世にゴミ屋敷と呼ばれる存在があります。住人さんが家にゴミを集めてゴミ屋敷にして住んでいるわけです。近所の住人さんが困って、行政などの力で撤去作業が行われて綺麗に片付いたかと思うと、またもやゴミ屋敷化してくるわけです。
こうした番組を見ていますと、あることが見えて来ます。それは病気だと言えば、医学的には病気と言えますが、家主に霊の憑依が見られます。
霊媒質の方を見ていますと、顔の表情がコロコロ変わります。霊媒質だと霊が懸かりやすいので霊が憑依していて、その霊の意識が本人の意識に流れ込んでいて喋っておられるがあります。しかし、本人さんの魂がしっかりしていれば、別に憑依されてもさほどの問題はないのです。
しかし、本人の魂がしっかりしていないと、憑依された霊によってあらぬ方向に走ってしまわれるが起きます。本人さんは憑依で動いているとは思わずに気分転換などと言われるでしょうが、憑依された霊の気分で動いてしまわれるがあるわけです。
特に過去世においてシャーマンの様な職にあった方は、そうした兆候がママ見られるわけです。
霊と呼ばれる存在は、本人に霊が懸かっているからその霊を通して違う世界の光景や霊が見えて来たりするわけです。
実在の肉体(実数)×(懸ける)0(霊)=0(霊)となり、霊(0)が見えるなのです。数学の問題なのです。ですから、霊の懸かりが無くなると霊的なものは見えなくなります。霊的なものが見えている間は霊的な存在が言う言葉に振り回されるも起きます。見えない世界を知るのは簡単ではないのです。しかし、霊的な世界が在るという認識には立てるわけです。
人は霊(ヒ)止(ト)で、霊を止めている者の意です。で、人の肉体は霊魂の服に当たるわけです。
霊的な存在が見えるのが良いのか悪いのか。見えない方が良い場合もあるわけです。しかし、見えないことによって、何をしても自由なのだという間違った考え方が蔓延ったのも事実なのです。
ゴミ屋敷の住人の方には、汚い場所を好むような霊が憑依しているのが見受けられる時があります。それで綺麗に片付くと、その憑依していた存在がその家や土地が綺麗になったことで住みにくくなって離れることで、その方の表情が以前とは違っているのが見えて来ます。だが、またゴミを集め出すと元の憑依霊が戻って来て、そこをゴミ屋敷にしてしまうわけです。その人の根本の意識を変えると言うか、本人の魂を浄化しないと同じ過ちを繰り返してしまいます。
奈良の騒音おばさんの時もテレビで見ていますと、霊能者ならば見えるものがあったかと思います。どうして霊能者があの騒音おばさんの家に行って浄化してあげないのかと疑問で見ていました。
ブログの世界では、光を降ろして土地を浄化しますと言っている方が多数おられます。本当にそんな力があるならば、ゴミ屋敷や騒音おばさんの家に伺って、浄化されたら簡単な話です。別にその土地まで行かなくても、イメージすれば遠い場所も光を降ろして浄化すると豪語しておられるのですから、出来ると思うのですが。
私は光を降ろして浄化するなどの力はありませんから、偉そうなことは言えませんが、そんなに簡単に出来るのならば、自分の家からどんどん浄化してあげますよ。無償でね。でも、私の実際の体験は浄化などそんな甘い作業ではなかったのです。
私達が持っている魂も掃除(祓い)をしないと魂は汚れてゴミ屋敷の様になって行きます。そうなると、汚れた霊が私達の魂に憑依して来ます。臭い魂の持ち主が出来るわけです。そうなると、自分は大きいぞ!と臭(自大)い話をしだします。
そうした時、光を降ろして浄化しますと言う方に頼んで、仮に魂の浄化(掃除)が出来たとしても、一時的なものにしか過ぎません。何故ならば、本人の意識(心)を立替しないと、またもやその魂をゴミ屋敷状態にしてしまうからです。
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