人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

神示は絶対だとは言えないが、留意は必要。豊受神示。

よく「神示」と言う言葉が使われます。辞書にそうした言葉がないから、神示などの言葉は無いという意見があるようですが、言語学者さんがそうした言葉を知っていないと言うべき事でしょう。霊的世界に関わる者だと、日常的に使われている言葉です。昔は「神示」と言わずに、単に「お告げ」と言った類のことです。
どうしてそうした内容に神示という言葉が使われるようになったかと言うと、岡本天明氏の「日月神示」以後、神示という言葉が使われるようになったからでしょう。大本教から出された自動書記によるお筆先は「神諭」と言われ、大本教で機関誌の編集長をされていた岡本天明氏に降りた自動書記によるお筆先は「神示」として出されたわけです。天理教では中山開祖に降りた自動書記は「おふでさき」としているわけです。
しかし、お筆先だから、それは必ずしも国常立尊様からとはならないでしょう。いくらでも大本教出口なお開祖に降りた様な文面に似せて、降ろす神達もいるからです。自動書記によるものはそうしたお告げ的なもの以外にも存在しています。

お告げとは、何ぞやです。大本教の出口王仁三郎聖師が出された霊界物語は、そうした自動書記による「お筆先」ではなくて、出口王仁三郎聖師が霊媒役を務めて口述されたもので、お筆先ではないから「神示」では無いとは言えません。霊媒と呼ばれる存在は、ピンからキリまでおられます。霊媒さんを見る時は、その霊媒を勤めている方の魂の格を見極める必要が生じて来ます。
その霊媒を勤めている方の霊格が神の魂と呼ばれる様な魂を持っておられる方ですと、高級神霊を降ろしても大丈夫ですが、霊媒を勤めている方の霊格が低い場合、その肉体に高級神霊を降ろすと発狂と呼ばれる精神異常を起こしてしまいます。非常に恐いのです。
イエスにしても、神の聖霊に満たされたと言われていますが、誰でも彼でも神を人に降ろすは出来ないのです。人は肉体として見た時には平等です。しかし、その肉体に宿る魂とは、霊界と言われる縦(立)世界で魂の格に違いがあるからです。
低い霊格の持ち主に霊媒させてしまいますと、それこそ動物霊と呼ばれる様な低い霊の容器となって、それを追い出す作業に追われて収拾がつかなくなります。大本教が初発の頃、出口王仁三郎聖師は信徒で霊媒に成りそうな者を集めて上谷厄神(うえだに やくじん)神社で幽斎修行をされたところ、低級霊に懸かられる者が続出して収拾がつかなくなり、幽斎修行は二ヶ月ほどで取りやめになってしまいました。
こうしたことは修験の世界では解ってはいることです。飛び抜けた素質を持つ者を養成するでないと無理なのです。お釈迦様は目連尊者以外には霊的修行を許されなかった言われていますが、素質の問題があったからでしょう。霊感があるからだけでは霊媒者としては使い者にはならないからです。

私は子供の頃、その真偽は確かめようのない話ですが、旧約聖書の神と名乗る声の教えを聞いていました。そうした類のものも「お告げ」と呼ばれますが、それもある意味では神示と言えるでしょう。だが、私も成長するにつれて、神のことなどどこか遠くの存在となっていました。
昭和五十五年に私の身に起きた摩訶不思議な出来事で、霊的世界に足を踏み入れて、子供の時に聞かされていた「新しい世」に向かう立替に関して、豊受様を祭る稲荷神社で神主をされていた師匠を通して豊受様に尋ねましたところ、「立替は間違いなく起きます。だが、その時期は何時かは明言出来ません。ただ、貴方(私)が生きている間にそれが起きることだけは間違いないと言えます。貴方はその立替の嵐の中を通って行かれるでしょう」。と告げられました。
それは、言うなれば豊受神示と言えます。私は当時の師匠に、その内容を信徒さんに教えないのかと聞きましたところ、世間をパニックに起こすようなことは言えない。へたにパニックを起こされたら、そちらの方が恐い。それならば、黙ってその時を迎えた方がいい。それに信徒さん一人一人は神様に繋がっておられます。そこは豊受様が考えられることです。豊受様に任せます。と言われます。
確かに、黙ってその時を迎えた方がいいと言う考え方は成り立ちます。全ては自業自得の結果だからです。悪いのは貴方でしょうと、切って捨てることも出来るわけです。いくら説いても解ろうとしない者に説明することは困難です。
大本教霊界物語に国常立尊様の世の立替にあたっては、白狐は下郎の役で奉仕するがあります。国武彦命様指揮下の白狐達が、その任に就くであろうとは予想は出来ることです。師匠はそうしたことで、信徒さんの行く末は心配していなかったようです。

立替と呼ばれているのは「最後の審判」のことなのです。人は神の子・神の宮で有り、世の為に人の為に尽くしている義の人、善良の道を歩んでいる方、現世御利益信仰では無く神に対する信仰の篤き方に対しては何の心配も要らないのでしょう。それらの人は神の子で有り、神と成る道に主の神による救いが入るでしょうから、新しい世に向かわれるでしょう。
そうしたことに関して、最近は一人乗りのノアの箱船と言われる方が続出しているようです。だが、幼児や子供さん達もあるので一人乗りはおかしいのです。親子、夫婦など家族単位が理想となるはずだからです。何故ならば、新しい世に移行するには家族でなければ変なことになってしまいます。
だが、我れよしで自己勝手、自己本位で生きている方は、とても辛い結果になるのでしょう。そこに、悔い改めなさいとなるのです。

そうした神示とかお告げに絶対性があるのとかと聞かれたら、私は物によっては当たることはあっても、絶対は無いと言います。それは過去にそうした神示とかお告げが出ても、絶体にそうなったはあまりないからです。可能性があるということなのです。ただ可能性があることは、事前に対処準備しておけばかなり違います。
大本教の出口王仁三郎聖師は、広島・長崎に新型爆弾が落ちて火の海になるという予言を始め、大正期の関東大震災や数々の予言を当てられた事実を消すことが出来ないのです。私の最初の師匠にしても、阪神淡路大震災や島原普賢岳爆発を予告して当てています。最初の師匠の場合は豊受様からの伝達です。今回の東日本大震災は認知症を発生させて霊能者から退いておられましたので、何も言わなかったと思いますが、元気であれば予告出来たでしょう。
今はそうした霊能者が居なくなりつつあるのでしょう。

肉体は生きてもせいぜい100年ぐらいのものです。しかし、魂は永遠性の存在なのです。その魂が区別(捌く)を受けるのが立替(最後の審判)です。その区分け(捌く)後はそれが永遠の地位になるので、その時までに自分の魂の「立て直し」が大切なのです。
五六七(みろく)の世に向かうのは、一人一人の「良心」神の判定であり、その結果で区別(五・六・七)を受けることになるからです。自分の良心神を磨いておいて、何か損するのでしょうか?。徳(悳)を得るだけでしょうに。

直霊(良心神)の心=悳(徳)

そんなことは起こりえないと頭から思っているよりも、心構えだけはしている人の方が賢いのでしょう。

東日本大震災を事前に予言された御神霊があり、立替など起きないと明言されるならば、その言葉に間違いはないかと思いますが、かって豊受様が阪神淡路大震災を予告されましたので、神の御代とか杖と呼ばれる霊能力者の力量にも関わりますが、留意する必要があろうかと考えます。

現世御利益を授けることしか言わない神ならば要注意なのです。
 
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