人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

邪の道は蛇。神の元に戻る巳帰る(ミカエル)は良心神の剣。

私は不思議な体験をして来ました。そうした中の一つに、ヒンズー教のヴェーダ典に残される【人の中に眠れるコブラが目ざめて走り上がる時、人は真理に目ざめる】の体験でした。
だが、この意味を調べても解らないのです。どこにも解説書らしきものが存在しないのです。ヴェーダ典に残されているぐらいですから、過去にはそうした体験を積んだ方はあったはずなのです。だが、真理を求めても行き着かなかったのかも知れません。

人は誰も【真理】を求めない

だが、真理があって物事は成り立っているのです。

私が二番目の師匠の元で、蛇霊の霊障を受けている方の霊査をしていた時です。私の目に細い棒に絡まっている蛇が見えて来たのです。この蛇霊は何の棒に絡んでいるのかが解りません。師匠の霊査に付き合いながら霊的映像を見ていましたところ、その棒が光を八方向に放ったのです。すると、その蛇霊は慌ててその場を離れたのです。
だが、その光景は師匠は見ておらず、私だけが見ていたのです。


その時の私の謎は、蛇霊が巻き付いていた「棒」でした。そして、八方向の光の出現によって蛇が離れた謎でした。
だが、それは【良心神】で意味が理解出来ました。私達の魂は「丸い玉」です。玉である以上、そこには目には見えない「心棒」が存在するのです。言葉的には「心棒」が存在しても私達日本人はその意味に気付いていなかったのです。ほとんどの人が意味等考えずに「心棒」という言葉を使っていたからです。中心という言葉があっても、誰も何故そこに「心」の字があるのかえ考えなかったからです。
仏教で「中道」が説かれても、その中心の心たる「心棒」まで教えはなされていないのです。

御承知の様に、聖書では人類は蛇の囁きによってエデンの園(神の国)を追放されたとなっています。キリスト教では、それを人類の原罪として、イエス一人だけを【神の御子】と認めることでその罪を許されるとします。イエスは四十荒野を彷徨い【四十一】日目に悪魔を退けて神の御子となる。
それは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】が語ることと同じことなのです。人の魂に内在する「四十一」で示される悪魔を退ける【良心神】が唯一なる神の御子だからです。

日本では古来より【邪の道は蛇】と言われ来ました。一般的には言葉の語呂合わせぐらいにしか思っていない人だらけでしょう。そうではなくて、邪の道を行った人は死後の世界で「蛇霊」化している場合が多々あるのです。以前はそうしたことは多くの霊能者の方が語って来たことですが、今のスピリチュアルでは何をしても神の愛で許されるで、霊界の実態が無視されています。

この蛇は「全ての人に存在」しています。人類と一緒に神の園から追放なのですから、蛇が居ることが問題では無いのです。問題はその蛇を帰らしているかどうかなのです。
スピの世界では、何かにつけて自分に天使長【ミカエル】が言葉を言って来ると言われる方があります。それ本当に天使長「ミカエル」なのでしょうか?。私の知人のサイキッカーは、自分は天使長ミカエルとは友人だと言われるので、それならば私の元に天使長ミカエルに訪ねて来て貰えないかと頼んでおいたのですが、未だに来てくれません。

大本教の出口王仁三郎聖師は、天使長ミカエルとは自分を【省(かえり)みる】意味だと書き残しておられます。それはミカエルを実存の天使長とは見ておられないわけです。
一般的に天使長【ミカエル】とは、善悪を天秤に掛けて量る者のことであり、最後の審判を司る者の意であり、その最後の審判において蛇の尾を踏む者ともされています。これも完全に【良心神】の働きたる存在に置き換わるのです。だとすれば、そうした天使長が存在しているのではなくて、大本教出口王仁三郎聖師が言われるように反省心の【省みる】とはなるでしょう。
ミカエルは蛇を帰らせる者の意でもありますので【巳(蛇)帰る】ともなります。多くの人は私が言う内容は、単に日本語で西洋の言葉をこじつけていると言われるでしょう。
私が伏見稲荷山に初めて上がった時、豊受の神は私に「貴方は言葉をもって天帝からの教えを説く人であり、貴方の言葉による教えは天帝の詔に当たる」と不思議なことを告げられました。その時は何の意味かと思っていたわけです。だが、言葉とは何かと解った時、愕然としたわけです。

