家に帰ろう 8千キロ歩いて 1920年代アメリカ NYから車の誘いは全て断り徒歩の旅を続ける女性がいた 非常に無口で「シベリアに行きます」としか言わない彼女はボロボロの服で左右違う男性用の靴を履き、護身用に鉄の棒を持ち4年間山林や荒野をひたすら歩いた 判明してる足跡だけで8千km以上になる↓

May 13, 2025 · 6:47 AM UTC

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彼女の名はリリアン・アリング 1896年か1900年生まれで、寡黙な彼女や周囲からの断片的な情報からはポーランドかベラルーシ、ロシアのどこかから放浪癖のある婚約者を追ってアメリカに来ている 婚約者は見つからず、NYでの暮らしに疎外感も感じたアリングは帰国を決意 1926年までNYで汽船の渡航費を
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貯めるべく必死に働くが、これは非常に高額で全然足りず図書館に向かう そこでシベリアまでのおおまかなルートを構築 まさか歩いて帰ろうとしてるのか?と思うがそのまさかだ 彼女は婚約者ではなくロシア革命から逃れた説や、病気の家族に下に向おうとした説もある そしてその年のうちに出発
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1日48kmのペースで進む彼女が歴史に現れるのは1927年9月10日 カナダ西端ヘイゼルトンから北97km地点で職務質問を受けている 当時画期的だった露米電信網構築の為二人が競っていて、その一人ペリー・コリンズが築いたユーコン・テレグラフ・トレイルという山林の中の小径があった
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隔絶の地を命懸けで切り開き、多くの犠牲者も出た難事業だったが、彼のベーリング海ルートは失敗 しかし途中に数々の町ができた この電信網の保全の為に31~48kmごとに作業員の保全小屋があったんだよ その一つキャビン2の電信作業員はボロボロの風体で明らかに栄養失調状態の彼女を発見して驚愕
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心配して声をかけるもアリングは歩みを止めず「シベリアに行きます」と言うだけ 作業員は当局にすぐ連絡 ワイマン巡査が現場に来たけど、もうすぐ冬だしこのまま行かせると結果は明らかで非倫理的だと感じ、行かせてくださいと懇願する10ドル札2枚と4.6mの鉄の棒を持つ彼女を浮浪罪で逮捕
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鉄の棒は護身用で野生動物に使ってませんなどと主張した彼女だが2か月間模範囚が入るオーカラ刑務所農場に収監 命を守るための措置だった 厳冬期が終わり釈放されるとバンクーバーのレストランで働き再び資金調達し出発 ペースは一日48~64kmに上がっている ここから足跡が分かりだすのだが、
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なぜかというとカナダ・ブリティッシュコロンビア州警察が彼女の情報を共有し、安全確認の為にテレグラフトレイル沿いの各キャビンを訪問する様アリングに頼んだからだ 警察情報で立ち寄る町では彼女を待っていることもあった 電信作業員達も彼女を支援し、訪問したアリングに衣服や食事を与えている
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彼女が男性用の服を着て靴がバラバラだったのはこの為だ 電信網の保守作業には土地柄犬ぞりが不可欠で小屋に犬達がいたんだけど、1928年9月28日にキャビン8を訪れたアリングに、一人じゃ寂しいだろと作業員ジム・クリスティさんがブルーノという犬を彼女に譲っている ポスト最初にいた犬がそう
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ブルーノは悲しいかなクズリ(貂熊・ウルヴァリン)用に仕掛けられた毒餌で亡くなってしまったが、生涯彼と共にいると誓っていたアリングさんは剝製にしてブルーノと共に歩んだ ドーソンの町にたどり着いた彼女はコックとして働きボートを購入 寡黙で会話や人付き合いを避け続けミステリーウーマンと
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して知られる存在になっている 8か月の不可解な滞在でいい男性ができたという伝聞もある 古いボートを修繕し、郵便局員が彼女を見たというノームを経てアリングは1929年遂にベーリング海峡に到達、したと思われる ここから情報が錯綜 1943年にイヌイット人が回想した内容によると、北米最西端に近い
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集落テラー周辺で一人の女性を見たという 「彼女はわずかな荷物が入った荷車の様な機械を引いていた。荷物の上には奇妙にも死んだ白黒の犬がいたのさ。だが足跡は増水した川のほとりで途切れておったのだ。可哀そうにな。」 アリングの特徴にかなり近そうで、長年海峡付近で亡くなったと思われていた
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しかし1975年に驚くべき情報が現れる この年に出た雑誌トゥルー・ウェスト・マガジンにアリングの旅が紹介されるとある投稿があった エルモアと名乗る読者によると彼が1965年にロシア人の友人から聞いた話としたうえで、そのロシア人が1930年に体験した奇妙な出来事が綴られていた
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彼はノームの西240kmのロシア領プロビデニヤの海岸にいたんだけど、浜辺で数人の役人が誰かを尋問してるところに出くわした 外国同士だけど先住民族には関係なく普通に行き来があり、船賃を払えば外国人も渡れた 当局はまあ黙認したり捕捉しようにも中々できなかったんだけど時折こうやって捕まる人も
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そこには尋問される3名のディオミード諸島(画像中心)のイヌイット男性と一人のコーカサス人の女性がボートの近くに立ってた 女性は自分はアメリカでは部外者だった、ここまで必死に歩いた、故郷に向かう、私はようやく帰った、というような事を話しているのをそのロシア人は聞いたという
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この女性がリリアン・アリングだったかは誰にもわからない 寡黙な彼女はこの旅を生涯誰にも話さなかっただろう でも彼女だったらいいなと思うよ この物語は時を経ても人々を惹きつけ、本や映画、舞台やオペラ作品になっている canadashistory.ca/explore/se…
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