人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

五月五日のみろく祭の日に金色の鯉に載った女神の幻視

スピリチュアル系では「みろくの世」が語られます。元々、弥勒〈みろく〉とはお釈迦様の死後その教えは形骸化して、お釈迦様が何を悟られたのか誰も解らず、五十六億七千万後に現れて、お釈迦様の悟りを説く菩薩のことです。この弥勒菩薩によって未来の世にと導かれるです。西洋では、この弥勒菩薩をマイトレーヤと呼んでいるわけです。
だが、お釈迦様の教えとは、正法〈しょうほう〉と呼ばれるお釈迦様の死後500年~1000年はお釈迦様の悟りは正しく伝えられるが、次に像法(ぞうぼう)と呼ばれる形だけの教えが1000年あり、そして末法に至るとされてきたのであって、五十六億七千万年後などは元々おかしな数字なのです。仏教では現在は末法の時代なのです。
そこに五十六億七千万は何を意味していた数字なのかの謎が残ります。私は数霊と呼ばれる働きも見て来ましたので、こうした数字は神によって作為的に残されたものとして見ています。実際問題として「369(みろく)」でお釈迦様の悟りが何であったか解けたからです。人に内在する良心神です。

日本のスピリチュアルで「みろくの世」が盛んに言われるのは仏教からの教えではなくて、明治25年に発祥した大本教によって「みろく神」が「五六七」として説かれたことが要因となります。
現在は大本教と言っても解らない人だらけですが、戦前の大宗教です。あまりの勢いに恐れをなした天皇が神の国の弾圧によって邪教の汚名を着せられて、ダイナマイトで神殿群はことごとく破壊され、その財は国家によって没収されて壊滅したのです。現在は復活していますが、小さな教団なので、あまり目に付かないと言えます。
しかし、その大本教からは大本教で学んだ岡田茂吉教祖の世界救世教や谷口雅春教祖の成長の家など一〇八派の宗教が誕生したと言われています。スピリチュアル系では、よく「ス」の神が説かれていまして、その元は世界救世教だと思っておられる方が大多数ですが、これは大本教からの「ス」の神の教えを世界救世教が受け継がれたからです。ですから、元は大本教にあるのです。

多くの方が、大本教の出口王仁三郎聖師の教えを引用されて説かれていますが、一つ見落としがあるように受けます。
大本教霊界物語は別名「あほだら長い経」なので、どこに書かれていたかを指摘するのは一苦労なのですが、霊界物語の中に【鏖殺】という言葉が出て来ます。この「鏖殺」とは皆殺しの意味です。そして、他の場所に「全員、一度天に引き上げてから」とあったと記憶しています。つまり、全員死ぬと言うことです。そうした全員死んでからという内容は聖書も同様なので、別に驚く内容ではありません。そうしたことは起きてみないと解らないわけです。
大本教が世に出した「素戔嗚尊」様とは、別名「蘇民将来」。「蘇民将来」をよく見れば解ると思いますが、「民は将来に蘇る」となります。聖書も審判後に復活を書いているわけです。多くの人にとって、死んだ者が復活するという意味そのものが解らないわけです。これは頭の学で無くて、本人に幽体離脱や神霊と会話などの霊的体験が無いと説いても理解させるは難しいのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、救世主は「素戔嗚尊様」だと言って来られた意味は、民は将来に蘇るにあるからでしょう。それが「みろくの世」であり、聖書では「神の御国」となるのでしょう。

私達が持っている魂とは永遠性の命で、肉体が滅びたから終わりの命ではないのです。だが、永遠の命で生きているのですよと説いても、ほとんどの人が概念では理解出来ても、3次元という物質世界の殻の中に閉じこもって、神は俺たちを殺すのかという感情論に走ってしまわれます。
現在の仏教は、僧侶と呼ばれる立場にありながら、死後の世界などは無い。そうしたことを平気で公言されるお坊さん達も数多くあります。では、貴方達が言う仏は存在しないのであれば供養の必要もないだろうとなるのに、死後の世界は無いと公言して供養を求める矛盾を平気で言う人達が宗教家として居るわけです。人は誰しもこの世を終えれば、死(四)次元に渡ります。
一部のスピリチュアルの人達は、何もしなくてもいいのです。遊んでいれば五次元にアセンション出来ますと説いておられます。神の世界は、最低でも七次元だと説かれている方達がありますが、創造に関わる次元の神としてはそうかも知れません。しかし神という言葉は創造に関わる次元の神だけではなくて、神社等に祭られている神霊段階や天人と呼ばれる段階も広義に使いますので、五次元からとするのが解り易いわけです。
で、一部のスピリチュアルの人達が言われる何もしなくてもいいのです。遊んでいれば五次元にアセンション出来るのであれば、何も難しくもなく、誰も必死で説かなくてもいいわけです。
神の世界を言う時、正神界とか邪神界が言われています。五次元だとまだ邪神界と正神界は五分五分の引き合いの世なので、それだけでは「身禄の世」とは言い切れなくなります。五次元世界で何が起きるのか?。です。

私は大本教信者ではないので関係ないのですが、大本教さんでは五月五日を「みろく大祭」としておられます。「粽」の節句でして、私は「米」型でみろく(369)の説明を続けて来ています。今年は120周年祭とのこと。
私が住む土地は、出口王仁三郎聖師さんがその弟子達にみろく神業で使われるお宝が埋められている土地と言い残された場所と角で接しています。その孫弟子達になるのでしょうか?。そこを掘ったが何も出て来なかったと言われています。
その土地をふと見ましたところ、金色の鯉に乗った乙姫姿の女神様を幻視。この地に住んで二十数年。初めて見える光景。鮭ならば、この地に残る池の伝説や大川神社の金色の鮭の縁起から話も解るのですが、どう見ても金色の鯉。???。五月五日の鯉のぼりなので、鯉なのでしようが???。
いずれにしても、幻視とか霊視とはやっかいな光景です。出口王仁三郎聖師さんがそんな話とを残していなかったならば素通りですが、何を意味しているのか追求しないといけないからです。

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