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「バナッハ-タスルキーの逆理」に見る、人生の選択の難しさと人生の期待値

 ”ある男は分散攻撃という巧妙な戦術を思いついた。それは、滅多に人が踏み込まない地点に狙いを定めたのだが、不気味な荒涼たる谷間だった。ところが、まさに同一の戦術をビーバーが既に思いついていたし、選んだ地点も同じだった”(「ルイス・キャロル詩集」より)

 「眠れぬ夜の確率論」の著者・原啓介氏は高校の頃に”人生には悩みは存在しない”との仮説を打ち立てる。社会の授業で”人の悩みの多くは複数の選択肢からどれかを選ばざるを得ない事にある”と聞いた事がきっかけになったという。
 確かに、どちらも好きなのに一方を選べないし、どちらも嫌なのに一方を受け入れざるを得ない。つまり、”好きな事するには嫌な事が必ずついて回る”という「選択の問題(矛盾)」がある。

 何故、人は悩むのか?
 それは選択の価値がどれも等しいからで、出来る限り熟考した上で”より望ましい選択を見つけ出し、それを選べばいい”と高校生は考え、”仮に全く価値が等しいなら、コイン投げで決めればいいし、悩みは存在しない”と結論づけた。
 諺に”浜の砂は尽きるも世の悩みは付きない”とある様に、人生に取り憑く無限に錯綜する悩みには果てがないのである。

 ではどうやって人生の選択を選ぶのか?高校生の原氏がそうした様に、選択肢の得失を表にして人生の期待値を計算するのだろうか?
 この方法の原点は、フランクリン(1706-91)にある。紙の中央に線を引き、2列に分け、一方に利点を、もう一方に欠点を箇条書きにした。そして各項目の重さを評価し、長所と短所を組合せ、重さが釣り合うものは消去し、残ったもので決断する。
 これは、各項目に”重さ”を掛け、合計して判断し、”期待値”を計算してる事になる。が、彼の視点には未来への不確実性の概念が欠けていた。

 つまり、私達の悩みの多くは未来がどうなるか?分からない事にあり、事実この重みにランダムさという不確実な未来の確率が関わってくる。その未来や相手の行動や価値すらも不確実であるにも関わらず、我らは”運命の選択”として、どれか1つを選ばざるを得ない。
 一体、どうすれば最善の選択が出来るのか?これは非常に難しく、完全には永遠に解決できそうにない問題である。勿論、確率と期待値という不思議なレンズを用いれば、有り得る可能性を1つの像に結ぶ事はできるのだが・・・お慰めで言えば、”パスカルの賭け”という古来から伝わる、神の倫理的な決断こそがヒントになるのかも知れない。 

 こうした不確実性のランダムな世界の確率については、「数学は偶然の上に・・」でも既に5話に渡って紹介してるので、ここでは省きます。そこで、今日は話題にするのは、人生の選択の難しさと「選択公理」の矛盾について述べたいと思います。


バナッハ-タスルキーのパラドクス

 「測度・確率・ルベーグ積分」(原啓介著)の第1章(ルベーグ可測でない集合)に書かれてる様に、不確実性のランダムな世界の確率を計算する為に測度論を扱うが、σ加法族・測度・確率空間と確率変数などについて定義し、1つ1つ構成する必要がある。
 では測度論ではなぜ、この様な面倒な手続きが必要なのだろう?
 まず、こうした手続きをとる理由の1つに、長さや面積や体積といった概念の抽象化である測度や、確率概念の抽象化である確率測度を、期待される”可測”という性質を持つ様には”全ての部分集合の上に定義出来ない”という大きな問題がある。
 事実、実数R上の全ての部分集合をルベーグ可測にするには”選択公理”を無視するか弱める必要がある。逆を言えば、選択公理を用いれば、ルベーグ非可測集合が作れる。

 結論から言えば、過去に様々な誤解や議論を交わしたこの公理は自明であり、事実、ZF公理系では選択公理を加えたZFC公理系を数学の基礎として仮定する。また、選択公理がないと数学の世界はかなり萎んじゃう。が、選択公理を仮定する事で、直感に反する結果が得られる事もある。
 その典型が「バナッハ-タスルキーの定理」であり、これは”中身の詰まった球体を有限個のピースに分解し、各ピースを回転と平行移動で組み立てる事で、元の球と同じ大きさの球を2つ作れる”というものだ(上図参照)。
 また、数学的に言えば、”任意の大きさの物体を有限個に分割し、それらを寄せ集めて任意の大きさや形を持った物体を作る事ができる”となる。例えば、(中身や材質は変えられないが)ビー玉を有限個に分割して組み替える事で色んな形のスタジアムを作る事が出来るのだ。

