Emmanuel Etienne 中嶋哲史

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Emmanuel Etienne 中嶋哲史
@ema_credo
幼児洗礼でカトリック受洗(受洗はカトリック吉祥寺教会)。その後無神論者として神と関わりのない人生を過ごしてきましたが、60過ぎて回心、現在はカトリック上野毛教会所属。信者の方も、信者でない方も、どうぞお気軽にお付き合いください。リベラル左派クリスチャンです。
世田谷Joined February 2023

Emmanuel Etienne 中嶋哲史’s posts

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「……しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(マタイ5.44-45)
もう女子高校生のスカート制服をやめたらどうですか。スカートとスラックスの選択制にすればいいだけでしょう。皆同じでなければならない、決まりは変えられないなんて異常な国です。
本当に日本の政治家たちっていったい何がしたいのかさっぱりわかりません。関心があるのは自分の利益だけだとしても、その利益を生み出すのは国民なのだから、国民生活を貧しくしていけば自分たちの利益もいずれは枯渇するのに、収奪だけはやめられない。愚かとしか言いようがありません。
ぼくには日本はもうあらゆる面で世界について行けなくなっているように見えます。日本人の能力が特別低いとは思いませんが、視野の狭さ、思考の射程の短さは争えないように思います。時代を切り開く新しい思想や技術が生まれるはずもありません。このどんよりした状態がいつまで続くのでしょうか。
斎藤元彦、立花孝志、石丸伸二、河合ゆうすけ、デヴィ夫人……。自民党の凋落が見えてきたらこんなのばかりが出てきて、本当に日本人の頭大丈夫なんですかね。
山上容疑者の裁判が開かれないのは、政権にとって致命的な事実を隠すことが難しいからでしょう。何らかの司法取引が行なわれているに違いありませんが、それが難航しているのだと思います。法律より政権護持の方が重要な国ですから。
日本社会は、悪いことをしても法に触れていなければよいというところから、法に触れていても警察・検察が動かなければよいというところまで前進したようです。「法の支配」なんてどこの世界の話でしょう。
今度の万博がなぜだめなのか。それは徹底して主催者目線、経営者目線で作られ、主催者利益、経営者利益しか頭になく、利用者は完全に無視され、要は収奪の対象でしかないからでしょう。それを美辞麗句で粉飾はしているけれど、初めから馬脚は現れているのです。典型的な維新のやり方です。
例のとんでも本の出版社は「読んでから批判してくれ」と言っていますが、これは販促の思う壺です。こういう本については買わない、読まない、語らないというのが正しい対応でしょう。世の中にはもっと読むべき本が読み切れないほど溢れています。人生の限られた時間を無駄にしないように。
大阪万博もきっちり計画が練られ、あらゆる事態を想定した対策が立てられ、反対派のどんな突っ込みにも即座に的確な回答が出せるなら、なるほど敵ながらあっぱれだとも思いますが、きっとそんなことは面倒でコスパが悪い、とにかくやっちまえばこっちの勝ちという姿勢が見え見えでうんざりするのです。
人のいのちがどんどん軽くなっていく現実を前にして、そういう社会を率先して作り出している側の人間が「いのち輝く未来社会のデザイン」なんて言うのは、悪質な冗談以外の何ものでもないですよ。
本当に何度も言っていますが、別に左翼政権でなくていいのです。世界標準のまともな普通の民主主義政治が行なわれるならば。それは日本にとっては簡単なことのはずなのです。日本国憲法の文言と精神を実行する政治を行なうだけなのだから。だからこの憲法だけは一歩も後退させてはならないのです。
