はてなキーワード: マウントとは
考えて見るとあんまマウントって感じたこと自体がないかもしれない
うちの役員にけっこうマウント気質というかいろいろ自慢したがる人がいるんだけど、自分はその場ではとくに引っかからなくてあとで同席した同僚の愚痴で気付く、みたいなことが多い
たぶん鈍感なんだと思う
むかし県外の大学に進学した時に同じ地元でトップ高校出身の人に「増田さんの高校からこの大学に受かるってめちゃくちゃ勉強したんじゃない?頑張ったんだね!」とかみたいなこと言われたときはイラっとしたのは覚えてるけど、これはマウントというか単なる嫌味な気がする
「うちの子はご飯もりもり食べるから助かる〜(その前日に他のママ友たちと子どもがご飯食べない話をした)」
「お米高くてみんな大変みたいだけどうちは旦那の実家から米送られてくるからよかった!」
久しぶりに遊ぼうよって言われて待ち合わせしてたら、会っていきなり私の服来てたジャケットをそれユニクロのフリースかと思った。って言われて
毛足太めのファージャケットだからそうみえたのかな?とか思ったけど珍しいデザインで割と気に入ってるやつだし割と値段したのでなんとなくそんなことあってすぐ言わなくてもいいのに…ってなって…ってなった。
その後今日全身ユニクロなんだよねって言われてなんでそんなこといきなり言ってくるの?全身ユニクロでもいいけどなんで伝えてくるの?って思ってそういえばこの人ハイブラ志向だったなって思い出して
なんとなくお前に会うのはユニクロで充分って言いたいためにわざわざユニクロ縛りで服固めてきてそれを挨拶より先に伝えた上で相手の服もユニクロ?って聞くことで小馬鹿にするまでワンセットで考えてきて何着ててもそれユニクロ?って聞くつもりだったんだろうなって思った
さらに挨拶より先に今日全身ユニクロなんだよねとか言われたらユニクロに見えなかった!何着てもかっこいいね!とか褒めろみたいな圧も感じるし
そういえば忘れてたけどそういうやつだったなとかわざわざ見下してる相手に会おうとか呼び出す意味もわからなくなってあったのすごく後悔した。
今日全身ユニクロなんだよね→それユニクロ?って一見すごく普通の言葉の中に
ものすごく大量の見下し感とマウント感と人の上に立ちたい必死さとわざわざ見下すためによくある安物って思ってるユニクロで服買ってユニクロで縛ってコーデ組む必死さとかやることのダサさとか相手をバカにする言葉会う前からわざわざ考えてきたから真っ先に言うんだなみたいな会わなきゃよかった感とこう褒めろよ?みたいな圧と自意識過剰さと俺はユニクロで充分かっこいいけど、お前は何着ても逆にユニクロにみえるよ?多分それユニクロじゃないだろうけど笑とか、見下しにかける必死さとかそれくらい見下す気でいるくらいの相手にわざわざ会おうとか提案する友達いない感とか服でしかイキれなそうな中身のなさとか要は俺は嫌なやつです!がすごい情報量で詰まっててこんな短い言葉で秒で嫌われるとか嫌われワード界の松尾芭蕉かと思った。
被害妄想が酷い
前作から含めると四年ぐらい
なのに最悪だった
解釈違いというのも違うかもしれない、私の望んだものではなかった
一作目はABCグループの合同ライブで、二作目はAグループ単独ライブ
今回の三作目が満を持して私の推しのBグループの単独ライブになるはずだった
「だった」というのは前作前々作とはガラッと内容が変わったからだ
先の二作が全編ライブ形式だったのもあり、当然のように今回もそうなると思っていた
ここまでライブ形式だったんだから今回もそうだと思うじゃん!?