 但し、ここで言う各断片は(通常の意味で)体積を定義できない(測れない)ので非可測と言えるし、(質量保存の法則で言えば)物理的に不可能となる。また、”空間にて体積は非可測な断片に分解する事により保存されない”という「可算分解合同定理」の奇妙な結論から、パラドクス(逆理)とも呼ばれる事もある。また、この定理は3次元以上の球で可能になり、2次元の円だと不可となるから厄介でもある。
 一方(Wikiによれば)、証明の最後の(非可算無限を扱う)所で”選択公理”を使う為に、その不合理性がしばし論じられるが、S・バナッハとA・タルスキーは”この定理に対する選択公理の果たす役割は注目に値する”とだけ述べている。
 他方、選択公理よりも真に弱い「ハーン-バナッハの定理」から、この定理の矛盾を導く事が出来て、また、これと似た「シェルピンスキー-マズルキーウィチ」のパラドクスがあるが、これは選択公理に依存しない。

 確かに、数学的(ZFC公理系)には選択公理を使っても矛盾はないし、仮に使わなくても証明できるのなら堂々と定理と言えるが、体積は可算分解できても質量には触れてないので(上述した様に)物理的にも無理がある。
 同じ事は選択公理でも言え、”選択は可能だがその手順は示されない”との直感に反する不可解な事実があるが、”数学はフィクションに過ぎない”と割り切れば、この”奇妙な定理”も納得はいく。

 元々、この定理は”球体はそれ自身と同じ球2つと分割合同である”と簡単に定義できるが、AとBを3次元空間の部分集合とすると、AとBが有限個の”互いに交わらない”部分集合の合併として、A=A₁∪...∪Aₙ、B=B₁∪...∪Bₙと表せ、全てのiにてAᵢとBᵢが合同(Aᵢ≡Bᵢ)である時、”AとBを分割合同”という。
 更に、上の定義から”3次元空間の内部が空でない図形を任意に2つ選ぶと、それらは分割合同である”とのより強い定義(系)を導く事が出来る。
 例えば、単位球をD={(x,y,z)∈R³:x²+y²+z²≤1}とする時、D=A₁∪⋯∪Aₙ∪B₁∪⋯∪Bₙと分割できて、更に、Aᵢ及びBᵢと合同なA’ᵢ及びB’ᵢがD=A’₁∪⋯∪A’ₙ=B’₁∪⋯∪B’ₙを満たす様な図形を見つける事が出来るというのが、この定理の主張となる。
 つまり、Dの体積をm(D)とし、m(D)=m(A₁∪…∪Bₙ)=m(A₁)+⋯+m(Bₙ)=m(A’₁)+⋯+m(B’ₙ)=m(A’₁∪⋯∪A’ₙ)+m(B’₁∪⋯∪B’ₙ)=m(D)+m(D)となり、この定理は一見”1=2”を主張してる様に見える事から”パラドクス”とも呼ばれるのだ。


奇怪な定理の奇妙な証明

 そんな事したら体積が保存されないのでは?と思われるかもだが、事実、体積は保存されない。これは、体積が定義されない様な断片に分割するからで、大きさが有限でも体積が定義されるとは限らないのだ。が、実際に証明を見ると、狐に抓まれた感じがする。
 厳密な証明は複雑過ぎて省くが、大まかな流れで言えば、まず①2つの生成元(文字列)を持つ自由群F₂の”パラドキシカル(逆説的)な分割”を見つける。次に②自由群F₂と同型な3次元の回転群を見つけ、そこで作った回転群の分割と選択公理を用いて2次元球面の分割を作る。最後に③その2次元球面の分割を3次元球の分割に拡張する。
 そこで、この証明の前半部を「新版、バナッハ-タルスキーのパラドックス」(砂田利一 著)を参考に簡単に紹介する。

 先ず、2つの生成元aとbから生成される集合を扱うが、これは4つの文字a,a⁻¹,b,b⁻¹からなる有限の長さを持つ文字列から構成でき、aとa⁻¹、bとb⁻¹が隣り合っても、”空の文字列”として消去できるものと定める。
 次に、2つの文字の積を文字列の連結で表すと、例えば、abab⁻¹ba⁻¹bb→abaa⁻¹bb→abbbとなるが、この文字列の集合はここで定義した演算が群の性質を満たし、”空の文字列”を単位元{e}に持つ変換群になる事が判る。
 この様な2つの要素からなる変換群を”自由群”と呼び、F₂と書くが、この自由群の要素は有限の長さを持つ文字列であり、F₂は可算集合となる。また、F₂の中には4つの文字から始まるが文字列が全て含まれる事も判る。
 ここで、V(a)をaから始まる自由群F₂の文字列全体の集合とすれば、V(a⁻¹),V(b),V(b⁻¹)にても同様で、これら集合には全く重なりがないので、”直和集合”の記号⊔を使い、F₂=V(a)⊔V(a⁻¹)⊔V(b)⊔V(b⁻¹)⊔{e}―(1)と書ける。一方で、F₂=V(a)⊔aV(a⁻¹)―(2)やF₂=V(b)⊔bV(b⁻¹)―(3)と書ける事も判る。

