神の旧字は「神」で、申し示すが「神」と呼ばれるわけです。その申し示すとは「コトバ」のことなのです。
私が神霊世界に足を踏み入れる前、最初の師匠となった方から、あなたの家系と妙見様とはどういう関係ですかと聞かれて調べましたが解りません。私の家系は父方の祖母がこの家系に嫁に入り。その御主人が若死にをして、私の祖父が急遽婿養子で入った為に、その家系のことがよく解っていないのです。
その師匠とした方から、ともかく能勢の妙見さんにお参りしなさいと言うことで、お参りをしたところ、南無妙法蓮華経の金色の文字を背負った方が見えて来る様になったのです。その南無妙法蓮華経の金色の文字を背負った方は、私に自分は身延山に居ると言われます。身延山と言えば日蓮聖人ですが、その方が出て来られる時は埃にまみれた黒染めの衣。とても日蓮さんではないだろうと思っていました。まして私の家系は日蓮宗とは関係しません。曹洞宗です。
だが、時にはこの汚い黒染めの衣のお坊さんの背後には、俗に大僧正と言われるような絢爛豪華な衣装をまとったお坊さん達がズラリと並ばれたりします。すると、これだけの大僧正達を従えるとすれば日蓮さんなのだろうか?。それにしてはなんとも面妖なことと思っていました。
その師匠から「金色の文字」の話は聞いていました。金色の文字で教えて来るのは単なる霊からではなくて、神霊からの伝達文」との説明でした。2番目の師匠の元で修行している時、へんな顔の人が出てきたぞ。日本人では無い。どこの国の人だと見ていると、金色の文字でボンベイ(現在のムンバイ)のカタカナ文字と西暦の数字が金色で点滅して出て来ます。霊媒通しのサニワをすると、インドのボンベイに居た方でその西暦数字の年に亡くなられた方と判明しました。
ある時は一人の老婆が見えて来て、その方の名前らしきものと亡くなられた年と思われるものがやはり金色の文字で点滅して出て来ます。その場に居る誰かに関係する霊と思われたので、この名前とその年に関係する方は居られますかと聞くと、そこに居る一人の方のお母さんだったと判明しました。間違いが無いのが金色の文字なのだろうかと首を捻っていました。
私の家の仏壇で拝んでいると、蓮のつぼみが見えて来たかと思うと、蓮の華が開きました。そして、「日蓮」「日蓮」と金色の文字が点滅します。こりゃ何だ!。私は2番目の師匠の元を離れて、最初の師匠の元に戻っていましたので、最初の師匠にその話をしたところ、あなたの家系の先祖守護霊さんは日蓮さんの御分霊なのです。その関係で貴方に日蓮さんが出ておられるのですと言われます。その分魂の御先祖霊が法華教並びに妙見信仰をされていたわけです。
それ以前にサイキッカーと称する人達から、私にはお坊さんの姿の方がついておられるが、日蓮さんの様に見えるけれども日蓮さんでは無い。が、日蓮さんの様な力を持った方だ。どういう人だろうの疑問は出されていました。私の先祖霊さんが日蓮さんの御分霊とは意外な盲点だったのです。私達は魂が分割されているという論理をほとんど知らないからです。ほとんど認識していないのです。
御分霊とは本体とは分かれて出た魂で、本体の魂とは別にこの世に生きた時代が存在して来ますので、必ずしも本体のクーロンではないわけです。育った時代や環境で本体とは別の思考も保有されていることになります。日蓮さんには南無妙法蓮華経の金色の文字が出て来たりしますが、御先祖霊には出て来ませんでした。
日月神示の岡本天明氏が「コトバ」に「光透波」の漢字を振られました。しかし、あまり詳しい説明はなされていないはずです。金色の文字も、また金色の光を放つているわけです。
私の地方のキリスト教会の牧師さんが、日本人は紙に書かれた神を祭っている。そんなものは神じゃ無い。当教会はイエスの像にお祈りを捧げています。当教会に来てくださいのビラを新聞の折り込み配布していました。
聖書におけます神はコトバと共にあった。その意味が理解出来ていないのが現在のキリスト教とは言えるでしょう。キリスト教もイエスの偶像崇拝に入っているわけです。偶像ではなくて、聖書に手を置くべきものなのです。聖書はコトバが書かれたものだからです。
偶像には霊が宿ります。それは自分に内在する神と外在神の論理で語るべきもので、霊の依り代という話です。
神はコトバなりきとなりますと、やはりコトバとは何かを知らないといけなくなるのです。
私達が使っている「漢字」は中国から来たものです。漢字は象形文字なので、元たる象形が存在するわけです。その物が仮に物質であったとしても、その物は神のコトバ(光)によって創られて来ているのです。為に、文字もまた光を放っているのです。
神社で出されているお札には文字が書かれています。その文字はやはり「光」を持っているのです。ただ、神社等で売られている「お札」には、あまり「光」が入っていないものが存在します。それは神主がキチンとお祈りをしていないからなのです。文字もまた霊力を持つのです。
神(カミ)は紙(カミ)に通じます。それは「コトバ」を載せられるからです。文字が光として出て来たり、金色の文字の様な形で出て来るのも、全て聖書にあります神は「コトバ」と共にあったからに由来するのです。
また、紙に書かれた絵も光を持つのです。西洋人には「ゴッド」と「ペーパー」は意味が同じとは通じません。しかし、日本人には「神」と「紙」はひら仮名にすれば同じ発音になるのです。創造と想像も然りなのです。
私達日本人は他の国の人と違う神はコトバなりきの働きをダイレクトに知ることが出来るコトバを使っている特殊な立場にあることに気付くべきでしょう。
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