「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
私は若い人たちと聖書を読み、メッセージを伝えています。素晴らしい仕事で、講義の後は幸福感に包まれます。しかし、いつもではありません。
ある日、学生の状態と私の話がうまくかみ合わなかったのでしょう。彼らの反応に深く傷ついたことがあります。まるで、ガラス窓のそばにいた私に誰かが誤って大きな石をぶつけ、その破片が全身に突き刺さったようでした。
午後はあいていたので、講義を終えるとすぐに教会に行ってミサに与りました。福音の朗読も、神父さまの講話もまだ始まる前でしたが、祈りの言葉を聞き、聖堂にいるだけで傷だらけの全身に温かく、清らかなものが注がれました。
傷を負った動物がきれいな泉に近づいて水を飲み、身を浸したような状態です。神さまの愛が身体の隅々に染み渡ったのです。生徒の状況、私の限界、そのすべてをご存知のイエスさまが私を抱きしめてくれたと感じました。
私の拠り所は、この方以外にはありません。イエスさまは、安心して身を寄せられる私の「盾」です。人は、苦しみや問題にぶつかると、なぜこんなことが私に起きるのか、この人生にどんな意味があるのか、と疑念を抱きます。そして、なぜ私は生まれてきたのか、と考えることがあります。私も長い間その疑問をもっていました。しかし、この問は、自分の中をいくら探しても答が出ません。
私が存在しているのは、自分の意志ではなく、神さまのご意志だからです。私には、神さまが私を愛し、お望みになったから私がいる、とわかる体験がかつてありました。
ですから、苦しいときは、神さまのもとに走り、胸に抱きしめられると「これでいいんだ。私を造られたのは神さまだから間違いない」と思えるのです。