 但し、下の2式だが、まず(2)式のaV(a⁻¹)はV(a⁻¹)の元の左にaをかけた文字列の全体であり、集合aV(a⁻¹)はaa⁻¹bという文字列を含み、演算の定義によりbとなる。同様に、aV(a⁻¹)はa⁻¹で始まる全ての文字列を含む(∵aa⁻¹a⁻¹=a⁻¹)。この様に、aV(a⁻¹)はb, b⁻¹, a⁻¹で始まる全ての文字列を含むが、(3)式のbW(b⁻¹)も同様である。
 そこで、aやbを左から掛ける操作を3次元空間内の2つの軸x,zをそれぞれ中心とした回転a,bの操作として、その合成を積として考えると、それら積の操作はFと同型になる。つまり、”F₂と同型な3次元空間の回転群”とはこういう事で、その為には、aとbの回転操作の結果が何周しても重ならない様に、(有理数ではなく)無理数ラジアンにする必要がある。
 だが、無理数は非加算無限なので選択公理を使う必要が出てくるのである。

 因みに、3次元での回転a,bの積は(2次元とは異なり)ab≠baの様に可換ではなく、またaa⁻¹とbb⁻¹は打ち消し合うので、文字列が異なれば回転操作の結果も全て異なる。故に、ルービックキューブが得意な人なら判る筈だが、続けて行う3次元の回転操作は、上の4つの文字を1列に並べた文字列で全て表す事ができる。
 これは、元々1つの式(1)だった自由群F₂が3次元空間の回転群により、(2)と(3)の2つになった事を表し、結果としてF₂=F₂+F₂となる為に、この分割を”パラドキシカルな分割”と呼ぶ。

 従って、a,a⁻¹,b,b⁻¹からなる文字列全体の集合と、3次元空間内の回転a,bが作る集合は同じ構造(群)をなすが故に、3次元空間内の回転に対しても、パラドキシカルな分割を考える事ができるのだ。
 いま、aとbによって生成される回転群をHとすると、上で得たパラドキシカルな分割をHに対しても適用でき、HはF₂と同型である事から可算集合となる。
 一方、回転操作は球面上の全ての点を動かすので、2次元の単位球面S²{x²+y²+z²=1}は群Hの作用を考える事で”軌道の集合”に分ける事が出来る。即ち、球面上の2つの点は一方の点を他方に移す様な回転がHに存在する時に限り、同じ軌道に属すると定める。

 因みに、”全ての点が動く”とは回転操作の前と後の点が1対1に対応し、球面上の全ての点をその対応するもの同士で同じ(軌跡)集合に纏めれる事を意味する。例えば、球面上の任意の点からスタートし、a,a⁻¹,b,b⁻¹の回転操作の組合せで、ある点に到達できる軌跡とできない軌跡に分かれる。故に、球面上の軌跡は全て何れかの集合に属する筈だが、実際、この軌跡集合は非可算無限個できるので、上の様な手続きで1つ1つ作る事は出来ない。その為に選択公理が必要となるのだが・・
 つまり、その回転群Hにより作られる全ての軌跡は非可算無限個の点が集まった球面をなすので、中心からその軌跡に至る様な円錐状の構造?を考えれば、それらを平行移動して組み直す事により、2つの球体が得られるとあるが・・・


不可解で奇怪な証明の続き・・

 以上の様に、著者の砂田氏は判り易い言葉で説明をなされてるが、肝心の証明は群に関する抽象論で固められ、それらを理解するだけでも苦労する。一方で、巻末の厳密な証明よりも、この定理だけを1冊の本で扱うのだから・・と思わなくもないが、名書である事には変わりはない。
 そこで、私なりに様々なサイトから情報をかき集め、不足分を補充する。