ぼくは共産党だけでなくれいわもとても重要な政党だと思っているので、両党の支持者同士がいがみ合う姿は非常に困惑します。両党の性格や色彩は対照的といってよいぐらい違うので協力は難しいと思うのですが、互いにリスペクトし合いながら、うまく棲み分けができないものかと思います。
そもそも、自力で生活できなくなった人の最低限の生活を保障することを「負担」と考えることが間違っているのです。それは社会が当然行なうべき「分かち合い」です。破壊と消尽しか生まない軍事費よりはるかに価値の高い有用な支出です。
石破茂を支持する気持ちは1ミリもないけれど、安倍・菅体制から少し距離を置いた姿勢は評価していたのに、やはり党内反動が大きいようで、再び安倍・菅体制に戻るのでしょうかね。高市総理なんて最低最悪の選択でもうゲームオーバーだと思うのですが。
世界は大きく動いているのに、斎藤元彦とか石丸伸二とか立花孝志とか暇空茜とか、問題のスケールの小ささ、次元の低さにうんざりします。
クルド人は皆殺しだなどということが公然と言われるのだから、関東大震災時の朝鮮人虐殺や、南京虐殺は間違いなくあったということを図らずも確信させてしまうわけですよ。日本人てそういう国民なんだなって。
本を読まなくなった    ↓ 受験学力はあっても教養がなくなった    ↓ 事象を多角的に分析したり、他の事象と関連づけることができなくなった    ↓ 加えて、デジタル社会になった    ↓ 短絡的思考の人間ばかりになった    ↓ 社会が問題解決能力を失った    ↓ 日本終わった
新自由主義は特定の誰かを金持ちにするかもしれないけれど、社会を豊かにはしないし、個人を幸福にもしない。それはこの四半世紀ではっきりと証明されました。これだけで新自由主義を否定するべき十分な理由となると思います。
この異常な兵庫県の状態に対して警察の動きがあまりにも鈍いのは、やはり背後関係が存在することを疑わざるを得ません。立花孝志は金と力を持つ誰かに守られているのでしょう。間違いなく、これは日本の闇です。
暇空茜や立花孝志がこの社会に対して強いルサンチマンを持っているということはよく分かります。その攻撃の矛先がリベラルやフェミニズムに向かうのは、女性やマイノリティが不当に優遇されているという恨みでしょう。これは下の子ができたために赤ちゃん返りする上の子と同じメンタリティです。
検察が機能しないというのは生体で言えば免疫細胞が機能しないということです。日本は免疫不全に陥っているということです。そう長くはないでしょう。
教皇フランシスコの葬儀は26日になったそうですが、トランプはいち早く夫人と共に出席することを表明しました。すべての政府機関に半旗を掲げるよう命じるなど、トランプの政策に批判的な態度を隠さなかった教皇に対する反応としては意外と受け取られているようです。教皇の死の直前、最後に面会した
せめて検察が法の支配に相応しい仕事をしてくれれば、もう少し日本に希望も持てるのですが。昭和の時代、検察や警察、霞が関の高級官僚たちは、決して国民の味方ではありませんでしたが、法に基づく近代国家の原則はきっちり守っていたように思います。法曹エリートたちの堕落。目を覆うばかりです。
人間は不平等で生まれてくるし、生きている間に様々な不幸に見舞われるものです。そうした偶然に抗って不幸な人を救い出すのが政治なのに、今の政治は偶然の不幸を放置するばかりか、新たに人為的な不幸を作り出しているのです。
日本人で特定宗教を信仰する人は少数派ですが、その代わりなのか、特定政党や政治家、政治的立場に対する態度はまるで宗教のようです。
日本政府にはあまりにも嘘や隠し事が多すぎます。政府がきちんと説明責任を果たさないのは、国民を主権者とは考えていないからです。すべてを明らかにした上で国民の判断を仰ぐ。それが当たり前の民主主義でしょう。
石破氏の豹変ぶりを見ていると、この国を治めているのは決して総理大臣ではなく、得体の知れない「空気」なのだということがよく分かります。これでは総理が変わっても、表紙が変わるだけで中身は何も変わらないと言われる通りのことが起きただけです。
