できない理由に他人を使うな。
沖縄在住の女性Y様から「娘が就職活動に挫折をして、家に引きこもるようになった。育て方を間違えたのだと思う。話を聞いて欲しい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。自分自身貧しい家庭で育ち、両親の仲は悪く、父親からは暴力を振るわれ、学校ではいじめられた。母親から育て方を間違えたと言われ、その言葉に深く傷ついたが、今、娘に同じ言葉を言ってしまう。こどもを否定したいわけではなく、自分を否定しているだけなのだが、結局、こどもがいちばん傷ついている。Y様は、そのようなことを言った。
いろいろな人に会うが、大きく分けると二種類いる。嫌いなものの話をする人と、好きなものの話をする人だ。嫌いなものの話をする人は、あの人のせいで自分はこうなってしまったと、被害者意識にまみれた話をする。かわいそうだなとは思うが、リスペクトはできない。はっきり言って、軽蔑する。他者の言動をできない理由に使って、自分の意思を放棄する。愚痴や文句の製造マシーンになって、周囲に毒を撒き散らす。はっきり言って、害だと思う。自分を責めている人間は害だ。
Y様は「どうすればいいのかがわからない」と言った。そんなこと、俺もわからないよと思った。ただ、Y様の話は暗過ぎると思った。自分や他人のダメなところを見つけて「ダメなところを改善しない限り人生を楽しんではいけない」と、看守みたいなことをやっている。看守の役割は悪人を見張ることだから、会話の必要がない。Y様は、これまで人と会話をすることを避けてきたのだと思う。看守みたいに見張りはするが、会話を避けてきた。だから、心がわからない。会話を避けてきたツケを、今、払わされているのだと思った。
嫌いの話をすると、関係者全員不幸になる。好きの話をすると、関係者全員幸福になる。好きは意外と繊細だから、簡単に嫌いに負けてしまう。ダメなところを解決できていないのに楽しんでいる場合ではないと、自分の好きを放棄する。できない言い訳に他人を使うようになる。結果、世界は嫌いで満たされたどろ沼になる。どろ沼を生きると、どろ沼みたいな顔になり、どろ沼みたいなオーラになる。どろ沼を脱するには、嫌いを克服することより、好きを思い出すことだ。デニーロが好きならデニーロの映画を見る。デニーロを見ながらニコルソンも好きだったなと思い出し、ブラピも好きだ、ディカプリオも好きだと思い出す。嫌いを分析しても、好きは出てこない。好きをやると、好きが展開する。好きの循環が生まれる。
自分を責めて「ダメだダメだ」と思うと、体が強張り緊張して、何もできなくなる。結果、娘は引きこもった。大成功だよ。娘は見事に体現した。頭だけでわかったつもりになるのではなく、時間がかかってもいいから、涙の理由を掘り当てる。なぜ涙が出たのか。そこに答えがある。自分ができていないことを相手に求めるのではなく、共に生きる相手になる。生き甲斐のあるなしは関係ない。問題は、探しているかどうかだ。生きる喜びを求めている人間に「生きているだけでいいよ」と言っても意味がない。欲しいものは安全ではない。喜びだ。喜びの中に安心がある。頭でわかったつもりになるな。嫌いなことばかり話すな。好きを話せ。喜びを語れ。共に生きる相手になれ。
心を見ずに上っ面で話している。
看守のよう。
喜びを語っていない。
頭で考えてわかったつもりになっている。
確かに、本当に、その通りでした。
誰も言ってくれないだろうことを言ってくださりありがとうございました。
不愉快な時間を過ごさせてしまい本当に申し訳ありませんでした。
おおまかな予定
5月14日(水)沖縄県那覇市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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