(その3の続きです)
 
流通に関するPFMのポリシーは、決してモデルの前受金を受け取らないことでした。ディーラーは「義務のない」予約を行ないます。モデルが準備できると、われわれは彼らに予約カードを返送し、この時点でディーラーはそのモデルを買うか買わないかを決定できました。ユナイテッドの工場の製造プランは、常に、月に2台のロコを製造するもので、生産数量はそれぞれ300500台でした。
 
ビル・ライアンはジョン・アンダーソンに、PFMモデルのロストワックスパーツを提供するため、カリフォルニア州フレスノにカルスケール社を設立することを勧めました。ジョン・アンダーソンは優れた原型をつくる、傑出したアーティストだったのです。こうして出来たキャスティングは、さらにPFMモデルの質を向上させました。加えてこれらのパーツの多くは、カルスケール社のパーツラインの基盤となりました。
 
ユナイテッドのモデルは、よくデザインされ、細かいディーティルを持ち、きっちり組み立てられていました。唯一の問題は、日本における毎年の、急激な賃金上昇でした。日本における賃金上昇は米国のそれよりもはるかに速いペースだったので、モデルの価格がPFMの多くの顧客の購買能力を超えるリスクがあり、ユナイテッドとの難しい交渉が何度も持たれました。
 
IBMからきた電気技師のボブ・ロングネッカーは、音響技師であるハ-ブ・ショーディエールと協働し、PFMサウンドシステムを開発しました。PFMサウンドシステムの特許は、音を電気的につくるという、オルガンのハモンド社が持つ特許に非常に近いものでした。PFMの基本的な特許は、固定された音源から、動いている列車に、レールを通じて音を送る、というものです。1971年にボブ・ロングネッカーはフルタイムでPFMで働くために西部に移ってきました。
 
モデルレイルローダー1972年4月号に掲載された、初代のPFMサウンドシステム。背後に写っている重連のロコは、「PFMサウンドスペシャル」と呼ばれるロコで、ユナイテッドによるフリスコのデカポットにスピーカーを搭載し、天賞堂が塗装したもの。200台が製作され、デモンストレーションのために小売店に貸与されました。
イメージ 1
 
 
 
PFMは1973年に出版部門をつくります。最初の本は「ライド・ザ・サンディリバー」でした。1975年に、有名な鉄道アーディストであるマイク・ピアゾールがニューヨークから移ってきて、PFMの出版部門を担当しました。
 
 
 
モデルレイルローダー誌1974年1月号に掲載された、「ライド・ザ・サンディリバー」の広告です。
イメージ 2
 
 
 
1976年、PFMは、ロストワックスパーツ製作のために、兄弟会社であるプレシジョン・インベストメント・アソシエーツ社(PIA)を設立します。PIAの工場には12人ほどの従業員がおり、その後、第2世代のサウンドシステムを製造しました。第1世代のマークIIサウンドシステムは日本で作られていたのです。
 
モデルレイルローダー誌1982年5月号の、サウンドシステムIIの広告。PIA社での製造の様子が掲載されています。サウンドシステムIIには、4トラックのエンドレスカセットテープが3本同時に再生できる、Quadratape 3と称する再生専用テープレコーダーが用意されており、合計12種類の効果音が機関車に送り込めました。本体はスイッチの操作で1,000通り以上の汽笛音が設定できるなど、いわば高性能アナログシンセサイザーで、デジタルの登場までは他の追従を全く許さない、モンスターマシンでした。今でもYoutubeで検索すると、個人が収録したデモ動画がご覧いただけます。
イメージ 3
 
このころまでに、ロストワックスメーカーは、1つの原型から複数のモールドを作るのに、ゴムを使っていました。ゴムは300度の高温で強い圧力をかけることで硬化させます。オリジナルの、非常に貴重な原型は、これらの温度と圧力に耐えねばならないのです。われわれはモールドの材料として、室温で硬化するシリコンを使う方法を開発しました。圧力をかけるのではなく、真空吸引を行ないます。これによって、原型は、モールドの形成過程でダメージを受けることがなくなり、実質上どんな材料からでも作れるようになりました。
 
この新手法は、まず最初、キャブ・インテリアに必要な多数のキャスティングを製造するのに用いられました。1970年代から、われわれはPFMモデルにキャブ・インテリアをつけることのできるサイズのモーターを使うことを心がけてきたのです。
 
ユナイテッドの工場から順調に送られてくる高品質モデルに加えて、天賞堂とフジヤマは日本からくるPFMモデルの供給元として、高い貢献を果たしてきました。他のサプライヤーとしては、もともと小規模で、天賞堂の下請けであったゴトー、そして天賞堂の半独立の下請けで、日本型モデルを得意としていたアダチがありました。両社とも、高品質メーカーとしてPFMのモデルプログラムに加わりました。
 
1979年発行のPFM第14版カタログより。ユナイテッドのGNテンホイーラー(上)、フジヤマのA&LMテンホイーラー(下)に挟まれて、アダチによるリオグランデのテンホイーラーが掲載されています。ユナイテッドとフジヤマのロゴは出ているのに、アダチロゴの表示はありません。ちなみに、この第14版カタログは、前年に創立25周年を迎えたPFMの歴代カタログの中でも最も分厚く豪華なもので、プレス・アイゼンバーン・コレクションとして、われらが松本謙一氏の塗装による素晴らしいロコが多数掲載されています。このページでは、上と下のモデルがそれにあたります。
イメージ 4
 
(その5に続きます)

 

AD