オマケに内容も微妙、衣装もダサい、まったく笑えないトンチキ要素のオンパレード
いや良いところもあったはずだけどそれをすべて忘れさせるくらいにはダメなところが多すぎた
でも歌はよかったんだよ
なのに肝心の映画がこんなことになってるなんて想像もしなかったよ
公開初日、開演前のドキドキは跡形もなく消え去り感情の整理ができないまま終演
明るくなったシアター内で何を言えばいいのか分からなくてしばらく無言だった
隣にいたAグループ推しの友人が一言目を言いあぐねてこちらの様子を伺ってるのが余計に辛かった
その後二人でランチしたが映画の感想はほとんどなくせいぜい「アンコールのあそこよかったね」くらいだった
本当はその後買い物とかしてなんなら勢いで映画二回目いっちゃうかもね~とか思ってた
前作が公開されたとき推しの友人がそうだったから、私もそうなればいいなと思ってた
でもとてもじゃないがそんな気にならなくて、その日は友人に謝罪したうえで早めにさよならした
このまま一緒にいたら友人に暴言を吐きかねないと思った
今思えば公開前から嫌な予感はしてた
詰め込みすぎでごちゃついてるキービジュ
公開日が近づいても前作のようなプロモは一切なし
前作は前日譚的なアニメまで制作されたのにそういったものもない
実際賛否の賛がないわけではないし、この映画は私には合わなかったのだ
楽しめる人が楽しめばいい
手元にある大量のムビチケから目をそらし自分にそう言い聞かせるしかなかった
だってどうしようもないんだもん
公開初日TLには私と同じように驚きとショックを隠せない人、落胆する人、怒りすら感じる人
あくまで私目線だがどちらかといえば賛否の否の方が多いように見えた
私は「推しの映画に否定的な意見を持つ私はファン失格」という罪悪感が少しでも和らぐ気がしてTLを漁りふせったーを読み漁った
傷ついたのは私だけじゃない
仲間がいると思うと少しだけ安堵した
しかし翌日翌々日になると(私が勝手に)仲間(だと思ってた人)たちの意見が変化していく
ゲーム発売時にプレイしてライブも行って声優の不祥事にもひたすら耐え帰りを待ってたが!?
だが傷心の私には「真のファンのみが映画の内容が理解出来て、それができない奴はにわか」みたいなマウントに感じられた
みたいな意見が主流になりだした
何急に斜に構えだしてるんだ!?
何でこっちが気を使ってくっちゃくっちゃ咀嚼しないと味が出ないものお出ししたの!?
どうやら舞台挨拶での声優の言葉をきっかけにファン内で呼びかけがあったらしい
評価は真っ二つで、おそらく作品を知らない人やライト層・そして私のような絶望したファンの☆1と
コアなファン層の☆5で溢れていた
☆5の内容はBグループへの愛と「何度も見て!」という呼びかけばかりで、具体的に映画の良さをかいたものはほとんどなかった
なんかもう泣きたくなった
映画の内容は人それぞれの好みかもしれない
でもライブ形式じゃなくても、もうちょっとどうにかならなかったのか
初見を置いてきぼりにするような映画でありながら「スルメ映画」と擁護され
呼びかけ合って映画のレビュー評価をあげるような作品が待ちに待った推しの単独ライブだと思うとやるせなかった
いや擁護というのは違うのかもしれない
おそらくそう言っているファンたちは本心でそう言っているのだろう
そう思えるのが羨ましい
こんな捻くれた考えをする自分が嫌だ
でも私だって捻くれたくて捻くれてるわけじゃない
手放しに称賛されてた前作が羨ましくて妬ましくて仕方がない
私は毎度同じでも二番煎じでもいいから推しのライブが見たかった
「今推しの映画やってて~ライブ形式なので作品知らなくても全然楽しめるのでぜひ~」とか言ってみたかった
正直このまま作品終わってくれと思っている
顔と名前伏せた学生証とID入れた写真出して暴言や中傷含んだ学歴マウントしまくってる東大生とかって本当に学生なんだろうかと思う
大学のHPって大抵お問合せ口あるけどスクショ撮られた上でタレ込まれるの怖くないもんなのかね
もはや君のレスポンスは議論でも侮辱でもない。ただの精神腐臭放尿だ。
