世の立替に関して説いておられるブログの方達の中には、既に新しい世に向かう選定が終わった。もう神を説く必要はないとランキング撤退などが出て来たようです。
霊的世界全体を見た時には誰にでも解るではないでしょうが、ある部分だけを見ると既に選定は終了していると言える面もあろうかと思います。例え僅かな数の人であっても、新しいみろく世に旅立っていると思われるケースが解って来たならば、選定は終わっている。もうブログから撤退と考えられる方もあるでしょう。
この世を去る人があったから、選定が終わった?。それでは、話はおかしくなります。この地球に関わる今日までの霊界に旅立ったのではなくて、聖書で言えばヨハネの黙示録に書かれる私は新しい天地(日本ではみろくの世)を見たの新しい世界に旅立ったと思われる存在を見たからでしょう。言うなれば、早い人は潮目の変化を読み取っておられると言うことでしょう。
予告されて来た魂世界の大立替とは、宇宙の全魂を上・中・下の三段階に選定して、その格付けで永遠の世(∞)に入り込むことです。これまでは輪廻転生と呼ばれる仕組みの元に、魂世界の階段を上がっていたわけです。その格付けの選定が終わったとなると、もう魂を向上させる教えを説く必要は無いともなります。完全実施の時期は解らなくても永遠に住む次元が決まったことになります。つまり、今日まで魂を向上させる為に【悔い改めなさい】が説かれて来たわけですが、もうその必要は無いと言うことにもなります。
宇宙開闢以来、三千世界の大立替と予告されて来た出来事ですので、今日明日に立替を実施します。そんなことではないと思いますが、各々の魂が行く先の選定は天帝の手により準備に準備を重ねられて来たのだと思われます。その警告を何時終えるかです。警告とはその大立替が全面的に起きるまでとは思いますが、選定が終わったとなると、その教えは悔い改めなさいではないわけです。別の教えにならなければなりません。
私が「米」教を説いたのは、ある本に朝鮮に残された予言として、最後の審判前に救世の為に「米」一字の教えが起きる。その「米」一字の教えに従った者達は創造神の元に進む者達で、神の「罰」から逃れられるが、そうでない者達の上には神の罰が起きる。ここから解き明かした教えが「人に内在する良心神」なのです。
だが、「米」一字(人に内在する良心神)の教えに従えなかった者達には神の罰の最中に「白十字」が現れて、神の罰を受ければその「白十字」によって救われるとあったのです。
どう考えても「米」一字の教えなどは出来ません。だが、私が歩かされた道は、その「米」一字の解読の道だったのです。それが大本教神諭予告「九つ花」の仕組みだったわけです。一輪の言霊の経綸です。
神の罰と呼ばれるものに入れば、もう解説者の私の出る幕はありません。しかし、白十字が何を意味するのか?。これは九つ花の「言霊」の理論ではないので、私も雲を掴むような話ではあるのですが、少しでも多くの人が新しいみろくの世、嬉し嬉しの永遠の世に向かわれるように意味の解読をしたいと思っています。
豊受の神は、貴方は言葉の〇(〇の字は伏せます)と呼ばれる方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔と同じこと。が、貴方に教えが出来る神などは存在しておりませんと伝えられて、誰からも教えて貰えません。ただ、子供の時に私に臨んだ声が、この国(日本のこと)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、この国の仕組みを見れば私の教えは出来ると言われたことで、それが日本語という言葉と社会の仕組みであると気付いただけのことです。
現時点で私に解っていることは、白十字ではなくて、大本教霊界物語の中で出口王仁三郎聖師が残された、〇に十字は弥勒の神の御紋章の神定めなりにあるのです。
左の写真は現在の大本教が使用している〇十です。
右の写真は私が解読した〇十ですが、バックの関係で黒字にしてあります。
その違いは〇の中の十字が離れているか、接しているかです。私が出したのは丸に十字が接する【薩摩】紋です。大本教が出している〇十は別の意味が出ます。

よく富士鳴門の仕組みが言われていますが、皆さんは日本一の【富士山】を考えておられます。私が見ていたのは「薩摩富士(開聞岳)」の風景でして、その時は何の意味か掴めませんでした。【開門(開聞)】です。神の鳥居をくぐることで、弥勒の世に連れて行ってもらうことですが、どこかの神社の鳥居の意味ではありません。
これは容易い方法で、主の存在を信じることで「みろく世」に渡れるので、九つ花の九里より甘い十三里(焼き芋)。十三の「ス」の神で「素直」に神を信じることなのです。大本教は「イロハ」でしたので「ス」は最後にあるでしょう。岡本天明氏の「ヒフミ」神示では第四十一位に「ス」神はありますが、それではどちらでも三六九(みろく)が成り立たないわけです。
「ス」の神論は三六九(みろく)の「米」の教えではないのですが、薩摩芋は「米」の代用食になりますので、神の罰で魂の罪や汚れの洗い流しを受けた後には助けられるわけです。受けずに済むものならば受けない方がいいので、良心神を説いたしだいです。
今回の五次元界に進級は「芋」でも充分なのです。素(ス)直に創造神と呼ばれる神の存在を信じることにあるのです。
その時は素直に主に栄光あれ!。主を心から讃えるにあるのです。
重要なことは、誰がこんな仕組みをしているかなのです。口先で「主」だとか「創造主」だとか言っている人間がしていることではないのです。それが理解出来ないようでは、口先で主だ!。創造神だ!。愛だ!。と言っているだけの者なのです。いくら自称天使だと名乗ったところで、こんな仕組みは出来ないのです。宇宙人だと言ったところで、よくても五次元界住人。今回は七次元界まで進級出来る仕組みだったので、【五六七】として出してあるのです。
私にはその方が何次元に進まれる魂なのかは解りません。それらは全てその方の魂の「円真(閻魔)」帳に記載されていることであって、立替の日までにその方がその段階まで滑り込めるかどうかは主の神信仰に舵を取られているその方の正守護神には解っていると思われます。それらも全て見越しての選定であり、「米」で良心神を言う人達は五次元~七次元神に昇格し、「パン」の教えで「主と他に与える愛」を説く人は五次元~六次元界にと向かい、主を讃える「芋」で五次元界にと向かうと考えられます。
いずれにしても、その「主」を神として認めないならば、それは聖書にあるヨハネが見たと言う新しい天地とは別の世界でしょう。
聖書にある神の花嫁の如く、新しい天と地に嫁ぐのです。
私が子供の頃に臨んだ声は、何もしないでいるのならば、永遠にこの地球で暮らしなさいでしたので、この地球に残るのも、それはそれでその人にとっては良いのかも知れません。ただ、私は主の元に帰りたい。そうした思いから取り組んで来たとは言えます。
米、パン、芋で説く神。
エホバとも、アラーとも、牛頭天王とも、国常立尊とも、天之御中主とも称される神でしょう。そして、毘盧遮那仏(大仏)とも称されたのでしょう。
万教同根と言いまして、根は一緒なのです。
そして「根=木+艮」で「ウシトラ(艮)」の教えなのです。
牛虎(ウシトラ)で「鬼」なので、鬼と云う「魂」論も出す。
凄い仕組みの中にあったのです。

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