前回に引き続き、Monday Morning Expressの松本謙一氏インタビュー4回目です。

 

松本謙一氏インタビュー 第4回

マンデーモーニングエクスプレス セッション4 エピソード8 2018年10月22日公開より 12:08から)

 

ダン:すごく初期のブラストロリーの写真をお持ちいただいた。ちょっと説明していただけますか?

 

松本:インターアーバンです。現存する、日本最古のHOモデルです。中尾豊さんが作った。彼は1946年に創刊されたホビー雑誌の編集者です。彼は仏像を彫るアーティストでもあって、美術大学で彫刻を学びました。彼のスキルは素晴らしく、インターアーバンは1946年に作られました。中尾さんから聞いたのですが、鉄道模型社をたびたび訪れていた1人のGI将校から設計図を受け取り、それによってこの美しいインターアーバンを作ることができたそうです。OスケールとHOスケールの両方を作り、OスケールのモデルはそのGIに進呈した。そのGIは模型を米国に持ち帰ったそうなので、今もこのHOモデルと同じOスケールモデルが、米国のどこかにあるかもしれません。中尾さんによると、当時、ほとんどの日本人モデラーはOスケールをやっていて、このインターアーバンはHOスケールのブラスモデルのトライアルだった。だから彼は、これが現存する日本で最古のHOブラスだろうと言っていました。亡くなる前、彼は私にこのモデルを贈ってくれました。これは日本のブラスモデルの歴史そのものです。彼は昨年、93歳で亡くなりました。彼のスキルは素晴らしかった。

 

(訳者注:こちらの写真はBrasstrains.comのYouTubeからお借りしました。皆様ご存じのD&GRNで松本謙一さんが撮影したものです。すごい模型ですよね。なお、松本さんには写真のブログ掲載について、事前にご了解をいただきました。松本さん、ありがとうございました)。

 

ダン:彼はインターアーバンの後、他のモデルも作り続けたのですか?

 

松本:ええ、ただし主に日本型でした。インターアーバンの写真をみるとわかるように、窓は整然とカットされ、正面の構造もニートです。もし彼がプロのビルダーになっていたら、トップ中のトップの1人になっていたでしょう。

 

 

ダン:GI達がこれらの鉄道模型を注文したとき、日本のビルダーは、アメリカ人が趣味に使うお金の額の大きさに驚いたのでは?

 

松本:例えば、当時のHOスケールのモデルは一般の日本人には非常に高価なものでした。

 

フレッド:ただし、円はそれほど高くなかったので、GIにとっては高いものではなかった。

 

松本:ええ。1,000円は一般的労働者の1か月の給与です。大量生産のダイキャストモデルでも、1か月分の給与でした。

 

フレッド:私は35,000円のGI(?)キャブフォワードを持っていますが、当時それは35ドルだった。1960年代の35ドルは高額だが、GIが買えない額ではなかった。月に75ドルをもらってたから。

 

 

松本:天賞堂は非常に特別なホビーショップだった。ほとんどの顧客は日本人ではなく、GIオフィサーか、米国のビジネスマンでした。

 

フレッド:お金がかかるから、奥さんを連れて行ってはいけない場所だった。沢山の宝石を売っていたから(笑)。

 

松本:われわれの世代は、当時の天賞堂の思い出をよく語り合います。全ての少年は「もし天賞堂に行くなら、いい服に着替えなさい」と母親に言われたものです。

 

 

フレッド:多くのアメリカ人は天賞堂は3階までと思っているだろうが、実は4階がある。日本人が行かなければならない、中古モデル売り場だ。デイブと私は晩年にとうとう4階に行きました。

 

松本:いつかは天賞堂のブラスモデルを持ちたい、というのが少年達の夢でした。

 

フレッド:ショップのオーナーの新本さんは非常にやさしい人だった。

 

ダン:彼はもちろん鉄道模型を愛していた。

 

松本:ええ。私は、天賞堂だけは、工場をみることができました。なぜなら私は天賞堂の歴史で最年少の顧客だったので(笑)。なにせ1歳のときから行っているから、天賞堂の人は皆、私のことを知っていました。1度、工場を訪問したことがありますが、私はそれが許された唯一のアマチュアホビイストだったと思います。当時、彼らはグレートノーザン/ノーザンパシフィックのZ6を作っていました。ハンダ付けや塗装作業を見ました。

 

フレッド:トップシークレットをみたわけですね。

 

松本:ええ。

 

(最終回に続きます)

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