三月三日はひな祭りなのですが、これにはある意味が存在します。日本の地方で流し雛という風習があります。段に飾るひな人形ではなくて、祓い人形(人型)に自分の身の汚れを載せて、川に流す御祓いの行事でもあったわけです。
古来、それは最初の「上巳」の日に行われて、上巳節会と言われて来ました。巳とは十二支で「蛇」を当てます。邪の道は蛇と言いますが、「邪」を流すわけです。
どうして、それが「桃」の節句にするかとなりますと、桃の意味には新しい魂に誂えるがあります。これは前に桃の話しで述べましたが、「兆」の字を見れば解るでしょう。桃も誂えも「兆」がつくからです。これまでの身の汚れを流して、新しい身で新しく生きるという意味合いです。
現在でも霊能者の元に行けば、祟っている邪を自分の名前を書いた紙の人型に封じ込めて、その川流しを言われる方があるでしょう。ただ、この川流しは公害の観点から禁じられている面もあります。
明治時代に大本教と呼ばれる宗教が起きまして、その大本教神諭に明治五十五年の三月三日と五月五日はよき日かなとありまして、すなわち、この日が立替日だとなって、後に日本の心霊主義運動の父と呼ばれる大本教幹部淺野和三郎文学博士がその大運動の指揮をされたわけです。だが、その時には何も起きなかったわけです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、このことに関して「三月三日の桃の花。五月五日は桃の実」と残しておられます。三月三日の桃の花は、誰でも解ります。しかし、五月五日の桃の実には?となります。
私達が持っている今の魂では永遠性がありません。弥勒の世とは永遠の世となります。為には、今の魂から新しい魂に誂える必要があります。そうしなれば、悪鬼退治の桃太郎さんが産まれて来ないのです。
その大本教さんでは2月3日の節分の夜に、全国の信者や協賛者から送られた紙の人型流しを大々的に執り行っておられますね。
大本教神諭では、明治五十五年の三月三日と五月五日はよき日かなとされましたが、西暦2012年は大本教開教120年で、西暦2012年の三月三日と五月五日はよき日かなでしょう。
いよいよ神の「桃の花」が咲いたようです。みろくの世に渡る人達の魂が誂えとなる始まりです。
三千世界、一度に開く梅の花で説かれたことは、梅(魂)の種の中には天神様たる種が眠っているの意味合いです。桃の花は、みろくの世に行く為の新しい魂に誂えられるの意味なのです。
私は修業時代に西王母と呼ばれる女神の宮殿で拝謁した時、桃の実が頂けるものだと思っていましたが、頭を撫でてもらっただけで桃の実が頂けませんでした。その時は?で終わってしまいましたが、時々ある能舞の光景が見えて来ることがあります。それは能の「西王母」の能面を被っておられる女神が舞っておられる光景。
いよいよ「桃の実」が実れば、黄泉の国と神の御国の境、比良坂となります。

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