日本語が「神の言葉」であると理解すれば、話は逆転して来るのです。私が子供の頃に臨んで来た声は、私に【私は旧約聖書の神で在る】と答えられました。その真偽は解りませんが、仮にそれが旧約聖書の神で在るならば、日本ではウシトラ金神国常立尊に該当し、ミカエルは【巳(蛇)帰る】であるかも知れないのです。
また、日本における素戔嗚尊の八岐大蛇の神話を考えるならば、八頭の蛇(米)の胴体から取り出す剣とは「良心」神の剣とも言えます。その剣は神話では「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼びますが、業取(叢)とは「カルマ(業)」を消すの意味合いだからです。
仏教用語として【破邪顕正(誤った考えを打破し、正しい考えを示し守ること)】がありますが、邪の道は蛇で「破蛇顕正」とすれば、さらに意味が解るでしょう。
貴方の「良心」神という破蛇剣は、蛇を霊界に帰すのか?。それとも蛇に飲み込まれてしまうのかなのです。蛇を帰さない限り、私達の魂は永遠に神の御国(エデンの園)には帰れないことになります。


良心神はミカエル(巳帰る)の剣

私が見た「巳(蛇)帰る」を起こさせた光は、私達が見ている太陽光ではありません。次元的に言えば六次元ぐらいにコンタクトでは解る神の光ではないでしょう。
大本教神典には、天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しいとありますが、スピで神は光だと叫んでいても、天の岩戸に秘められるとされる高次元の光のことを言っているのではないのです。
このブログでも霊界の太陽に触れていますが、それはスピ系の方達がよく写真に撮られる太陽光のシャワーで神の光だと言っておられる類のものではないからです。何故ならば、霊界の太陽はまだ写真に撮られたことはないと思います。物質界で照らされている太陽ではないからです。

良心神を学んでも、どうしても良心神を貫くのは苦しい。何でも赦すという愛の教えは楽だ。あそこの教祖様は凄い光の持ち主で、何でも「愛」で赦されるを説いておられる。あの方は創造神様だ!。お釈迦様だ!。イエスだ!。そうしたことを聞きます。
現実に愛で教えを説いて、あの教祖様はイエスの再来だお釈迦様の再来だ創造神だと言われている方達は多数居られます。オーム真理教もそうした一人でした。だが、その教祖様が出されている光は蛇を追い払う光ではなくて、どちらかと言えば龍神と呼ばれる霊界の年老いた蛇霊達が出す光なのです。【蛇霊が共存している段階の光は神の光では無い】ということになります。
で、そうした方にお出会いしてそうした教祖様から感じることは、どう転んでも六次元クラスの方としか思えません。六次元界クラスでは創造神は解らないでしょう。天の岩戸の光とは、各自の良心神を判定するものであり、神の愛の光で赦されるという代物ではないはずなのです。

楽な教えと厳しい教え。人はどうしても甘い教えを言う存在が正しい神で、厳しい教えを言う存在が邪神だと頭から決めつけて来られます。その結果、甘い教えを支持した魂は腐るかも知れません。蛇霊に飲み込まれるかも知れません。
いずれにしてもそれを選ぶのは自分自身なのです。要はその光が出された時、その光の中で耐えられたらいいわけです。私が貴方を助けてあげますとは行かないわけです。
キリスト教風に言えば、イエスを神の一人御子と信じる。それを自分の良心神は主の御子たる主の分魂であり。その存在(自己の良心)を神として崇めることが、主とつながる道だと理解することになります。

以前に、このブログの中の【本守護神・正守護神・副守護神、魂のルーツは?】http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=54で、「魂の写真」と呼ばれているものを掲載しました。


再度、写真だけをアップして見ましょう。魂(玉思惟)が丸い円球であることが解るはずです。俗に言われるオーブとは違って、円球であることが解るものです。



上記引用写真の撮影者は故・田響隆仁氏。

 

玉は丸ければ、目には見えずとも「心棒」が存在して来ます。だが、玉が歪(ゆが)みますと、もう「心棒」は不正(歪)で直立棒としては成り立ちません。蛇霊が改心しますと、現実界でその蛇霊に使われている身を持った蛇が棒の様に「直立」をします。蛇は曲がることで蛇行なのです。その体験に触れている人が少ないようです。
何故「改心」することが重要なのか?。それは魂の改心棒・替え心棒が用意されるからです。これまで【悔い改めよ】と説かれて来ましたが、【杭(心棒)を改める】でもあるのです。ですから改心することで「来世」が頂けます。
 
大本教神諭、この神は「北を上にする」。

鬼に金棒 魂には心棒

人に内在する良心神は、単に良い心のことではなく、また魂の「直霊とか大直日とか伊都能売」で表現されて来たことだけでは語りきれないことを告げるのです。

魂を磨かなければ魂は腐ります。辛くても【辛抱】をしなければ【心棒】は真っ直ぐはなりません。魂を磨かないと光は通せません。

良心神(巳帰るの剣)が確立出来た方は、自分から蛇が出て行く光景を夢に見られるようです。
だが、良心神を他の人に言うと、その人は自分から去って行かれると言います。ほとんどの人は蛇霊を付けたままの状態であり、「愛」の教えには飛びつかれるでしょうが、蛇霊にとって「良心」神はもっとも嫌いな教えだからです。言向けで改心してくれる蛇霊は数少ないのです。

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