スピの世界では、前世を見る商売をされている方達があります。で、その前世とは本当なのですか?、となります。デタラメを言われても確かめる術がないわけです。
私が子供の頃に臨んだ声は、人は産まれては死に、産まれては死にを繰り返している。この世は魂の修学の場で在り、人がこの世に出て来るのは過去の過ちの修正の為でもある。人が過去世の自分を覚えていないのは、過去世の失敗を忘れて今の世を一生懸命に生きる為である。なまじ失敗した過去世のことを思いだして、それに引きずられたのではこの世に出た意味がないと言われました。
人は過去世の自分を知らないことで、それが過去の自分だとも知らずに、過去の自分の偉業を敬うことも起きるとも告げられたわけです。
魂の更正=甦(更生)るしかしながら、私も姿なき声から自分の過去世に関して、一部告げられたことがあります。そなたの前世は悲運の武将であった。そなたは性格があまりにも優しくて、人を疑うことを知らず、時の権力者達の魂胆が見抜けずに権力争いに利用されて、最後は悲運の武将として非業の最期を遂げた。そなたの今生は、人の魂胆を見抜ける者となることである。
それで、自分の前世は悲運の武将であったのかと理解はしたのですが、別にそれが誰であったかを詮索はしませんでした。過去は過去であり、今生は今生です。
こうした世界に関わって見ていますと、スピ系霊能者と呼ばれる人からなまじ過去世を告げられて、自分は過去世で偉い者だとなって、とんでもない失敗の人生を送っている方があります。この世に出て来たには何かの失敗があり、魂の欠点を修正しなければならないわけです。その為に今生を頑張れば、輝かしい未来にとつながるのであって、過去世の自分の身分がどうであったかなどの要らぬ詮索をして、失敗にもなるわけです。
だが、私も22歳の頃に会社の旅行である場所に行った時、その風景を見たら自分はそこに住んでいた記憶があり、懐かしさのあまり泣いてしまったことがあります。修業に入って、当時の師匠を通じてイザナギ尊からある場所に行くように指図されて行くと、やはり懐かしさのあまりに涙が出て来ます。それは自分の前世と深く関わっている土地だったようです。
とある夜、私の目に見えて来たのは暗闇の中に落ち武者なのか?。棚にさらし首です。首を切られて晒されているのです。私はその首に向かって、もう間もなく弥勒の世と呼ばれる時が来ます。もう過ぎた恨みなど忘れましょうと呼びかけたのです。
すると暗闇の中に全面に光が差し込んで、その晒し首の目がカーッと開いて、私を見てニッコリ笑ったのです。これで良しと私はその場を去ったのです。
やがて、一人の武将が私の目に見えるようになりました。それは晒し首にされていた武将でした。その武将には多くの家来達が居たようで、そうした家来達がその武将を「お舘」様と呼んでいるので、私も何時しかその武将霊をお舘様と呼んでいました。後で、お舘と=親方は繋がっていると気付きましたが。その武将は私にその名を一度も名乗らなかったのですが、家来衆達を見ていてある悲運の武将だと解って来ました。
それが神から告げられた自分の前世であったのではないかと思うようにはなりましたが、その霊の意識の流入かも解りません。その霊は確かに悲運の武将ですが、有名な武将なので、自分がその武将の生まれ変わりだと言っているような霊能者達もおられます。
もし、仮に私の前世がその武将であったとして、その武将が自分の前世であると名乗っている霊能者の人達と出会ったら、お互いに、自分達はその武将霊の別れで魂の兄弟ですなとなるのか?、そうした霊能者達からお前はニセ者だと罵られるのか?。たぶん、お前はニセ者だと攻撃されるでしょう。だったら、本当のことは解らないのだから言わずにおくのが一番ベターなわけです。
その武将名を名乗って、自分だ自分だと本家争いをしても意味がないからです。何故ならば私は私であり、過去世の名で動くわけではないからです。
だいぶ前ですが、自分は弘法大師の生まれ変わりだと名乗っている霊能者の方が、他の自分が弘法大師の生まれ変わりだと名乗っている霊能者の方を小刀で刺す事件が発生しました。本家争いの結果の殺人未遂です。
そうした本家争いは霊的世界に関わって居ると日常茶飯事です。私の2番目の師匠は、自分は国常立尊の現身〈うつそみ〉だと名乗っておりましたが、やはり同様に自分が国常立尊様の現身〈うつそみ〉だと名乗る霊能者が押しかけて来て、そこで自分が本物だとやり合いになるわけです。そうなると、力比べしか方法がなくなるわけです。
こうしたことは自称救世主を100人集めれば、100人が100人とも、自分だけは騙されていない者で、他の99人は蛇や狐や狸霊に騙されている者だのやり合いになるのです。これはブログの中でも書きましたが、オオカミがくれた眉毛の話と同じことなのです。
で、そうした100人の中で本物が1人居るのかとなった時、そうは簡単には行かないわけです。100人が100人とも騙されているのかも知れないのです。
今や日本最大級の宗教団体の一つですから、その名を上げても構わないと思いますが、幸福の科学の大川総裁は御自身をお釈迦様、イエス・モーゼを産んだ最高の存在たる神自身であると言っておられます。それを信じている信徒さん達が教団の自称で1000万人に達すると言われています。
そうしたことは信じる信じないの個々の人の問題であり、真実かどうかである問題ではないわけです。何故ならば、誰も幸福の科学の大川総裁が宇宙を創った最高神たる神自身であるともニセ者であるとも証明出来ないからです。信じる者は信じて、信じない者は信じないです。
私が出しているのは、誰が創造神だ!などの人の存在での話ではありません。この日本に満ちあふれている言葉〈日本語〉で仕組まれたことから理解出来る「良」心神論の説明をしています。
私は神であろうと思われる存在が告げられた、前世は悲劇の武将で終わった魂の者のようで、創造神でもないわけです。だが、言葉の仕組みを見た時、私は創造神の存在を確信せざるにはおられないのです。
兎に八十〈ヤソ〉神は嘘を教えたが、末子で大きな荷物を持っていた大国主命様だけは本当のことを教えたとあるように、言霊は八十一の仕組みの上に教えが出来上がっているわけです。末で現れる神以外は「嘘」を教えるのですから、私達は嘘に踊っているのかも知れないわけです。
この仕組みを創られたであろう神は、神社仏閣に鎮まっておられるような存在ではないぐらいは解ることです。証明とは、言葉で正しく明らかにすることです。奇跡を見ない限り解ろうとしないのは人の常ですが、どんな奇跡を見せる神が現れようと、その神にここまで言葉の仕組みが出来たかとなると、私は無理だろうと思います。
嘘は誠の皮ならば、嘘を叩いて誠の骨とする。真実がどこにも無いように見えていても、嘘を叩いていれば真実の骨が出来るのです。真ん中は骨で真実の仕組みが八十一で織る「369(みろく)」。
神の嘘を恐れずに見破って、誠の骨とする。
現在の神界はまったく統一が取れていない。それが真実でしょう。
大本教神諭が予告したように、神が末に表に表れて善と悪とに立て分ける。が、その日では遅いわけです。

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