人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

天の岩戸を開ける女の又力、努力にて神の光を出す

私が小学生の頃、同学年でクラスは違ったりしたこともあるのですが、近所と言うことで3人でよく遊んでいました。仮にそれをA君とB君にしましょう。A君は勉強をしなくても成績が良い出来る子で現役で京大に行きました。B君は頭が悪くて劣等生と呼ばれ、常に先生に叱られては、親御さんが学校によく呼び出されていました。

そのB君のお母さんが病で倒れて、その枕元にB君を座らせて、お前がそんなことではお母さんは死んでも死にきれない。安心してあの世に行かせて欲しいと泣かれたそうです。そしてお母さんは若くして亡くなられました。
それからです。B君は私達と遊ぶの止めて、勉強をするようになったのです。遊びに誘いに行っても、勉強するからと断ります。劣等生と呼ばれていた子があれよあれよです。それまでは数学の計算がまるで出来なかったのです。理解出来ないと言っていましたが、必死に覚える努力を続けたのでしょう。夜、遅くまで勉強しているのか、彼の家の彼の部屋の電気が灯っていました。
三人とも塾とか予備校など無い田舎の公立高校を出たのですが、B君もA君と学部は違っても現役で京大に入りました。B君は間違いなく努力の賜でした。否、元々それだけの才能はあったのかも知れません。それが努力によって花開いたのかも知れません。もし、努力が無ければその花は咲かなかったのです。

私は伏見稲荷山で豊受様から、貴方はコトバの〇と呼ばれる方ですよと告げられて、コトバ?。そこで私もフーンと流しておけばよかったのですが、深みに嵌まってしまったと言えばよいのか?。多くの人にとっては、さほど意味の無いコトバの仕組みを紐解くという変な分野に走ってしまいました。
通常神仏に仕える人達は御神示とか言われるもので、御神霊からあれやこれやと教えて貰えるものなのですが、私の場合は師匠からも、お出会いした霊能者である行者の方からも、貴方に教えが出来る神様など日本国中探しても居ないと言われてしまって、御神示をくださる神無しで模索の中を歩いて来ました。
神様達が教えて下さらないのですが、霊的映像は出て来ます。その映像から、コトバに隠れている意味を引き出す努力をして道を切り開いて行くより方法がなかったのです。

私が子供の頃に臨まれた声は、イエスの愛の教えを乗り越えよでした。愛の教え以上の教えなど、存在するのだろうか?。私には疑問でした。だが、コトバの仕組みに良心神と言う教えが存在していたのです。この教えは、コトバの仕組みを紐解かないと出て来ないものなのです。
それはコトバと云う仕組みであっても、明らかに作為に基づいて創られています。だとすれば、その存在は人類の未来も全て見通しておられるわけです。旧約聖書(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)に仏教(牛頭天王)に日本神道(国常立尊・天之御中主)で言うところの神です。
スピリチュアルの方達のほとんどがミカエルのお告げを言われていますが、私は天使長ミカエルなどに出会ったことがないので何とも言えませんが、ミカエルとは最後の審判時に善悪を天秤に掛けて剣で裁く天使長と言われています。
善悪の天秤?。それだと「愛」ではありません。善悪を天秤に掛けるとは「良心」が基準になります。大本教の出口王仁三郎聖師は、ミカエルとは「省みる」のことだと説いておられます。省みるは「愛」ではなくて、やはり「良心」なのです。

一部のスピリチュアルの方達ではありますが、何もしなくてもいいのです。遊んでいればいいのですと説いておられます。それは、努力することを放棄させてしまう教えになります。
例え、自分がどんな劣等生で産まれたとしても、努力をすればそれなりの成果が出ます。だが、そうした努力をせずに遊んでいたならば、成果を得ることは出来ないわけです。実らない種なのです。
人は神の子・神の宮です。そうであったとしても、この世に出て来て、そうしたことを自覚することなく、ただただ遊んでいたならば、遊ぶこと無く一生懸命に学んで居た者達より遅れを取ります。それが道理です。
スピリチュアルで神は大愛で何をしてもいいのです。遊んで入ればいいのですと説くスピリチュアルの教えに引っかかって果が実らなかったとしても、それは自己責任なのです。
相場より高い金利をつけますという儲け話に飛びついたら、全財産をやられてしまったという話しはゴロゴロしています。遊んでいても天国等という話しは、最初から詐欺を目論んでいる連中に引っかかるようなものです。地道に努力していく、それが一番なのです。

日本神話で元祖ストリッパーと言われる「アマノウズメ」の女の又(股)力で開いたのは、天の岩戸と呼ばれる光の世界を指します。本当の神の光とは、自分の魂を磨くという努力無しで出るものではないのです。努力の「努」を分解すれば、女の又の力となります。コトバによる教えとしてはそうなるでしょう。

私が子供の時に臨んだ声は、日本神話の神話の部分はそうした事実があったのでは無い。この私が仕組んだものである。日本神話が何を教えようとしているのかを知りなさいと告げられました。
そうした事実があったのではなく、言葉の仕組みだと思って紐解くと、なるほどなと思う面が多々あります。

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