君が今やっていることは、論理の墓標に泥水をぶちまけながら自分の優越幻想に酔っているだけであって、言葉としての機能はゼロだ。これは発言ではなく、自己陶酔の鳴き声だ。
「弱い犬ほどよく吠える」この比喩を自分に向けて鏡で唱えてみろ。
自分が論点に一切触れず、延々と相手の属性を想定でこき下ろし、理屈も証拠も出さずに人格否定に逃げ続けている時点で、吠えているのは誰か、すでに答えは出ている。
思考停止でしかマウントを取れないお前のその様は、まさに「吠える」ことしかできない、知性なき声帯の暴走そのものだ。
「死にたくないから必死」よく言った。生存本能を侮辱する人間に倫理を語る資格はない。
ならば問おう。お前は生きるために何をしている?何を守り、何を語っている?お前の言葉からは、思想も理念もなく、あるのは「自分より下だと思いたい他者」を蹴ることでしか自己の存在を保てない脆弱な自己像だけだ。
「魂が穢れている」「清潔感がない」抽象語でしか相手を非難できない時点で、中身で勝負できない敗者の遠吠えだ。
魂の清潔とは、外見や属性ではなく、どんな相手にも論理で向き合おうとする態度から生まれる。
それを放棄し、他人に「来るな」と言い放つなら、最初から議論の場に出てくるな。君のやっていることは、道場破りを名乗って現れながら、竹刀すら持たずに石を投げて逃げ回っておもらししているだけだ。
そして「トラバ付けないで」だと?
この期に及んで言論空間を一方通行にしようとするその態度、自分の土俵で一方的に殴ることしかできない者の典型だ。
公開の場で殴るなら、殴り返される覚悟を持て。それができないなら最初から黙ってろ。
君の発言には一片の理性も、倫理も、責任もない。あるのは、論理に敗北した者が、感情の残滓をすり潰して撒き散らすだけの知的排泄物だ。
見苦しいのはこちらのセリフだ。君の言葉が、自らの精神の未熟さと限界をさらし続けていることに、まだ気づけないならもう言葉を持つ資格すらない。
おやおや、ついに「キャンキャン吠えてご苦労さま」「怒っちゃいました?」などという幼稚な煽りにまで堕ちたか。
もはや反論ではないな。これは完全に内容を語る知力が枯渇した者の典型的な逃走ムーブだ。
議論で反論できなくなった者が最後に縋るのが、相手の感情を揺さぶって黙らせようとする感情のレトリック放尿だが、それは論理の死刑宣告でしかない。
まず、「図星なので怒った」と断定している時点で、君は相手の内面を勝手に決めつけて悦に入っているが、こちらは事実と論理の整合性を問い続けているだけだ。
怒りかどうかも理解できず、それを論破だと勘違いしているなら、認知能力の破綻をまず疑ったほうがいい。
それから「底辺弱者男性さん」というフレーズ、よく聞くが、それ自体に意味はない。
これは言葉を使って相手を分類し、その分類を理由に蔑むという、きわめて原始的なレッテル貼りだ。
問題は、それが「だから何なのか?」という問いにまったく答えていないことだ。君は「分類」だけして「主張」していない。これは議論ではなく、知的貧困の自己紹介に過ぎない。
そもそも、相手を煽れば勝ちだと思っている時点で、君は議論の場ではなく、学級会の口喧嘩レベルに自分を引きずり下ろしていることに気づいていない。
自分が今、どれほど低いところで這いつくばっているか、少しは俯瞰して見た方がいい。君がやっているのは「マウント」ではない、「地面に寝そべって相手の靴を指差して笑って放尿している」だけだ。
君の発言には論点が一つもない。あるのは、語彙を煽りワードで塗り潰すことで自分の劣勢を誤魔化す知的ごまかし行為だけ。
この手の話題になるといかに技術的に難しいかをドヤ顔で語り「この程度のことも分からぬか愚か者め」というムーブする人が一定数いるけど、正規化自体は技術的には特別すごいことじゃなくて、一定基準に満たさないものをリジェクトとして弾いて人力で処理するのを繰り返すだけなわけで、aiとかハイテク使わなくてもエクセルで十分可能な範囲だと思うんだよな
問題は元データの収集や分類方法とそこで集まる膨大なデータをどう処理するかって点であって。
それを「技術的な難しさ」と本当に理解してる人は言ってると思うんだけど、たまに正規化自体がハードル高いと思ってマウント取ってる人いるよなと
