前回のブログ記事に関しまして、憑依の件でメールで質問が来ましたので、少しお話をしたいと思います。
人には必ず守護霊さんが存在します。この守護霊さんは神から命令されて守護として役に就いておられます。この存在が居られないといことはないのです。この存在は、霊能者の故宜保愛子さんが言われていた自分の亡き親とか兄弟とか愛犬とか愛猫が守護していると言われていた存在のことではありません。正式に任命されている存在です。
もし、その守護霊さんが居られなければ本人の行動に呆れ果てて、職務遂行を放棄されたかです。しかし、職放棄は後でその守護霊さん自身が罰せられることになります。それよりも、その守護霊さんの力が弱くて見えないわけです。それとも本人の我があまりにも強くて、知らぬ顔でそっぽを向いておられるかです。
私が2番目の師匠の元でサニワをしている時、この守護霊さんから聞くことが一番正しい情報を得ることが出来たのですが、その守護霊さんを表に出すことがかなり難しいのです。それは、その守護霊さんに出て来て貰う前に、その人に憑依している霊を剥がさないといけないからです。人には一体の守護霊さんが居るのではなくて、少なくても数体の憑依霊が居ます。多い方だとかなりの霊の憑依があります。だが、それに本人がほとんどの場合気付いていないのです。
この憑依霊が守護霊さんを表に出すことを妨害するのです。それはその守護霊さんの力が弱いということでもあるのです。守護霊さんそのものが、その肉体の憑依霊より力が強いと、その憑依霊を排除できるわけです。
霊能者・江原啓之さんのテレビのオーラの泉が人気を得ていました。その番組の中で、俳優の宇梶さんがゲストの時、宇梶さんに憑依している無数の霊の攻撃で江原啓之さんがフラフラになり、慌てて横に居た美輪明宏さんが江原啓之さんに対して九字切りの除霊をされたことがありました。
宇梶さんの守護霊さんを表に出す前に、宇梶さんに憑依している霊の攻撃を受けてしまったわけです。江原啓之さんは霊視霊能者としてそれなりの力があります。だが憑依霊の数が数十体あったので処理出来なかったわけです。美輪明宏さんは実力的には江原啓之さん以上にあるはずなのです。一方、一面で言いますと、これほど霊能力があっても大量の霊的浄化能力が備わっていないことにもなります。
プログの世界ですと、まるで簡単に浄化するようなことを言われるスピリチュアルの方達が多いですが、実戦となるとそんな簡単な話ではないのです。かって、霊能者下ヨシ子さんの名を世に知らしめた岐阜の共同住宅のポルターガイスト現象。あの場所に全国から我こそはと思う多くの霊能者や行者の人が行かれましたが、そうした方々では鎮まらなかったのです。
サニワをしている時、最初に出て来るのは憑依霊です。無論、本人に憑依しているのですから本人のことを知っています。そこで、終わってしまいますと事の本質が見えないのです。その憑依霊を出すと、次の憑依霊が出て来ます。そうやって各憑依霊と話していると、どうも話しが食い違って来るのです。憑依している霊にも各々の主観がありますから、どうしても自分の想いからものを言うわけです。最後に出せるのが守護霊さんなので、霊能者だから守護霊さんが解るというものでもないのです。
しかし守護霊の定義がかなり曖昧なので、その人に憑依している強い霊があれば、それが守護霊だと言われてしまいますと、それもそうとは言えるわけです。
仏教では「本我・真我」を言います。本当の自分です。だが、その本当の自分に辿り着くのやっかいなわけです。それは、本当の自分の周囲を無数の憑依している霊が存在することで、その憑依している霊の想いが自分の意識に合流している為に、本来の自分とは違う想念の元で動いてしまうことになります。
よく「気付き」が言われますが、何かの「気付き」を得た時、それまで自分が思っていたことから離れることが出来ます。それは、間違った想念を植え付けていた憑依している存在が離れて行くことでもあるのです。
学ぶことによって、自分がどんどん変わって行く。昨日の自分は今日の自分では無いということが起きて来ます。それは、自分に憑依していた存在が消えて行くことです。そして、守護をして下さっていた方も、より上位の守護神様にと切替って行くわけです。自分が上がることで正守護神、本守護神の段階にと進んで行くことになります。
今流行のスピリチュアルを標榜する人達は、三次元意識を捨てましょう。低次元の意識は捨てましょう。そうすれば、貴方は高次元だと説いておられます。確かに、そのこと自体は嘘ではないでしょう。
しかし、
三次元意識や低次元意識を捨てるとは、仏教で説く「本我・真我」の域に達することです。これまでどれだけの人がその自己の「本我・真我」に達する為に努力をして来られたでしょうか?。
それが、単なる言葉で三次元意識を捨てましょう。低次元意識は捨てましょうの教えで、達成出来るのでしょうか?。捨てることが可能でしょうか?。その意識を捨てるということは、自己に憑依している存在を浄化しなければならないということなのです。で、スピリチュアルを標榜している人達の波動で、そうした憑依霊がいとも簡単に浄化されているのでしょうか?。
スピリチュアルという言葉をこの日本で言い出して流行らせたのは自分だと江原啓之さんが言っておられます。その江原啓之さんでも、テレビという公の場で俳優宇梶さんの憑依霊に負けられたのです。その時のテレビを見ていた人は、その光景を見たはずなのです。
仏教で「無我」が説かれますが、無我は自己を消滅させますので、輪廻転生も喜怒哀楽も悩みもありませんが、存在していても存在していない状態となります。それは生きている意味から離れます。
私達がは生きるという意味は「自我」があるからなのです。大本教神諭に「
自我が有ってもいけないし。自我が無くてもいけない」とあります。自己という自我を保持しながら、他の方の自我とぶつからないようにすることが大切なのです。そうして行きますと、自分に憑依している存在も離れて行くことになるのです。
三次元意識を捨てれば高次元意識(本我・真我)に成ると言うのは、そんな言葉で言うほど簡単な論理ではないのです。

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