私はこれまで多くの霊能者の方に出会って来ました。その中で霊術で特筆していたのは2番目の師匠で、某山に3年間籠もって熊笹や松の実などの仙人食で霊術を鍛えた方です。俗に仙人と呼ばれる存在で、その某山に庵をむすんで住んでおられた時には、そこを訪ねていた信徒さん全員が正座したまま空中に浮いていたと証言されています。
そうした現象そのものは、最初の師匠の元でも豊受様の正座させたままの百八十度回転のトンボとか、不動明王様の神力によるホッピング現象を私の目で見て来ていますので、それは嘘ではないと解りました。
その言霊師の師匠が凄かったのは、言霊だけで医師が手術が出来ないと言う赤子の弁膜症を治癒させたり、不可能と思われる病を治してしまうことでした。また、龍神と呼ばれる存在を操る力です。
無論、こうした仙術使いの行者の方を探せば日本のどこかに存在してはおられると思います。ただ、どなたも表舞台には立たれようとしないので、その実力のほどが解らないわけです。知られざる霊的実力者達です。
霊能者江原啓之さんは、自分がスピリチュアルの言葉を世に流行らしたと自画自賛しておられますが、行者と呼ばれている人達の中には江原啓之さんなど足元にも及ばないような方がおられます。スピと称している方達は江原啓之さんを見ていて、あれが霊界だと勘違いされているのかも知れません。
スピリチュアルという言葉を最初に日本に引っ張られたのは浅野和三郎氏らしいのですが、浅野和三郎氏はスピリチュアルの言葉は低級霊界との交流なので、スピリチュアルの言葉は良くないで「心霊主義」にされたようですが、低級霊界との交流とされる言葉がどうして流行るのでしょうかね?。カタカナにすれば日本人は直ぐに飛びつくからなのかも知れません。
その言霊師の2番目の師匠がある時、私に自分(2番目の師匠)はこれまで式神を使って何人もの行者を殺して来ていると言われます。私は最初は冗談だと思っていました。陰陽道で式神が言われていますが、詳しくは解りませんでした。
その師匠と仲違いをして去った後、私は激しい下痢に襲われました。食べて少し経つと下痢なのです。食べると下痢になるので食べることが出来ません。医師の元に行っても原因が解らず、点滴のみで過ごす状態が一ヶ月ほど続きました。体は点滴を受けていてもやせ細って行きます。
ある日、これは医師では治らない。指圧師の元に行けば治ると閃いて、指圧師の方の元に行きました。すると、指圧師の方が、「腸が動いていません。これではいくら食べても下痢です」と告げてくれました。此所を押せば大丈夫ですとあるツボを押してくれると、お腹がグツーと鳴ります。指圧師の方が、「もう大丈夫です。腸が鳴りましたので元に戻りますよ」と言ってくれました。
その時です。私の目に腸に取り憑いていた一体の男の霊が落ちるのが見えたのです。
すると、その男は言います。「仕方がないな。死神は見つかったらもう取り憑けぬ。今回の詫びとして、お前が殺したい相手がいれば、何時でもわしを呼べ。そいつをお前に代わって殺してやる」。と言います。丁寧にお断り申しましたが、去った2番目の師匠が付けたぐらいのことは解りました。
私はその死神を見ても別に腹も立たず。恐いとも思わず。やはり古来から言われていることは事実なのだと、認識を改めただけのことです。
その後、その2番目の師匠の元に居る方が私の姿を見ると、「大丈夫だったのですか?。先生が貴方は自分に逆らったので死神を送りつけてやった。見ていろ。あいつは間もなく死ぬ」と言われていましたと言われます。私はそうですかと笑っていました。
私に閃きで教えてくれたのは、私の守護神でしょう。私の命に関わるところまでは黙って見ている。自分の力で学ぶことの大切さです。しかし、長く下痢が続いたことで痔を患ってしまいました。
私は自己の生死は神任せ。生きようが死のうがどうでもいいことなのです。ただ笑って死ねればそれでよし。天国に招かれようが地獄に招かれようが、宇宙の果てであろうが、その世界を見聞してやろうの野次馬根性だけです。
過去に行者同士の殺し合いの話は聞いてはいました。そこに有るのは善とか悪の論理ではなくて、俗に言う剣豪の命をかけた修業みたいなものです。その2番目の師匠の元に夜に行くと、昼間から居た人が、今日行者が一人やって来て、先生に負けて失明して帰って行きました。今日来た行者は、その祭神が抹殺されました。そんなことを言っているので、何を言っているのだろうと思っていました。
こうした話は陰では言われていました。特に××系行者は、呪術で殺しも請け負えば、呪詛返しも請け負うです。こうしたことは西洋でも白魔術・黒魔術とも呼ばれていて、どちらでも金で請け負うと言われています。だが、こうしたことは表沙汰に宣伝出来ないので、秘密のベールに包まれているのです。
霊界の実態を知らない時は、スピの様に綺麗事ばかりを並べられます。だが、実態を知るとオドロオドロしているのです。スピで地獄など無いと言っている未熟者達は、自分が見れる分は霊界の部分しか見ていないことの理解が足りていないのです。
テレビで松居一代さんが土地を買おうとして霊能者江原啓之さんに見て貰ったところ、そこは白蛇が居るので家を建てれば命を取られると忠告されて買わなかったが、その土地を買われて家を建てられた方は亡くなられたと語られていました。そうした白蛇による事例は私の住む近辺の地域でもありました。
私も最初の師匠から弁天さんの振り回しに注意を受けていましたが、本当に弁天様には振り回されてしまいました。眷属の巨大白蛇霊が吐く息の臭いこと臭いこと。だが、全て学びと言えば、この世の学びとは関係無いですが、神仏の世界に対する学びではあるのです。
いくら科学が発達しようと死後の世界、霊界がある以上、そうした世界に精通した霊能者が必要です。だが、修行を積まなければその道は遙かに遠いわけです。しかし行を積んで仮に神通力を得たとしても、それでその魂が立派とはならないのです。人として磨かれていなければ、邪神の容器となるだけなのです。
伏見稲荷山に行くと、多くの行者さんが先生先生と信徒に呼ばれて上がって来ておられます。霊的鈍感者である私には、ほとんど波動を感じる方にぶつかりませんが、時にはこれはという波動を感じる方がおられます。スピの方が、いくらヒーラーで波動を出すと言われても私は何も感じませんが、行者さんには波動が感じられる方がおられます。その力とは、龍神を動かすと言われるような段階なのです。だが、もうそうした実力を持たれた方は少なくなって来ています。
何故にそうした霊能者が必要かと言いますと、私達人間は神域に関しまして、ほとんど疎いところがあります。そうした神域を人間が犯した時、とんでもない事件が起きたりします。そうした時、神霊との仲介が出来る人が居ないと解決出来ないことがママあるのです。スピでは事前に忠告は出来ても、起きてしまったら解決出が来ないのです。眷属と呼ばれる動物霊でも暴れ出したら、どうやって向こうの怒りを治めるかが問われるからです。神は光だ!、で、光を浴びせたからと言って鎮まらないと私は思っています。納得の話で矛を収めてもらう。
だが、某宗教団体の様にニセ霊能者をデッチ上げて、高価な印鑑や壺を売る霊感商法される処があります。これでは、騙されてしまう方も気の毒でもあり、正しい霊能者の方の迷惑にもなります。それを神々が黙って見ているとすると、まだ神界は統一されていないと考えなくてはいけません。

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