人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

意志は磨かれて神の宝石となり主と結ばれる、魂の共同住宅

私達の魂とは「神の宝(タカラ)」となる存在です。私達は「意志」を持って生きています。その意志の一つ一つが神が飾る宝玉たる「石」なのです。
よく、スピ系の方達の中には魂磨きは辛いから止めましょうという意見があります。石(意志)たる玉を光らせる為にはゴシゴシ磨くのは辛いのに決まっています。辛いからと言って止めてしまったならば、その石はもう神の宝玉とは成らないのです。

私は長い間伏見稲荷山で修業のお世話になっていまして山に上がっていると、多くの霊能者や行者さん達が、信徒さんを引き連れて上がって来られます。見ていると女の霊能者の方に多いのですが、キンキンギラギラに宝石で身を飾った方が居られます。これ見よがしです。自分はこんな大きな宝石を持っているぞと見せびらかしたいのでしょうが、残念ながら肉体の中の魂は磨かれておられないように見えます。神の宝の石(意志)は、魂の磨きなのです。
逆に男の先生で服装は貧相な方でしたが、某お塚の前で信徒さん達に向かって人の心の在り方に関して説いておられまして、私が横から拝聴していて、この先生の魂は宝石だと思える方も居られます。魂は肉体の外見を飾ることではないわけです。あまり外形を飾らない方に本物の方が見受けられます。

私達の魂は、直霊(私は良心神と言っています)が荒魂、和魂、幸魂、奇魂の四魂を従えています。良心神は、その荒魂、和魂、幸魂、奇魂を働かせなければなりません。
これは、共同住宅に一緒に住んでいるような関係なのです。図式しますと、一階には4部屋あって、荒魂の部屋、和魂の部屋、幸魂の部屋、奇魂の部屋があり、2階の部屋には良心神(直霊)が存在しているようなものなのです。

よく、スピ系の方は「愛」しか言われません。心霊学の分野では「愛」しか説けぬ者は「蛇神」だとの説があります。別に「愛」しか言えないことをもって、蛇神だと決めつけるのは早計だとは思われますが、魂の構造説を理解していないことから起きるのだと考えられます。スピ系の方は宗教系の方に比して「魂」に関して無関心過ぎるのでしょう。
ただ、言えることは、「愛」を言っているだけでは「創造神」とは遠いことになるのです。



魂を構成する四魂の働きにおいて、荒魂は正義とか勇気に働きます。しかし、良心神が指導をしていないと「暴力」に走ってしまいます。
和魂は親睦とか他の人と仲よくする働きです。しかし、良心神が指導していないと、他の人の迷惑を省みない「我れよし」に走ってしまいます。
幸魂は愛情の働きです。しかし、良心神が働いていないと仏教の目連尊者の母親の逸話にあります、自分の子供には愛情をかけるが他の子供達のことを無視したという、今流行の誤った愛、過度の行きすぎた愛になって、結局は自分の子供を甘やかして道を誤らせるにもつながりますし、異性に対する愛故に幾多の犯罪に手を染める人もいるわけです。一番行けないのは、自分自身を愛するが故に自分の魂を堕落させるのもまた愛なのです。
心霊学の分野で「愛」だけを説く者は邪神だと決めつけが起きるのも、蛇霊と化した存在が誤った「愛」に生きたという現象を捉えたのでしょう。つまり、愛で何でも許されるで悔い改めない反省もしなかったことなのです。
奇魂は学びにおいて賢明を知ることです。もし良心神が働いていないと、スピの世界では霊感商法で引っかかる人が後を絶たないのですが、僅かな奇跡に惑わされてしまいます。奇跡と呼ばれるものは蛇霊だと見せるのです。強い蛇霊だと病気治しもします。宇宙語だとか異音語だとかを集団で喋らせて、宇宙神からだとも惑わさせもします。だが、賢明さを持っていれば、学びを入れておけば、そう簡単には騙されないわけです。奇跡は霊界が存在するの証明的なものなのです。
他の人が信仰しているからではダメなのです。光だけでもダメなのです。金粉が降って来たでもダメなのです。僅かな奇跡に惑わされるななのです。

キリスト教ではよく主の神の花嫁、あるいはキリストの花嫁が言われます。主と結ばれる者の意で結婚が言われたのでしょう。が、魂が女性ならば話も解りますが、では魂が男ならばどうなんだとなります。
主に帰結するという意味では、私達の魂には主の分魂として直霊(私は良心神として説いています)がありますので、主と結婚という表現は妥当ではないことになります。例え話で言うなれば、仏教の法華経の長者窮子のたとえ話の方が遙かに解り易いのです。
私達の魂の核となる天主の分魂である直霊は、主の御子の立場で、男子型の息(息子・主自らの心を知る)と女子型の娘(音秘めで良を知る)があります。大本教神諭に一つの玉を二つに割って東西にとありますが、東男(あずまおとこ)に京女(きょうおんな)と言ったように、男子型と女子型。その良心神と結ばれる意味合いが主の息子に嫁ぐ花嫁ともなり、主の娘に嫁ぐ花婿ともなるのです。

魂の世界においての結婚とは、霊界論議の中では陰(女)の魂と陽(男)の魂の存在が語られています。日本神話を例に上げますと、伊弉諾(イザナギ)尊と伊弉冉(イザナミ)尊の二尊は夫婦神で国産みをしたとなっていますが、霊界論では肉体の様なセックスではなくて、男神が女神を飲み込む形での一体化することがエクスタシーとなるのです。陰陽合一で一柱の神と呼ばれるわけです。されど、必要に応じて分離して男子神としても女子神としても出て来られるとなるわけです。
そうした内容の記述はスウェーデンボルグの霊界日記の中にも大本教霊界物語の中にも記述はあります。神界の結婚を言うのであれば陰陽の理論がないとおかしくなるのです。この感覚は自分の魂の伴侶的な魂と出会った時に感覚として出て来ますので、体験する方が解り易いでしょう。

私が説いている良心神とは、主と呼ばれる神の分魂のことです。だからと言って、それで自分が創造神だ!。などは行き過ぎなのです。

自己の良心神からすれば、階下に住む荒魂、和魂、幸魂、奇魂は自分から離れて独立も出来る立場です。その中で幸魂が「愛」で立派な活動をしていたとして、主と直結する良心神との連絡が不徹底であれば、主とは結ばれなくなって来るわけです。いくら「愛」を説いている方でも、「主」と呼ばれる存在を言わない方は、幸魂の愛の魂が良心神をないがしろにしているわけです。それでは「主」の元には帰れないことになるのです。

私が直接聞いた話ではありませんが、超能力者と称している方達のグループで天界に行って聞かれたという天人達の噂話をこのプログでもhttp://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=50書きましたが、もしも天使長がミカエルト呼ばれる存在であったとしても、その存在は善と悪とを天秤に掛けると言われて来たわけです。当然に天秤の基準は良心になるのです。

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