人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

神を知る入口は祟り(出て示す)でも、現世御利益でもかまわない

私は子供の頃、大地に種を播けば芽を出し、お日様と水の力で葉が茂って花を咲かせて、花が落ちれば果実をつける。その様子を見ていて、人々は何故に神の【息吹】に気がつかないのだろうかと子供心に思っていました。
私達が生きている【自然】は神の【息吹】であり、決して当たり前とかで置き去りにするものではないのです。【自然】を見て、神の存在を感じる人は神が解っている方と言えるでしょう。

私は自然の存在に神を見ていたので、神社とかお寺に祭られている存在を見て、それが神だと言う感覚は持っていませんでした。私にとっては神とは、宇宙の夜空に輝く星々を見つめていて、この大宇宙を制覇する存在こそが神であるとの認識だったのです。ですから、特定の宗教や神霊を信仰するということはして来ませんでした。

人が信仰の道に進むには切っ掛けが存在します。私の場合は子供の頃には声の教えが臨んでいましたが、昭和五十五年に起きた出来事があまりにも不思議であり、それが切っ掛けとなって「信仰」と呼ばれる道に入ったわけです。
そうした信仰に入る切っ掛けが俗に言われる神の「祟り(出て示す)」であったり、現世御利益であったり、困った時の神頼みであったとしても、神と呼ばれる存在が存在しない架空論ではなくて、神は存在しておられるの認識論に立つことが出来れば、その入り口はどうであってもいいのです。切っ掛けなのです。

私は豊受様の御代をされていた師匠から貴方の本守護神様は国常立尊様で、伏見稲荷山には国常立尊様も祭ってあり、伏見稲荷山でも修行は可能ですと言われて伏見稲荷大社講に所属をしました。伏見稲荷講の教師になる為に講習会にも行き、一回目の講習で異例の講社の教師資格も貰いましたが、自分の肉体に神霊が懸かれないので霊能者としては完全に失格者となりました。そんなことで、単なる神の存在の啓蒙活動をしているだけなのです。
その師匠から稲荷講に入ったならば、貴方は修行者なので何の御利益も授かりませんが、お母さんに御利益が出て来ますと言われます。それまでは、私も母親もクジ引きをすると外ればかり。俗に言う運に見放された人でした。ところが、私が稲荷講に所属した途端、母が年末の商店街でクジを引くと大当たりの連続です。全てが特等ではありませんでしたが、大物が当たる抽選ではクジは特等。他はそこそこに当たるのです。
運の良い人悪い人とは、運命とかそんな単純な話ではないのです。その人を守護している存在いかんでかなり違うのです。この手の話になると、稲荷講に所属しているとよく解ります。現世御利益の神と言われる由縁です。
ところが、私が稲荷講を離れて、言霊という教えの師匠の元に行くと、もう何も当たらなくなってしまいました。昔のくじ運の悪さです。その言霊の師匠の元も離れて、理由があって元の師匠の元に戻りましたが、今度は戻ってもクジを引いても当たるなどはなくなりました。

私は現世御利益信仰ではなくて、真実は何か?。それを求める修行の旅をして来た者です。私はそうした信仰を見ていて、スピの人達が異口同音に言われる【神は愛だ!】に関して言えば、お稲荷さんも神は愛の神でした。本当に良くして貰ったし、便利神と言えばこれほど便利な神様はおられるのかと思ったぐらいです。しかし、稲荷神に「良心」が存在していたかと言えば、良心は無かったのです。

私は、神とは【愛は在っても、良心が無い存在か?】とまで思いました

愛の教えを乗り越えないと、良心神の存在は見えて来ません。自分は騙されていると解った時、良心を考えて来るのです。それもまた神の仕組みだったからです。
日本に霊能者と呼ばれる方は「ごまんと」居られます。自称創造神・救世主と名乗られる方も掃いて捨てるほどおられます。だが、どれほど優秀な方でも受ける神示が100パーセントの方は一人も存在していません。必ずその神示には嘘が存在します。
また、そうした名乗りの霊能者の方がどんなに霊力があると言われても、地球をどうにか出来る様な力を持った方は存在していません。私の2番目の師匠は自称創造神の名乗りで凄い霊能者でしたので、そうしたこともよく解っています。そうした嘘を叩かないと、良心神の存在は見えて来ないのです。

私は良心はどこに在るのか気がついたのは、自分の魂の奥底にあるなのです。それを論理的に解る様に教えるのが、大本教神諭「九つ花に咲く、一輪の言霊の経綸」なのです。しかし、大本教は一輪の言霊の経綸そのものの論理は、九つ花を九曜紋と勘違いしたことから展開出来なかったわけです。それもまた神の仕組みと言えるでしょう。磐古大神と呼ばれる神との出会いがなければ、出口王仁三郎さんの霊が私の家に漢字と書かれた浴衣で出て来てくれなかったら、まったく気がつかないことでした。誰も漢字と日本語が連動する仕組みとは思ってもいないからです。

神は唯一であり、そして多神ともなります

その唯一神から来るのは【良心】神であり、他の諸々の神から来るのは「愛」の教えだったりするのです。ですから、神々は正神界であろうと邪神界であろうと「愛」を言われるのです。「愛」を言う存在が正神界なのか邪神界なのか、皆さんにその判断が出来るでしょうか?。たぶん、出来ないはずなのです。ところが皆さんは「愛」さえ言っていれば、その神は正神界だという概念を持ちすぎておられるのです。

信仰の切っ掛けは、神の祟り(出て示す)であったとしても、困った時の神頼みからであったとしても、神の存在を認識出来るということは、神の存在を認識出来ずに神の否定論に走っているよりも、神に近づけているのです。
例え、それが俗に蛇霊や狸霊や狐霊と呼ばれる神であったとしても、そうした蛇霊の甘い囁きの騙しを受けたとしても、自分の魂の中には【造化神】に繋がる「良心神」があると解れば、そこで切り替わるのです。
悪魔の意味をよく知ることです。このブログの【悪の「亞」に秘められた意味、主の墓を暴くhttp://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=69】に書いていますが、悪魔の意味が解れば主は存在していないのではないのです。
自己の魂の中から「良心」神が消えると、その場が「空く間」と化すのです。

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