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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ナラシ走行第3弾/ヤマハ2ストビーノ

2025年05月15日 | open



これも古墳だと思うんだけ
どね。

ナラシ運転第3弾。
信号の無い田園地帯を行く。

途中から古代山陽道を通り、
なだらかな山道へ。
途中、8メートル位ある観音
石像があった。


ずんどこ行くと、せめえ林道。


登りも下りも時速30キロ
未満。
ルオタアンテリオーレが
ディアポシティーヴァし
ないように注意して走る。
転んで俺からvinoが出た
らシャレにならない。


かなり登っている。
一瞬視界が開けたら山の
頂上付近。
ここらから下り。


おや?


遥か下に山陽自動車道の高
高度陸橋が見える。その下
は沼田川だ。


相当下る。
高速道路が見えた位置関係
から自分の走路が判った。
案の定ここに出て来た。


そのうちいつか、オフ車で
走ってみようと思っていた
道路だった。設計速度20キ
ロ毎時の林道。


長い坂を上ると広島空港
5kmの標識。


右に曲がると広島空港。
だが左に行く。


ここがね・・・


楽しいのよ。
ジェットコースターロード。


空港界隈から下界に下りて、
東進して帰還する。
途中、こういう石碑があった。


「よこみ寺址
 右は髙木山城址」
しまった。石碑の建立年紀
を見るの忘れた。
横見廃寺跡は国の史跡だ。

右が髙木山城か。




ここはのどかな田舎道。


てか、この道は古代山陽道
である。律令時代の古代街
道。西国から都へ上る租税
物資運搬、徴兵の兵役の為
に人民が上っていた道。
すべて徒歩だ。自弁で。
砥石のみ必携とされた。
約16kmごとに設置された駅
家(うまや)には20疋の馬が
常置されたが、人が乗る為
ではない。荷駄である。
人民は勝手にそこらに野宿
して、飯も自分で都合して
都まで上がって来い、とい
う命令だった。
古代律令王権統治の租庸調
はそれ。国民=人民などは
人とは見做してはいない。
日本においては、殿上人の
みが「人」とされた。

近所のコンビニでエンジン
と人間の休憩。
ツバメの雛がいた。


かわいい。


観察していたら、親燕は
偉い。
餌を運んで、1尾ずつ口
移しで食べさせている。
ここの燕は右側の子から
あげていた。
全部で5尾の雛がいた。
親燕が戻ってこなかった
らこの子たちは死んでし
まう。
これは人間でもそうなのだ
が、人間の場合、親が国権
で突然招集されて外地で死
んでも、子は遺族が育てる。
だが、死んだ人間は戻らな
い。
私の母方祖父は衛生兵だっ
たが、南方戦線の砂浜で機
銃掃射で死亡した。
その後本土では数えきれな
い数の邦人、在留外国人が
死んだ。
それでも日本は戦争をやめ
ようとはしなかった。
最後には広島と長崎に人類
史上初の原子爆弾が投下さ
れた。
誰がやったと思う?
戦争を後押しした国民だよ。
軍部の独走や天皇の一存で
はない。国民が戦争を後押
しして、国民が戦争を遂行
したのだ。
責任は軍部にある、天皇に
ある、国民は騙されただけ
だ、洗脳されたからだ、な
んて責任逃れはダメだよ。
私は貝になりたい、とか言
っても、正直ぶって一億一
丸と思い込んで、戦争を阻
止しなかった自分が悪い。
拍手で日の丸振って万歳し
て学徒まで戦場に送り出し
ていた自分たちが悪い。
普段正直そうな顔してるそ
こらの八百屋のおっちゃん
やおばちゃんや百姓の親父
やおっかあや漁師や学校の
教員たち等々、ごく普通の
「日本人」が戦争を支えた
んだよ。
てめえの責任逃れはいけね
えぜ。天皇陛下万歳叫んで
る連中が全員でやった事だ。
そして、多くの邦人同胞を
殺しておきながら反省の色
さえ見せない。
正義ってそれかい?

