人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

真理は諸神からでなく、人であった存在から説かれる

アカシックレコードに関しまして、インターネットで検索しますと、下記の様なものがあります。http://homepage1.nifty.com/akashic/index1.html/
このホームページにあります下記の図を少々お借りします。
それは、ここで説かれている説が絶対かとなった時、絶対であるとは言えないでしょう。が、【意識界】と呼ばれる世界を知る学びにはなるでしょう。

人が生きていると実感するのは「意識」を持つからです。もし、意識が無くなれば「死んだ」なのです。
肉体での意識を失えば、意識は肉体から離脱して霊界にと渡る。これは正しくはないのですが、一般的にはそう思っておくほうが単純に解り易いわけです。
仏教の般若心経に無意識界が説かれていますが、完全無意識界ですと輪廻転生は無くなり、生も死も無いのです。一切の苦しみは消えますが、生きていないということです。生きている以上、喜怒哀楽などが生じるのは当たり前なのです。如何にそれらを受け入れるかなのです。

意識の「意」は「音と心」です。音の心とは「言」なのです。神が「コトバ」なりきがなかなか理解して貰えないのは「識」の理解がなかなかなのです。当然に「言」は波動を持つのです。先に波動だと言ってしまうと「言」の理解が難しくなります。日月神示ではコトバは「光透波(ことは)」と説かれましたが、私達が見ている様な太陽の光では無いのです。単純に音的な波動の方が理解しやすいわけです。

引用図



この図は九層に分かれていますが、【意識界】は十層だと言われている方もあります。十層説を言われる方だと、お釈迦様は第七意識界。イエスは第五意識界。日蓮さん空海さん孔子さん荘子さんエドガー・ケーシーはその下の第四意識界。現在の大流行のスピのチャネラーさん達のほとんどは、さらにその下の第三意識界だと言われています。意識界説は一番上を「十」と見るわけです。

よくそうした層とか帯とか次元で表現される世界のこととなりますと、何かとその数字を大きく言って、自分は偉い者だと言いたい方が多いようですが、その人が勝手に言っておられる要素が強く、ほとんど追認されていません。神を「十」の字で表すのは世界の共通であり、「十」が意味する火(か)の厳霊、水(み)の瑞霊の火水(かみ)の示しから見ても、「十」界と考えるのが一番賢明なのです。

私が子供の頃に臨んだ声は、こうした意識界ではなくて「年級」というコトバでしたが、空海さんとマホメットの魂は同じ階級界であり、イエスより格下になると教えてくれました。よくお釈迦様とイエスとでは同格の魂ではなくてお釈迦様が上の方だと言われていますが、意識界と呼ばれる世界から魂の格の違いを見るとそうなるわけです。
いずれにしても「宗教開祖」となられた様な方は、現在のスピでチャネラーと称している人達が、宗教など古い臭い。宇宙だ!、宇宙だ!と言っているのは違っていて、宇宙だ!宇宙だ!で低い次元と交信しているということなのです。宇宙人と言われているのは神ではなくて霊界人の一種だからです。また、霊界人だからと言って神を知るとはならないのです。

仏典などを読んでいますと、諸々の神がお釈迦様に教えを受けておられるがあります。神と呼ばれている存在が人の肉体をまとったお釈迦様より下位であったのかとなった時、意識界レベルではそういうことなのです。
神社で祭られている神様が高い魂の方なのかとなりますと、そうはならないのです。お釈迦様であれ、イエスであれ、弘法さんであれ、日蓮さんであれ、そうした宗教開祖さん達は意識界レベルでは非常に高い階層から出られた方であり、神社で祭られているから、そうした方達より自分は高い魂とはならないのです。

一方、スピでもてはやす「自然霊」は高い世界かとなりますと、「意識界」を解っていないので、レベル的には低いことになります。
仏教では【如来】を説きますが、如来とは「真理」から来る者です。では、自然霊に対して「真理」を質問しても、誰も答えられないでしょう。それは自然は「あるがまま」であっても、【真理】にはほど遠いからです。
宇宙は「大愛」だとお題目ばかりを言っておられる方達があります。大愛とか慈悲だと言ってることが【真理】でしょうか?。
大愛とか慈悲だと言っているのが真理であれば、何の学びも要らないわけです。お釈迦様にしても祇園精舎に道場を構える必要も無かったことになります。大愛とか慈悲だと言っていることが「真理」ならば、宇宙は【如来】だらけとなります。
意識界と称される界の学びが入りますと、今日の人類の上でお釈迦様やイエスや弘法さんや日蓮さんが必死で真理を学び、神を説いて来られたのか、そのご苦労が解るというものなのです。

神社等に祭られている御神霊はどなたも「大愛」とか「慈悲」は持たれておられます。しかし、そうした御神霊から【真理】が語られることは無いでしょう。ただ、よく参って来たと喜んで頂いて、目には見えないお土産を貰って来る。それはそれで死後の世界の存在を証明する論にはなります。
しかし、【真理】となると誰が説いて来たのでしょうか?。それは、宗教を起こされた先達たる方だったでしょう。人たる存在が説いて来たのです。
スピ系では、宗教は人が説いたものだと否定する論が多いようですが、それは「意識界」を見ていない論なのです。人が説いたのではなくて、「意識界」において高い位置に所属する魂を持った存在の方が、人としてこの世に肉体をまとって出て説いて来たのです。

ただ、理想と現実のギャップが存在しますので、現実の対処論が優先されるが起きます。そこに間違った論が入ったのは歪めない事実でしょう。今、溺れている者に対して、真理を悟ったら助けましょうでは溺れている者を死なせてしまいます。取り敢えずは溺れている者を助けるが優先されて来たのです。
宗教界の先達は何を言いたかったのか?。そこに目を向けて行くならば、違った側面が見えて来るはずなのです。書いてあることを頭から信じるのではなくて、何を伝えたかったのかです。

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