あの戦争中だって、日本中の都市が空襲にあい、多くの国民が生活を奪われ食糧にも困窮し、成年男子は戦場に送られ多くが戦病死し、挙句の果てに原爆を2つ投下されても、国民の中から戦争を継続する政府を倒そうという動きは一度も生まれませんでした。日本人というのはそういう国民なのです。
権力を批判する、日本を批判する、日本人を批判する。それはそれぞれがよりよくなって欲しいと願う日本人自身の権利でもあり義務でもあり、決して日本ヘイトなんかじゃありません。
日本の権力者は正論が嫌いです。否定しようのない正論を言われて反論できなくなることを死より恐れているからです。正論には聞かない、知らない、答えないようにして、あらゆる力を使って口を封じます。あの憲法さえなければと思うのももっともです。
人権は大嫌いで、戦争は大好きな自民党が変えようとしている憲法なのだから、人権が制限され、戦争ができる憲法になるに決まっているじゃないですか。
今の日本、確実に「できないこと」が増えているように思います。以前なら当たり前にできたことが少しずつできなくなって来ている。身体なら何か重大な病に罹っているのではないかと疑うような状況です。
日本の多数派の皆さんは、本当に素直に胸に手を当てて考えて、こんな政治でいいと思うのですか? こんな検察庁でいいと思うのですか? こんな財務省でいいと思うのですか? こんな政府でいいと思うのですか? こんな社会でいいと思うのですか? ぼくには理解できません。
日本の大陸進出は間違いだった、太平洋戦争は間違いだった、心から悔い改めなければならない罪だったという衷心からの反省がなければ、同じことを何度も繰り返すことになるでしょう。
韓国人の考える民主主義:法と正義に基づいて、間違った権力には体を張って抵抗する。 日本人の考える民主主義:どんなに酷い権力であっても黙って従い、抵抗する者を「反日サヨク」と罵る。
万博はもう成功とか失敗とかのレベルを超えて、閉幕まで犠牲者が出ないことを祈るようなところまで来てしまいました。いくら二匹目のドジョウの夢に目が眩んだとはいえ、あまりに杜撰じゃないですかね。
日本では学者や法律家が左翼に見えるようだけれど、彼らの多くは政治的には中立なのに、ただ合理的、理性的であるだけで日本では左翼とされてしまうということでしょう。左翼と思われたくないばかりに合理や理性をねじ曲げるのは、学者や法律家としての自殺行為だと思います。
何か明日にでも南海大地震が来るような対応が始まっているけれど、大地震への備えは常に必要なことであって、今が特に危険な状況だということではないでしょう。日本列島はいつも危険なのだから。JR東日本まで列車の速度を落とすなら、原発を廃止する方が先でしょう。
日本は民主主義、国民主権の国だというのが最高の欺瞞であって、日本は明治以降一貫して政官財が支配する専制貴族制国家です。選挙と議会はそれを隠蔽し、民主主義を偽装する制度にすぎません。戦後のほんの一時期、本当の民主主義を希求する動きはありましたが、それも一世代だけで元に戻りました。
日本人は嫉妬深いのです。病者や障害者、女性や困窮者を優遇しているように見える公的な支援が憎らしくてたまらない。生産性が低下するとか逆差別であるとかは後から付けた屁理屈にすぎません。
斎藤元彦ってどう見ても器の小さい人間にしか見えません。清濁併せ呑むような大きさはまったく感じられません。パワハラも結局は地位が自分のキャパを超えていることを隠すための虚勢でしょう。記者会見のおどおどした態度は見てる方が心配になるほどです。こんな人に知事が務まるのでしょうか。
西田発言のようなものに言及はしたくないのですが、慰安婦像や朝鮮人慰霊碑の撤去などの流れに乗った、日本の負の歴史を隠蔽する策動の一環であるだけでなく、若くして命を奪われた日本人被害者の霊に対する冒涜であり、同じ日本人として許されざる発言だと言わざるを得ません。
