人です。日本人という地球上では1億2千数百万の民が使う日本語というコトバですが、そのコトバにここまで仕組んだ神が居られるわけです。私はそのコトバの仕組みを紐解いて来ました。この仕組みをされた神の力は測り知れない面があるわけです。
口先では何とでも言えます。だが、九つ花は神が三〇〇〇年の月日をかけたと言われる仕組みなのです。僅かな奇跡の示しと、コトバの仕組みの違いがどれほど大きいのか?。
世に出ておられる神々ですら、「九つ花」の存在が解らず、その仕組みすら紐解けておられなかったということなのです。
この仕組みを動かしておられるのは世に出ておられる神々ではなくて、宇宙の深層に坐して、人類も神々も未だよく知らぬ神なのです。
日月神示などに、このウシトラが人民に代わって天の大神様にお詫びするとあり、ウシトラ金神国常立尊様より上位の神とは誰ですかと質問を受けたことがあります。が、その天の大神のことは神々にもよく解らないわけです。出口王仁三郎聖師が最初に言われた「みろく大神」を「369」大神として出しておられたならばその意味も解ったかも知りませんが、単に「みろく」大神では神意が通じず、「ス」の神等となってしまったのでしょう。創造神とは全ての言霊神を束ねておられる存在なのです。
にほんブログ村
この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。