人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

金(財)で罪を売り買いする贖罪で、地獄は宗教家で一杯だ???

今回は神言会のホームページ第十章・命とは?に記載しています【罪を財で売り買いする贖罪とは】を貼り付けて、少し解説を加えたいと思います。

キリスト教では、自分が犯した罪をキリスト教会に大金を寄進することで、その罪を許してもらう贖罪が説かれて来ました。それは別にキリスト教会だけではなく、仏教においても高額の戒名料を出せば極楽に行けるなどと云うのと同じです。それでは金持ちならば天国に行けるが、貧乏人では地獄界に墜ちることになってしまいます。

よく【地獄の沙汰も金しだい】と言う言葉を聞きます。それを鵜呑みにしている方、エンマ大王さんは金で買収出来るのだと言っておられます。
実は、これは日本のある昔話に記載される村の長者が死んだ時、その弔いを頼まれた和尚が、この状態だと長者さんは地獄に落ちてしまう。直ぐにその財を村人達に分けて地獄行きを阻止しなければならない。そこで小僧を長者の屋敷に走らせて、その長者の蔵の財を村人達に分け与えたことで、地獄行きを免れたという話なのです。これが地獄の沙汰も金しだいの原典なのです。
ところが辞書などを見ますと、【地獄の裁判も金の力で有利になる。この世はすべて金の力で左右されるというたとえ】。本来の意味は違うと解りますね。結果論で過程論を論じていないのです。
私が子供の頃に臨まれた声は言われました。私の教えは日本昔話や民話に入れてある。そなたはそうした昔話や民話を読んで、私の教えを知りなさいと告げられたのです。もし、そうした昔話を読んでいなければ、【地獄の沙汰も金しだい】の意味を取り違えていたかも知れません。

エンマ大王様を買収などは出来ません。

大本教神典に、地獄を覗けば牧師や僧侶でいっぱいだという内容があります。私はこの内容に首を傾げました。最初は意味が解らなかったのです。大本教以外の教えは間違っている?。そう解釈して、出口王仁三郎聖師も自分の教えが一番式なのかと思っておりました。これは教えを間違えたではないのです。贖罪から来ているのです。

それは「贖罪」の文字を見ると意味が解けて来ます。

私のホームページの図です。



贖罪の字を見ますと、貝(財)で売買した罪となります。
日本の某宗教では、信徒さんに大金の寄進を要求されます。聞き及ぶところでは100万円単位での寄進。寄進額が少ないと地獄に墜ちると説かれると聞き及びます。大金(財)を宗教家に寄進して罪を逃れるのが贖罪。

金持ちに成る為に手を染めた悪事の数々。その罪の元になった金を寄進で捨て去ることで金に執着した罪は消えて、地獄の沙汰も少しは軽くなるだけで最初から貧乏人には関係ないことです。では、その悪事の罪分の刑は誰が勤めるのか?。この場合は贖罪として金を受け取った宗教家がその罪を代わりに被り、地獄界に墜ちて刑期を勤めるのです。
無論、その宗教家にその罪を消してしまうだけの力があるならば、そういうことにはならないのです
ですから、大本教の出口王仁三郎聖師さんは、地獄を覗けば、宗教家で一杯だと記しておられるわけです。

悪銭は身に付けず

悪銭は社会福祉に役立てれば生かされて、その罪も消えて行くのです。ですから、宗教団体が社会福祉などに一生懸命やっている。その基金としてそうしたお金が使われていますと、そのお金は天国行きの切符を買っているようなお金になるのです。ところが、教祖様の私腹を肥やすことに使われていると、そのお金は一見するとドブ金になるのですが、寄進した方はその罪を受け取った宗教家に移していますので、その点では心配は要らないわけです。

私の母親は90歳以上で要介護でヘッドに伏していますが、最近不思議な夢を見ました。それは金封が空をクルクル飛んでいて、そこに自分の名が記されている。頭の中に社会福祉、社会福祉という言葉が入って来る。これは死期もさほど遠くはなく、死後に遺族が社会福祉に寄付するのではなくて、自分が生きている間に社会福祉に寄付しなさいかと思い、社会福祉に寄進するで母親の名前で社会福祉団体に寄付して来ました。
坊さんの御経で極楽ではなくて、社会福祉に貢献してということでしょう。

自分はどんなに偉いのだ!。そうしたことを言われる宗教家も、言葉で示されている教えからは抜けることは出来ないのです。

旧約聖書。自分が播いた種は自分で刈り取りなさい。神の原理原則とは、人の言葉で変わるものではないのです。悔い改めないと、刈り取りに向かえないわけです。

私のブログの中で去年の11月23日記の「地獄の沙汰も金しだい???」の内容と一部重複していますが、今回は贖罪がメインなので一部重なる内容があります。

スピの方達は、何かと言えば神の「大愛」で何をしても赦されると説かれますが、正負の原則。カルマの原則が存在しますので、神だから何をしても赦すでは、宇宙の運行そのものが乱れに乱れてしまうでしょう。

神の大愛で何をしても赦されるのだと説くスピの人達。その言葉を信じて悪の所業をする者達。その被害に出会った人達。被害に出会った人達が怨念で沈んでも、被害者が悪いのですか?。殺されたりレイプされて、加害者は神の愛で赦されます。被害者は怨んではいけません。そんな教えをする人達はまるで良心がありませんね。
だとすれば、地獄は羅(ラ)神の円真大王(閻魔羅闍)の管轄。神は愛で赦されるではなくて、良心が無い者として判定されてしまうでしょう。
その罪はあなたが代わりに被りなさいと言われたらどうするのでしょうか?。


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