自分は何も生み出さず、投資や金融、公共事業の中抜、労働者の斡旋、買占めと転売、フェイク情報等々で儲けることが「賢い儲け方」となったら、そりゃ社会は崩壊するでしょう。
立憲民主党はもう国民の生活が第一という政党ではなくなりました。それにしても、日本は国民の生活が第一と言うと政権が遠のいてしまう不思議な国です。
日本人は個人としているときはまともでも、組織に入ると狂うのです。だから組織は上へ行けば行くほど、おかしな人だらけになります。国という組織もその例外ではありません。
イエスは当時のユダヤ人社会から抑圧され蔑まれ周辺に追いやられていた病人、娼婦、徴税人の側に立ち、迷い出てしまった1匹の羊のために99匹の羊を置いて救い出し、たとえ父に背き放蕩の限りを尽くしても、心から回心し父のもとに戻れば大喜びで迎えてやり、たとえ姦通の罪を犯した女であっても、
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要人はヴァンス副大統領でした。ヴァンスは教皇に感銘してプロテスタントからカトリックへ改宗したそうです。面会も個人的希望からのものでした。改めて教皇の影響力の強さを感じます。葬儀には各国の首脳が集まるようですが、石破さんもクリスチャンなのだから、行けばいいのにと思いますけどね。
こうした自然災害を利用して改憲の空気を作ろうとする動きが起こるでしょうが、大地震はいつでもどこでも起きるのであって、起きたら起きたで精一杯の対応をするしかないのです。人の命と生活を守るという本気の意志がないならば、緊急事態条項などあっても、国民には何の救いにもなりません。
帰化をすれば名実ともに歴とした日本人なのに、どうして議員になってはならないというのか、これも摩訶不思議な日本人しぐさです。
れいわのことを悪く言いたくはないのです。国民の側に立っている政党であることはよく分かっているから。しかし、独善に陥りそうになっていないか気になるところです。国民のために働いている政党は自分たちだけで、他の政党は結局国民のことなど考えていないとならないように。
成功したければ、金持ちになりたければ、睡眠時間を削り、嫌な相手にも媚びへつらい、食えと言われたら何でも食い、飲めと言われたら何でも飲み、行けと言われたらどこへでも行き、セクハラ・パワハラ何のその、俺たちは皆そうしてきたんだという体育会系マッチョイズムは御免蒙ります。
本気で社会の知的レベルを上げないと、この先立ち行かなくなるのは必定です。皆が気づいて対策を始めたって、結果が出るのは30年以上先になります。今すぐ始めるべき問題です。学校教育だけでなく、大人の学び合い(社会教育)も必要です。
東大や京大を出ただけでは「優秀」とは言えません。少し人より秀でた能力があるならば、それを人々のために使って初めて「優秀」と呼べるのです。
国に貢献しているのは高額納税者ではありません。労働者です。労働者は納税額の何倍もの富を生産しています。自分が受け取れる富はその一部に過ぎません。しかもそのわずかな富からも税金は引かれます。国政において誰が優先されるべきかは明らかです。
情けないけれど、日本は外圧でしか変われない国です。ただ、外圧で変われるうちはまだよいのであって、外圧でも変われなくなったらいよいよ危機の時です。
ぼくは一般的なごく普通の日本人は現代世界に適応できていないのだと思っています。だから政権交代も起こらないし、経済成長もできないし、セクハラ、パワハラが当たり前だし、リベラル左派政党もできないし、デモもストも起きないし、外国人やマイノリティ差別はやまないし、人を大事にしないし……
所得が低く生活に困窮する人を、所得が高く担税能力のある人が、行政を介して支援していくことは、人間として当然のことだと思います。
民主政は必然的に衆愚に堕落していくことは、すでにプラトンの時代から指摘されていたことで、民主主義だけでは政治が正しく機能しないことは、西洋社会ではむしろ常識だと言ってよいでしょう。だからこそ民主政が正しい軌道から逸脱しないように、憲法が制定され、共和政体が構成され、権力の分立が