 では、具体的にどの様な方法で分割すれば、1個の球を2個の球に変える事ができるのか?
 実は、その様な分割が存在する事は証明できるのだが、その分割の仕方を構造的に示す事はできない。
 それは、3次元空間内の回転を非可算無限個存在する球面の軌跡に対応させる際に”選択公理”を用いるからで、②の”回転群の分割と選択公理を用いて2次元球面S²の分割を作る”とはそういう事である。 
 確かに、証明の最後の壁となる球面上の軌跡集合は選択公理を使って構成される選択集合で構成され、球体の各断片は可測ではない。
 即ち、各断片は明確な境界や通常の意味での体積を持たない。故に、物理的な分割では可測な集合しか作れないので、現実にはこの様な分割は不可能となる。しかし、これらの”幾何学的な形状”に対しては、この様な変換が可能となるのだ。

 そこで、球面S²上の軌道全ての集合をΛ(λ∈Λ)とすると、⋃λ=S²となり、選択公理により選択関数φ:Λ→S²が存在し、任意のλに対しφ(λ)∈λとでき、M={φ(λ)|λ∈Λ}と置ける。
 但し、Mは非可算無限個存在する全ての軌道から”選択公理”を使い、丁度1個の点を選んで集めたS²の部分集合となる。が故に、Mは”幻の集合”とも言えるが、S²上の全ての点はMの点にHの元を作用させる事で得る事が出来る。
 つまり、集合Mに回転群H(≅F₂)の操作を施したものは球面全体となり、HM=S²が成り立つ。これを上の(1)式に従い、4通りに分けて、S₂=V(a)M⊔V(a⁻¹)M⊔V(b)M⊔V(b⁻¹)Mと書ける。また、(2)(3)式に従えば、S₂=V(a)M⊔aV(a⁻¹)MやS₂=V(b)M⊔bV(b⁻¹)Mと書ける。故に、自由群F₂と同型な回転群Hにおいても、S₂=S₂+S₂という奇怪な結果を得る。
 最後に、この2次元単位球面S₂の分割を中身の詰まった3次元球体の分割にまで拡張する。つまり、3次元回転群R³にまで、この自由群F₂でのS₂のパラドキシカルな分割を拡張できれば、証明が無事完走する。 

 この様に、”球体を体積が定義されない(測れない)様な断片に分割する事で、1つの球体から大きさが同じ2つの球体が作り出せる”という一見矛盾にも思える逆理にも似た定理だが、こうした非可測な断片を集合に置き換え、「(可算)分割合同」という定義を使って足し算する事が可能となる。但し、集合論では非可算無限という概念を扱うので、”選択公理”という奇怪なツールを使う必要がある。
 ただ、これを数学的に証明するのだから、集合論の抽象性が大きな壁となる。但し、厳密な証明は別途記事にするつもりだ。 


最後に

 因みに、「選択公理」とは簡単に言えば”無限個の集合から1個ずつ要素を取り出して別の集合を作る事ができる”というもので、各集合からどの様に要素を取り出してくるのか?その具体的な方法を示さなくても、”とにかく取り出す事が出来る”と仮定するのだ。
 但し、非可算無限個の場合、要素を取り出す仕方がしばし問題になるが、その仕方を提示しなくても、数学のZFC公理系では無矛盾性が証明されている。

 数学の世界には、選択公理を扱う「バナッハ-タスルキーの定理」の様な直感に反する奇妙な逆理がしばし存在する。有名なのは集合論を使う「囚人の帽子ゲーム」があるが、少し難しいので簡単な例”aᵇが有理数となる様な無理数a,bが存在する”を紹介する。
 例えば、√2^√2という数を考えると、この数は有理数か無理数のどちらかである。仮に、√2^√2が有理数なら、a=b=√2は無理数なので命題は明らかであり、また、√2^√2が無理数なら、a=√2^√2,b=√2とすれば、aᵇ=(√2^√2)^√2=√2²=2(有理数)となり、これも明らかである(証明終)。
 この様に、√2^√2が有理数か無理数かは関係なく証明できたが、aᵇが有理数である様な具体的なa,bを示さなくても、その存在を証明できるのだ。

 ”選択公理”に関しては、過去に幾つもの記事でも紹介したから詳細は省くが、数学の世界では矛盾がないとて、人生においては”無限の選択肢の中から何か1つ最適な選択をする”というのは、ほぼ不可能だと思われる。
 つまり、人生は数学の様に”机上の理論”というフィクションの世界では成り立たないのである。
 それでも何かを選択し、前へ進むのが人生なのだが、故に、我らは”選択”というリスクを常に抱えて生きる運命にある。
 勿論、過去の選択であれば、結果論で幾らでも最適解は選べるが、未知の将来となると大きな限界がある。
 冒頭で述べたビーバーの戦術の様に、未開の地での最適な戦術だと思ってたものが、既に現地の動物によって選択されていた。
 人生も同じで、不透明な未来に対し、最適の選択だとみなしてたものが、実は過去の失敗の連鎖に過ぎなかったという事もよくありうるのである。

 
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