人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

未来に向かう我れ羊は「義」で、善(譱)だけでは神国は難しい

聖書は神から「迷える羊」達に対する教えです。しかし、人類はどうして「迷える羊」なのか?。今日まで羊に関する解説がなされていません。

私が2番目の師匠の元で学んでいたある夜、就寝しょうとすると私の周囲に数体の立派な羊達が来ているのが見えます。羊?。しかも数体。私に何か言いたいようですが、通じて来ません。
そこで翌日の夜、2番目の師匠の元に行った時、頼んで霊媒通しをして貰いました。2番目の師匠も霊視で、その者達の姿は「羊」だと言います。
霊媒者を通して羊姿の者達が言って来た内容は、自分達は三千年ほど昔のユダヤ民族の族長であったヤコブやヨハネとか、そうした名乗りでした。ヤコブとかヨハネ等はユダヤ人であれば、どこにでもある名です。それが、ユダヤ民族の族長であったと言って来たともなれば、その内容を聞こうかとなりました。

霊媒者を通して彼等の質問内容は、「本当にイエスは救世主だったのでしょうか?」です。難しいことを聞いて来ますので、私が答えを師匠に振ろうとすると、「私達が聞きたいのは、若い貴方に対してなのです」と言います。当時の私はようやく40歳の頃でした。
で、師匠で無く、どうして私に対してですかと聞いたところ、「私達は霊界からユダヤ民族の救い主の登場を見守っていました。イエスが出て来た時、イエスが救い主かと思いました。しかし、イエスによってユダヤ民族が救われるはありませんでした。それからずっと霊界からユダヤ民族の救い主の登場を待ち続けていました。すると、不思議な光を見つけました。約三千年間に渡り霊界からこの世を見守って来たのですが、こんな光の持ち主は初めて見ました。似たような光の持ち主はありましたが、それらの方が放っていた光とも違います。イエスと同じ光を放っていた方はそれからも数名ありましたが、貴方が出されている光はイエスが持っていた光の色ではありません。それで、もしかするとこの光の持ち主が旧約聖書で予言されている方ではないかと考えて、貴方の元を訪ねたのです」と言います。
私はそれを聞いて、「私は聖書に書かれているメシアではありません。いったい私はどのような光を放っていたのですか?」と聞いたところ、「緑色」の光を放っておられますと言います。通常、白光とか金色の光を放っておられるならば話も解りますが、緑色とは聞いたことも無い話です。
私は豊受様から、貴方は言葉によって天帝の詔を教える「言葉の〇」と呼ばれる者ですとは聞かされてはいましたが、未だその「言葉」による教えが如何なるものなのか、それすら理解に至っていない状態の時でした。

だが、私自身が「牛」の姿を取った時、「牛と羊」の意味が理解出来たのです。大本教は「牛虎」金神を説きました。そして、もう一つは「羊猿」金神を説きました。神の教えに「牛」で説く内容と、「羊」で説く内容があるということなのです。厳霊(火)は「牛」で表現し、瑞霊(水)は「羊」で説くのです。
羊猿は「未申」です。すなわち、未来を申すことになります。

私は霊的世界の見聞をしていて、?と思ったことは、単に善人では神の御国の扉が開いていないことです。普通ならば、あの人は善い人だとなると、天国に進んだと思います。だが、進んでいないのです。中有界止まりです。中有界でも上界の様は天国とさほど変わるわけではないのです。
一方、少々悪事があったとしても、他の命を助ける為に自らの命を犠牲として捧げた者達は、神の座に進んでおられるのです。
この違いは何だ?。

ユダヤ民族がメシアと呼ばれる存在が出て来るまでは救われないとされて来たのは、「迷える羊」に対しての教えが違っていたのではないだろうか?。私の疑問は大きくなったのです。

羊の言は「譱(善)」です

羊の教えとは、羊の言葉は譱で「善」の教えなのです。しかし、聖書を読んだり神の存在を信じて悪をしなくても、それだけでは単なる善人にしか過ぎないのです。
私達はこの世で生きて行くに当たって、命あるものを殺して食しています。自分は悪いことはしていませんと言ったところで、他の命の「犠牲」の上に成り立っているのです。そこには、何時も何時も食べてばかりで申し訳ない。今度は私が犠牲になろうの心が必要なのです。
私のブログ「愛の教えではなく、お釈迦様の前世捨身飼虎の話が重要」を参考に。
つまり、悪を何もしないだけでは、魂に対するプラスの行為が無いわけです。

我れは羊は「義」です

義とは、自分の為にでなく、他の命を生かす為の「義」によって自分の命すら捨てて来た者達です。
大本教から「いろは四十七」の教えが出されました。それを単に「言霊」だけと取った方達もいるでしょう。しかし、それは仮名手本「忠臣蔵」の教えの意味でもあるのです。「ひふみ」だと、仮名手本忠臣蔵は出て来ないのです。
忠臣蔵のお話は、「義士」の話です。「義」の為に、自分の命を捨てられる者。

忠臣蔵の義の者とは、主君を裏切ることがない忠臣(中心)の者。
魂の真ん中にある直霊(良心神)を裏切ることなく、そのことに命すら差し出す意味合いです。
突き詰めれば、悪魔に魂を売ってこの世の栄華を取るか、主の分魂である良心に従って死すかです。

古いやつだとお思いでしょうが、義理が廃ればこの世は闇だ!

光が差していない世界だけが闇なのでしょうか?。人が自分勝手に生きている。それも獣以下の行為で、それが闇の世でしょう。

現代のスピリチュアルを標榜する人達は、古い教えは要らない。この世を創った創造神などは居ない。神は光だ!。愛だ!。だから、何をしていもいいのです。悔い改める必要など要りません。そんなことばかりを言っておられる方が多いようです。

旧約聖書には、私は「義」の者が一人でも居るならば、そこを滅ぼさないとあります。だが、「義」の者が居なければ、そこを滅ぼすです。
無論、現代のスピリチュアルを言う人達にとっては、旧約聖書の神など祟り神で論外という意見があります。そんな神は居ないのだ!。それにしては「ミカエル」とか「ガブリエル」からのお告げだと言うスピリチュアルの方達は目白押しです。だとすれば、ミカエルやカブリエルが仕える旧約聖書の神はどこに消えたのかとなります。

有名な聖書のヨハネの黙示録は、これまでの天地は消えて、新しい天地を見たです。それはこれまでの世でなくて、未来と呼ばれる新しい世界が創造神によって創られることです。否、ヨハネが見た時点では、既に新しい世の姿が霊的には存在していたのです。

未来=羊(未)来るです

それは、「義」の者によって、人類は新しい天地に導かれるということなのです。
羊(ひつじ)と未(ひつじ)は同じ存在ですが、未は「未来」に使うわけです。

良心神とは、皆さんが考える単に良い心のことではないのです。
それでは単なる羊(未)の言。善(譱)で終わってしまいます。
本当の良心神は、創造神である主に忠誠を尽くす心のことでもあるのです。
ですから、悔い改めて改心しない限り、主とは無縁の者となるのです。

また、新しい天地(未来)に向かっての話なのです。
その世に渡れば、嬉し嬉しの世となるのです。
だが、その前が大立替とか最後の審判と呼ばれるものになるのです。

こうした話は正神界からも邪神界からも出ます。
その内容は九十九パーセントは一緒なので、あまり正神界だ邪神界だと言うほどのことでもないのです。

どちらが正神で、どちらが邪神か?。それを見破るのが各自の良心神。

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