病者、障害者、高齢者、貧困者等々は、皆口には出せない、人には言えない苦悩を抱えて生きているのです。他人にはその苦悩を解決することはできないけれど、せめてその苦悩の上にさらなる苦悩を負わせることにならないよう気遣うというのが、人として取るべき態度だと思います。
つくづくと、愛(隣人愛)のない国だなあと思います。国民を大事にしない政治、いじめやパワハラの横行、毒親やモラハラ、女性差別・障害者差別・外国人差別、誹謗中傷の応酬、冷笑、無視、蔑視等々。こうしたことはすべて愛の欠如ではないですか。
自分たちがずっと学び、大切にしてきた近代社会の理念や価値、例えば自由、平等、人権、平和、理性といったものが根底から崩れていく様子を日々見せつけられて、本当に呆然とする毎日です。しかし、こうした時代だからこそ、改めてこれらの理念や価値の大切さを訴え続けるべきなのだと思っています。
日本社会は確実に制御不能状態に向かっているようです。善悪の基準を失って、何が正しいかは一概には言えないなどと嘯いているうちに、本当に善悪が消えてしまったようです。暴力、腕力と金力だけが支配する世の中です。理性ある人々は地下に潜るしかないのでしょうか。
すべての人は平等であるということ、すべての人の幸福を願うこと、誰一人たりとも取り残さないこと。こうした考えのない人は我々の代理人(政治家)としてふさわしくありません。
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私は罪に定めないと言って赦したわけですが、これはまさに教皇フランシスコの行ないそのものでした。彼が一人の人間として素晴らしい人格者であったことは言うまでもありませんが、彼の行動が神の導きの下にあったのは確かなことです。だから彼は我々キリスト教信仰者にとっての模範なのです。
自分を批判する文書を出した県職員にブチ切れた斎藤元彦に比べると、初登庁で幹部職員に名刺を折られても処分することもなく、2期務めた田中康夫は立派だったなあと思います。この間に日本人が劣化して、器が小さくなったということなんでしょうね。
この日本という国、あまりにも軽すぎる。誰も本気で、真面目に、命をかけて、真剣に考えることはない。そういう人を冷笑し、軽やかに、格好よく、小賢しく、見てくれと帳尻合わせだけに腐心する。中身のないスカスカな国。
国が貧しくなったからといって、どうして誰かを犠牲にしようという考えしか出て来ないのでしょう。貧しくなったのなら皆で分かち合おう、そしてそこから皆で豊かになろうという考えがどうして生まれてこないのでしょう。
昨夜は教皇様の映像を探して、東京ドームの5万人ミサや長崎のミサ、上智大学での講演とか立て続けに観たのですっかり寝そびれてしまいました。改めて教皇様の偉大さと共に、フランシスコ以上に素晴らしい教皇様は現れるのだろうかと一抹の不安も覚えます。映画『教皇選挙』の枢機卿たちとは違って、
原発というのは、「今だけ、金だけ、自分だけ」の典型です。たとえ事故を起こさなかったとしても、核のゴミというとてつもない負の遺産を将来世代に残すことになります。万一重大事故を起こせば多くの人の命と生活を奪うことになるのです。決して倫理的に許されることのないエネルギー源です。
日本はもう終わっているのではなく、まだ始まっていないのだと思います。ただ、始まりたくなくて始まることを何とか阻止しようとする人が多いので、なかなか始められないのです。始まることを恐れることはありません。世界の人は皆普通に行なっていることなのですから。
兵庫の件は、倫理や規範がすっかり崩壊した今の日本社会の縮図です。全てのプレイヤーは金のため、ひたすら自分の金のためにあらゆる手を使ってうごめいている。他者特に弱者への関心、よりよい社会への関心など皆無です。政治の崩壊はいったいどこまで広がっていくのでしょう。