てな事、燕の雛を観ていて
感じた。


古代山陽道(拡幅新道)を
北上する事にする。
あの左手の奥の山が登って
下って来た山。


右は高山城址。左は新高山
城址だ。戦国時代の毛利一
門小早川家の城。
ここらあたりが沼田川の河
口だった。
新高山城から現在の三原に
小早川隆景が築城して移住
した。


右手新高山城。


古代山陽道の拡幅新道
部分を北上する。


三原市高坂町。
この先に古代の駅家(うまや)
の眞良(しんら)地区がある。


なだらかな坂を登って行く
とお堂があった。


バス停名はその名も「堂」。


ちょうどここでビーノの
走行距離が45,500kmに達
した。クランク丈夫だなぁ。
49cc用に設計された2スト
エンジンなのに、ヤマハさ
ん、おそるべし。さすが社
名にエンジンを冠している
だけはある。トヨタ2000GT
もヤマハが作ったが、元来
はヤマハは2スト屋さん。
しかも世界一の。
世界一という事は、地球一
という事だ。これは並大抵
の事ではない。


古代山陽道の新道を北上。
県道155号を右折で三原市
街を目指す。途中低い峠超
えが二か所あり。

最初の峠の登りかけの地点
に美しい花が咲いていた。






これはノイバラだ。
雑草のように力強い息吹を
感じさせる。
私はこういう花が好きだ。
蝶よ花よのお花畑ではなく。

由緒ありそうな寺の前。


バス停あり。
福泉寺というらしい。
浄土真宗本願寺派の寺。
場所は三原市高坂町真良(し
んら)。
律令時代の古代には駅家が
あった地区だ。
馬を常備しておくのが義務
だったので、当然牧場もあ
った事だろう。
それらしき跡地の田園も広
がる地形となっている場所。
駅家(うまや)の伝送がこんに
ちの駅伝のルーツとなってい
る。駅伝という陸上競技が日
本固有であるのは、古代に国
内を縦横無尽に整備した街道
に現在の距離で約16キロ毎に
「駅」を置いた事に由来する。
その駅間の伝令が駅伝の原初
とされている。


一日に3便のみ。
時間帯を見ると、明らかに
通学・通勤者への配慮であ
る事が見て取れる。


てことで、三原市街地まで
帰還して、燃料を満タン補
給して家まで帰った。
ナラシ運転中の燃費は非常
に良く、36km/ℓだった。


45397.0km時点でエンジン
腰上を総載せ替えした。
ボアアップバージョンで。
2ストオイル供給は分離+
ガスタンクで50:1混合
給油。
本日まででナラシ運転は
3回。
走行総距離は115.3kmに
なった。
あと100km程=走行距離
200kmまで時速40km未満
を守り、その後、速度を
45km/hにして200km程走
る。
その後は50km/h未満まで
回転最高速を上げ、やはり
200km走行。後半100kmは
漸次的に負荷をかけて運転
する。
ここで一度シリンダーとピ
ストンをバラしてアタリを
確認する。
状態によっては擦り合わせ
やオイルスポットを設ける
加工をする。
再度組んで、それ以降の走
行は、100km距離を60km/h
未満で走行。
ラストは全開走行だ。
2ストレーサーのように全開
走行直後にクラッチ切って
エンジンを停止させて滑走
して戻って真のプラグ焼け
を確認できないのがスクー
ターの難点だが、前回時に
は点火系含めて細部まで感
知しながら走らせる。
そういう段取り。

問題がなければ、その最終
行程以降はガッツリとそれ
なりに走らせる。
スクーターとて、二輪であ
るのだから、ホゲホゲした
お花畑の乗り物ではない。
キビキビしゃきしゃきとし
た運転で、ピシッとリニア
にレスポンスして走っても
らう。
それなりに俺も気遣って手

を入れるから、頼むぜ。
安全に楽しく、キビキビと。
それがオートバイの本旨だ
ろうと私は思う。
俺が二輪を好きな理由。

それは二輪は人間を差別し
ないから。
どんな初心者だろうとベテ
ランの凄腕だろうと、ウル
トラ平等なんだよ、オート
バイってやつは。
肩書も階級(海外には西欧だ
ろうと厳然として存在する)
も生まれも出自も性別も一
切関係ない。危険は全ての
人に平等に横たわる。
そして、世界観が変わる程
の楽しさも、人類のありと
あらゆる属性を超越しても
たらしてくれる。
それがモーターサイクルだ。
二輪で死んだアラビアのロ
レンスは「スピードの中で
精神は肉体を超える」と言
った。
だが、モーターサイクルの
最大の魅力は、走り始めた
ら「誰にも全く同じ条件を
与える」という超絶平等な
状態を神が与えるところに
あると私は感じている。
人類皆が同地平。
だからこそ、モーターサイ
クルは素晴らしい。
私はそう思う。
神が与えた人類の真の平和
と和平の礎は、モーターサ
イクルの本質的なそうした
質性をどれだけ我々愚かな
人類が感知できるかにかか
っていると思えるのだ。

 
 
 


 

 


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