私は人の魂には「良心」神と呼ばれる神が内在している。その悟りを最初に開かれたのがお釈迦様であったけれども、それは何時しか「慈悲」と置き換えられてしまい、それを知ることが出来るのは明治25年に発祥し「みろく大神」を説いた大本教の神諭が告げる「九つ花」によらないと、みろく(369)の意味が紐解けないと説いています。それはロゴス(言葉)による仕組みです。
それは「米」型の教えでもあり、米でメシヤ(飯屋)の看板にもなるわけです。お釈迦様の骨たるシャリ(舎利)も「酢飯」として出させるわけです。寿司で「ス」の神も出せるわけです。私はそれを神から見せられた時、???状態でした。
大本教神諭、この神は「煮ても焼いても食べられる」。まさか「米」で説く教えだとは思ってもいませんでした。
今の若い方は、シャリが酢飯のことだとは気付かれないかも知れませんね。
一部にメシアとして世界教師と呼ばれる存在の方が言われています。この世界教師と称されている方を担いでいるのがペンジャミン・クレームと呼ばれる人なのですが、ペンジャミン・クレームさんがこの人物をメシアとかキリスト・マイトレーヤとかロゴスだと説いておられます。
それに対して、キリスト教関係者でマイトレーヤ(弥勒菩薩)とは反キリストの象徴だと言っている人達がおられます。ペンジャミン・クレームさんが現在のキリスト教に対しては厳しい見解の持ち主であることは歪めないでしょうが。いずれにしても強烈なキリスト教信者の立場からすると、終わりの苦難の日にイエスが復活して現れるから一歩も抜けられないでしょう。
ベンジャミン・クレームさんの説明によれば、その人物はヒマラヤ神界で合成された肉体と言うことなのですが、いくら神様でも合成人間を創る必要があるのか私は懐疑的ですが、問題はどれだけの神力があるかです。
よく霊能者の方がヒマラヤ神界を言われます。私が伏見稲荷大社に参拝して帰って来て、私の家の庭をふと見ると、一匹の大きな体躯の白狐が寂しく遊んでいます。いけない。ついて来たか!。私が神界の御用を承るとすればまだまだ先のことであり、用事も無いのにここに置くわけにも行かないと、地元の本興稲荷さんに預けました。
その後、東京で国常立尊様をお祭りされている霊能者の方から、あの白狐はヒマラヤ神界の白狐で伏見稲荷山では他の白狐達と打ち解けていなかった。今はヒマラヤ神界に帰っていますと教えて貰ったことがあります。私はヒマラヤ神界に関して詳しいことを知る立場ではありませんが、ヒマラヤは重要な神界のようです。
一人一人の魂の中には救世主たる「良心」神が存在します。自己の良心神を磨いておけば主の神に繋がることであり、「九つ花」の仕組みを見れば、それは「ロゴス(言葉)」の仕組みであり、良心神自身が「キリスト」であり「ミロク」であるので別に救世主を必要とはしないのですが、そうでない人には救世主的存在が必要なのかも知れません。
そうした意味で、ベンジャミン・クレームさんが説いて回っている世界教師と呼ばれる存在の人物は如何なる存在なのか?。注目してもいいと思われます。
反イエスで言えば、もう既にアメリカで出ているのではないでしょうか?。サタンに祈り、イニシエーションで額に指先からパワーを注入されて、エネルギーを注入された者が四つ足で獣のように走り回っていますけど。

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