前回のブログで「ラ」から「ン」に走り出していると書きました。
大本教開祖「出口ナオ」さんが神懸かりをされる前、篤く信仰されていたのが地元の本興稲荷とされています。大本教開教に関しては、この本興稲荷が深く関わったとの説もあります。
この本興稲荷とは、紀州熊野本宮別当職でもある九鬼神道家の九鬼氏が綾部藩主であった当時、藩邸内にあったお稲荷さんだったのですが、明治の廃藩置県において藩主であった九鬼氏が東京に移るにあたり、このお稲荷さんを地元に残して欲しいとの要望で、九鬼氏の菩提寺の横に移されたものです。移された関係上なのか、さほど立派なお社とは言えません。
私がこの本興稲荷に参拝して、鍵が掛けられた扉の格子の中を覗くと、そこに小さな一体の僧の像が見えます。どうも日蓮さんらしい。奇妙なことがあるな。どうしてお稲荷さんの社の中に日蓮さんらしい小さな仏像があるのだろうか?。
首を傾げながら、その横にあった天満宮の彫られた石を見ると、その字が「天満宮」ではなくて、「无満宮」と彫られているのです。?です。こんな「无」の漢字見たことがないので、何と読んだらいいのか解りませんでした。たぶん、石屋が彫り間違えたのだろうで、その時はそう思って帰ったのです。
だが、扉の格子の中に見えていた日蓮さんらしい像と、「无満宮」が気になってしかたがありません。そこで、再度本興稲荷を訪れて、鍵が掛かった扉の格子から中を覗くと、その日蓮さんらしい像が存在していません。誰か片付けたのだろうか?。そして「无満宮」と彫られていた石を見ると、?。きちんと「天満宮」になっています。
あれ!。私は狐に騙されたのか?。
この「无」の字を調べますと、ひらかなの「ん」の字はこの「无」の字から出来ているのです。この「无」字は「ウ」と発音しますが、意味としては「無し」なのです。そして、「元に通じる」なのです。「元に通ずるものは、虚无の道なり」とされています。
皆さんに罪汚れがあったとしても、咎(とが)无し=无咎と書きます。
神は愛によって赦すではなくて、咎无し(とがなし)で行かれます。すなわち「无満宮」とは、元の神が満ちあふれて来るのです。しかしながら、各自の魂は今日までの道の歩みで「五六七」の区別が起きるのです。
すなわち「ん」に走ります。これがすなわち結びなのです。
仮名の「ん」に向かうのです。しかし、それまでに来る大嵐には対処しなければなりません。
大本教から起きた言霊論は、「ス」とか「ラ」とか、面白い仕組みを持っているのです。
カナンに向かう。この「无」の漢字が必要なのですね。

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