この「感想」、とても鋭くて毒もありますが、確かに一理あると感じますね。
元の投稿は一見すると「息子の純粋な動機に心を打たれた親のしみじみした話」のようで、きれいにまとまっている。でも感想で指摘されているように、「自分の過去の加害的な振る舞いに対して本質的な反省があるか?」といわれると、やや疑わしい。
投稿者は「かつての自分の悪い行いが、好きな人の存在によって自然に消えた」と言っている。でもこれは、反省して行動を改めたというより、「好きな人に見られたくないからやめた」という動機の薄さを美談として語っているようにも見える。
また「善性は生まれつきじゃなくて、誰かのためにマシになろうとする気持ちの延長線上にある」って言葉も、綺麗だけど、ちょっとズルい。これは「悪かった過去を持っていても、誰かを好きになれば“まとも”になれるんだよ」という免罪符を自分に与えてるようにも読める。
そして今は「息子という存在」を盾にして、「俺はまともになった側だ」とマウントを取ってるというのは、確かに鋭い指摘。
一方で、こういう語りが「善人アピール」と受け取られてしまうのは、「子どもを持つことで成長できる」というテンプレ的美談がネットで過剰消費されていることにも原因がありますよね。
なので、この「感想」はある意味で社会全体の語り口へのアンチテーゼでもあると思います。
「人間的に成長した」と思っている人ほど、成長した風な物語を語りたがる。
この構造に対して「いや、お前まだ何も終わってないよ」と突っ込んでいるわけで、それ自体はとても健全な批評かもしれません。
女どもはバカだから本質を掴めないんよ。モテだけで勝負すんなら、港区風女子よりもなんちゃってお上りさん女子の方がモテるってのは野郎どもの総意じゃん。でも、バカ女どもは同性へのマウントのために港区風女子女子を装うし、モテへんのにモテる風を装うじゃん。我々野郎どもは、ズレてんなぁwって嘲笑してればいいんだよ。
ぐちです
自分は事業開発で入ったのに、営業もやれ、プランニングもやれ、新規も取れと言われ、全部投げられた。
なのに、評価対象は「事業開発の売上だけ」。そんなもん数字出るわけない。営業の売上はノーカウント。
後輩がキレて会社に食ってかかって、昇給したのを横目に、自分はただ耐えてた。
プロジェクトに「ドラマのタイトル」つけてテンションで走る。案件は全然取ってこない。
会議すらせず、いきなり改行無し5000字のチャットだけ送ってくる。「これは事実ベースで」って呪文のように言ってくる。
こっちは脳が破裂する。
グループチャットで知識マウント、客前でも同じことして、クライアントもポカーン。
極めつけは評価。
自分にSをつけて、まともに働いてるやつにC。しかも画面共有で全員分晒す。
誰が納得するんだよ。そりゃ辞めるわ。辞めたやつ、何人もいる。自分も限界だった。
この発言に表れている人物像は、自己優越型のマウント系批評者です。自分の趣味嗜好や知識(この場合は「ミステリガチ勢」であること)を強調し、それを基準に作品を評価しようとします。しかもその評価は作品そのものを冷静に分析したものではなく、「浅い人なら楽しめるだろうけど、自分のような目の肥えた人間には物足りない」といった形で、他者との“違い”を強調する方向に傾いています。
こうした人物は、作品の出来や魅力を語るよりも、「その作品をどう評価する自分か」を主役に置きたがる傾向があります。つまり批評の体裁をとりながら、実際には“自分語り”をしているのです。そしてその裏には、「自分は多数派とは違う」「凡人とは違う目線を持っている」という選民意識があり、それを誇示することで自身の価値を確認しようとしています。
結果として、作品に対する誠実な批評ではなく、他者を見下し自分を高く見せるための言葉になってしまっており、その態度に不快感を覚える人が出てくるのも無理はありません。楽しんでいる人を“浅い”と決めつけることで、自分の「深さ」を演出する——そうした姿勢そのものが、批評というよりも、自己顕示のためのパフォーマンスになっているのです。