人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

死んでから花は咲かない。生きる時に花を咲かせるが生き霊

よく「生き霊(いきりょう)」と「死霊(しりょう)」が言われます。こんなことは説明せずとも文字を見れば一目瞭然。この世に肉体を持っている方の霊が生き霊で有り、この世を去った方の霊が死霊です。
私は霊能者として活動している者ではありませんので、事例としてさほど多くはないのですが、生き霊と想念の使い方が混同されている場合があります。それは、想念の飛ばしとして出て来るものと本人の霊が直接に来ているのとでは、その見え方が違っているということなのです。

生き霊と呼ばれる存在は、出て来た場合は本人と同じ背丈で普段の服装をしていて、その見え方も側に本人が居るのと同じ感覚になります。こちらはコトバを口に出してしゃべっていても、向こうはテレパシーでしゃべっているのでしょうが、受け取るのは普通の会話感覚と同じなのです。
ただ。スッーと現れたかと思うと、スッーと消えて行くので、今のは生き霊だと解るしだいなのです。

ある時、私の家に四人の生き霊が来ました。その四人の内の三人は顔を見たことはあるのですが、一人は知りません。一人は仕事の関係で知っている50代の男性。一人はスナックで時々見かけた若い男性。一人はそのスナックで手伝っている中年の女性。一人は若い娘さんで初めて見る顔。少し足が悪いようです。どうして、この四人が一度に来たのか、意味がさっぱり解りません。
その中の若い男性が私に全員家族ですと言います。私が知っている知人は自分の父親であり、スナックで手伝っている女性はその知人の奥さんで自分の母だと言います。そして、若い娘さんは自分の妹だと言うのです。私は驚いて後で調べさせて貰いました。すると、その通りで家族でした。娘さんは足が悪かったのです。
しかし、その時にはどうして私の元に来たのかは解りませんでしたが、その娘さんには黒龍神が従っていて大事になってしまいました。それは、その方達とは輪廻転生を通じて、私と過去世で曰く因縁があったのです。

と言って、その肉体が私の元に揃って行ったと認めるかと言うと、必ずしもそうではないのです。霊的世界と現実世界の間ではギャップがあります。この四人が家族であることは、近所以外の者には隠していたのです。で、その息子とその母親はスナックでは赤の他人の振りをしていました。
生き霊として来た事例で、その肉体に確認したところ、霊的素質の強い方で貴方の家の二階の奥の間で、貴方が襖を開けたら私が居たでしょうと言われた方があります。確かに襖を開けたら、その人が居てびっくりしたなどがあります。
また、肉体はそこに行ったことは解っていなくても、その生き霊がそこで何かに遭遇すると、肉体がその恐怖を感じてそっぽを向いているがあります。

肉体と生き霊との話の中で私が感じたことは、生き霊は本音を語るが、肉体は本心を語ってはいない場合があるということです。それは、この世では本音で生きられないもあります。自分の本心を殺さないといけない場合があります。
それともう一つは、肉体は霊に憑依されていて、憑依している霊が先に出て来て、その意識で語り、その人の本心を言わせないようにするがあります。
サニワなどをしていますと、死霊には実にいい加減な霊が居ます。平気で嘘を言う存在もあります。愉快犯などがいて、人を騙しては喜んでいます。

人には守護神とか指導霊とか先祖霊とか背後霊などが憑いているとされます。2体~3体では済みません。霊的体質者だと何十体何百体となります。霊能者として活動している方だと、その数が何千体何万体とされる方もあります。これらがまとまっていると強い霊力を発揮出来ます。
私の最初の師匠が竹生島の弁天さんに参拝された時、寺の方か神社の方かは聞いていませんが、師匠に同行していた方に竹生島の管長さんが、あの方は貴方達の同行者ですかと聞かれたそうです。その人がすっとぼけて違いますが、どうしてですかと聞いたら、あの行者さんは少なくとも一万五千体の霊が憑いている。こんな人が居るのかと驚いておられたとの話です。
私はその話を聞いて、師匠の凄さより、それを見破った管長さんの霊眼が素晴らしいと思いました。なかなかそれを見る霊能力者の方がいないのです。普段はそんなに霊が憑いてはいないでしょうが、正式参拝に出かけられると、それぐらいの霊が従ったのでしょう。
御神霊も普段は単独でも、何かの時もなれば、無数の神官達の霊を従えて出て来られるがあります。

たくさんの霊を付けている方は、その霊団の中でその霊団を統一する霊の存在が無いと、その霊団のコントロールが出来ません。その霊団の中に稲荷様もお不動様も観音様も大国主様も弁天様も龍神さんも居られて、そうした神霊が多数ついておられる方は神霊が主導権争いに入ると「船頭多くして、船が山に上る」が起きてしまいます。
本人の魂がしっかりしていないと、たくさんの霊が憑いている人はそれらの霊によって振り回されるが起きるのです。その人に無数の霊が憑いていて、本人の心(魂)がしっかりしていない為に、正守護神・本守護神が表に出てこれない為に、憑いている下級霊に振り回されている方が多々あります。

こうした人には、霊的世界を離れて、まず自分を磨けと忠告します。霊的なものが見えるから霊声が聞こえるからで、そうしたものに囚われてしまいますと振り回されてしまいます。自分を磨くことによって、自分の魂の中の正守護神・本守護神が出て来ると、その霊団がまとまって来るのです。霊的な存在を求めるのではなくて、まず自分を磨く。それが大切なのです。

【死んで花実は咲かない】と言います。この世を去ってから、花実を咲かせようは無理なのです。この世で「花を咲かせる」ことで、来世の「実(種)」となります。人は肉体で生きているように想っても、生き霊で解る様に霊界でも生きています。肉体を失えば生き霊が死霊と呼ばれるだけです。種は魂であり、魂を腐らせたり潰せば来世はないのです。
生き霊は肉体と同じ姿をしています。その姿で霊界に入ります。しかし、更に上の霊的段階に進みますと、違う姿の自分が出て来ます。

大本教神諭に、人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらずとありますが。その自覚が足りていないのです。
人は神の子・神の宮から、神へと育って行くのです。
この世に肉体を受けている時が勝負です。
神が愛で、神たる地位を与えてくださるものではないのです。

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