マジか…「化石は、ノアの洪水で死んだ生物のもの」…じつは、18世紀まで理解されなかった、地球に「地形ができるわけ」

宇宙で唯一の生命を育んだ「海」、あたりまえのようにそこにある「山」、そしてミステリアスな「川」……。地球の表情に刻まれた無数の凹凸「地形」。どうしてこのような地形になったのかを追っていくと、地球の歴史が見えてきます。 

「地球に強くなる三部作」として好評の『 川はどうしてできるのか 』『 海はどうしてできたのか 』『 山はどうしてできるのか 』を中心に、地形に関する選りすぐりのトピックをご紹介します。 

先の記事では、海(海底)の地形をも視野に入れて山を見ると、また違った展望が開けるというお話をご紹介しました。 

今回は、 さらに時間的視点、特に人々の山に対する理解の変遷から山を見ていきます。

*本記事は 川はどうしてできるのか 』『 海はどうしてできたのか 』『 山はどうしてできるのか (講談社・ブルーバックス)の内容を、再構成・再編集のうえ、お届けします。 

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なぜそこに山があるのか

日本列島は四方を海に囲まれていますが、どこにいても必ず山が見えます。だから私たちは「山がそこにある」ことを空気のように当たり前に考えています。しかし、山があることは決して当たり前のことではありません。この世界には山がまったくない広大な平地もあり、実物の山を見ないまま一生を終える人も少なくないのです。

もしそんな場所に住む人が山と出会ったらどれだけ驚くか、想像に難くありません。それは熱帯に住む人が雪を見たとき、山の中に住む人が大海原を見たときに勝るとも劣らない感動でしょう。そして次には、必ずこう思うでしょう。

「なぜ大地がこんなに高く隆起したのだろう?」

しかしこの問いは、初めて山を見た人だけのものではないと思います。山に慣れ親しんでいるつもりの私たち日本人も、この問いにきちんと答えることは難しいのではないでしょうか。「そこに山があるから」とマロリー*の真似をして答えてみても、「なぜそこに山があるのか」とさらに問い返されるだけです。

この問いに科学的に迫ることは、山について、ひいてはみなさんが毎日なにげなく踏みしめている地面、つまり地球についての固定観念をも覆すことになるでしょう。

*マロリー:イギリスの登山家・ジョージ・マロリー((George Herbert Leigh-Mallory、1886〜1924)。3次にわたるイギリスのエベレスト遠征隊に参加し、エベレスト頂上付近で行方不明となった(75年の後に遺体が発見される)。「なぜあなたはエベレストに登りたかったのですか(Why did you want to climb Mount Everest?)」との質問に対して、「そこにあるから(Because it's there.)」というエベレストを指して答えた、という逸話が、さらに「そこに山があるから」と意訳され定着した。

【写真】ジョージ・マロリー
ジョージ・マロリー photo by gettyimages

時間的視点

子どもの頃に毎日、比叡山を眺めていた私は、比叡山を自分の部屋という一点から眺めていたにすぎません。四季折々の変化は見えていましたが、違った角度からは比叡山を見ることはしませんでした。山を見るためには、その視点をいろいろと変える必要があります。

【写真】京都市から見た比叡山
著者が慣れしたんだ、京都市から見た比叡山の姿 photo by gettyimages

正面だけでなく裏から、横から、とさまざまな角度から見るだけでも、山の表情は一変します。しかし、それだけでは足りません。海の中の山や、海底の地形について取り上げた先の記事でも述べたように、海から山々を見ると、 陸上で見ているのとはまったく違った様相を呈するのです。さらには空から、もっといえば宇宙空間からの視点もあります。実際に宇宙に出ることはできなくても、それだけのスケールに山をおいて眺めると、新しい発見があります。

また、逆にうんと接近して山を見ることも重要です。山をつくっている岩石の、さらに岩石をつくる鉱物の細かい構造を見ることは、山を理解するうえで欠かせません。

「視点」を変えれば、山はもっと理解できる

これらは空間的な視点の移動ですが、それとともに必要なのが時間的な視点です。

1年間、四季折々の変化のみならず、山は100年、1000年……100万年というオーダ ーで見れば劇的に変化しています。その動きをとらえなくては、山を見ることになりません。

山について考えることは学問では地球科学という分野の仕事になりますが、このように対象を空間的・時間的に視点を変えて見ることは、地球科学に限らず、あらゆる自然科学に求められる基本的な姿勢です。

さて、個々の山ができた背景には、個々の理由が存在します。しかし、山を「山脈」という大きな集合体として見ると、その成因には統一的な理論があるはずだと昔から考えられてきました。

ここからは、「山の成因についての統一的な理論」を通して、人々の山に対する理解の変遷の道のりをたどっていきます。

最初の人類が見た山

人類が地球上に出現したときから、山は謎の多い魅力的なものだったと思われます。人類が誕生した約600万年前(最近では700万年前という説もあります)のアフリカでは、きわめて活発な火山活動、それも東アフリカの大地を引き裂くような大規模な活動が起こっていました。その圧倒的な光景は、人類の心象風景の原点になっているのではないでしょうか。

【イラスト】大規模な火山活動は、人類の心象風景の原点となったかもしれない
東アフリカで起こった大規模な火山活動は、人類の心象風景の原点となったかもしれない illustration byu gettyimages

人類はその後、5万年前頃にはアフリカを出て、ヨーロッパからアジア、そしてベーリング海峡を越えてアメリカ大陸、中米を経て南アメリカ南端のフェゴ島にまで達します。「グレートジャーニー」と呼ばれる大移動です。この間、氷河期の大きな気候変動を経験しながら、やがて定住して農耕社会を形成し、都市を作り、文明が形成されていきます。

その間、地球環境は大規模に変動していました。たとえばインドネシアの北にある現在の大陸棚スンダランドは、2万年前頃には海面が現在よりも100mも低かったため広大な陸地になっていました。ところが、およそ6000年前に気候が温暖になり、氷が溶けはじめたため海面が高くなります。したがってそこに定住した民族は土地を放棄して太平洋の島々への移住を余儀なくされ、海洋民族へと転換していきます。

【図】人類の拡散を示した図
人類の拡散を示した図 figure by User:Dbachmann, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

この「グレートマイグレーション」ともいうべき大移動の間に、人類はさまざまな山脈を目の当たりにし、あるいはそれらを越えて、新しい大地をめざしたのでしょう。

文明の誕生と、「地質学的な視点」による山

やがて世界に四大文明が勃興(ぼっこう)します。それらはすべて大きな河川の河口に発達したことはよく知られています。ナイル川のエジプト文明、チグリス・ユーフラテス川のメソポタミア文明、そして黄河文明、インダス文明。いずれも河川の豊饒(ほうじょう)な恵みを享受する一方で、氾濫(はんらん)との対決によって土木技術や学問がめざましく発達したことが高度な文明につながりました。

【写真】河南省を流れる黄河
河南省を流れる黄河。河南省、陝西省および山西省にカテは、紀元前5000年から紀元前2700年にかけて黄河文明前期を代表する仰韶文化が栄えた photo by gettyimages

しかし、この四大文明にはもうひとつ共通点があります。いずれも北半球の北緯30度近辺に位置しているのです。くわしくは述べませんが、これはヒマラヤ山脈という巨大な存在が、これらの土地の気候・風土を農耕に適したものにしたからではないかと考えられています。

【写真】四大文明の成立に関わったヒマラヤ山脈
四大文明の成立に関わったヒマラヤ山脈。インド北部ラダック地方、スピティ渓谷の風景 photo by gettyimages

山脈は文明の形成にも影響を与えてきたようです。

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