1978年、パシフィック・ファースト・メール社は創立25周年を迎えます。華やかな25周年ロゴがつくられ「Pacific Fast Mail…25 Years of Fine Models」という本(貴兄の書棚にも必ずありますよね)が出版されます。翌年には多彩な製品がオールカラーで掲載された豪華な第14版カタログが発売されます。ページ数は過去最大の60ページに及びます。
ところが皮肉なことに、この時期は、70年代初頭から加速した日本の人件費高騰と空前の円高により「多彩な日本製高品質モデルをファンが購買可能な価格で揃えて、全国の小売店ネットワークを通じて販売する」という同社のビジネスモデルがほぼ破綻した時期と重なります。為替だけをみても1971年のニクソンショックで1ドル360円が308円になり、その後変動相場に移行して290円程度で推移していたものが、78年には180円まで急落しています。人件費と為替によるコストアップが小売価格に転嫁されて、ブラスモデルの価格は高騰してしまいました。
以前のブログでご紹介した「ドン・ドリュー回顧録」にあるように、PFMは小売店に見込み購買数量を出してもらい、それに基づいて日本への発注・輸入を行なっていました。カタログにはたくさんのモデルが掲載されていますから、各種在庫も相当量を保有していたはずです。小売価格の高騰により、小売店が店頭用の在庫を持たなくなり、これが消費者のさらなるブラス離れを招く、そうなるとますます小売店からの注文が減る、という負のスパイラルによって、70年代後半、PFMは大量の在庫を抱えてしまいました。輸入時にビルダーへの支払いは済ませていますし、保税倉庫で眠らさない限りは、関税も払っているでしょう。高価な商品ですから、お金がまわるはずがありません。
これは1979年1月に、ドン・ドリュー氏が全国のディーラー(小売店)に出した手紙です。Brasstrains.comの無料ビデオ、「マンデーモーニング・エクスプレス」のシーズン1、エピソード14でも紹介された内容ですが、当時のブラスモデルを取り巻く状況とPFMの窮状が生々しく書かれています。
例によって、この手紙を全訳してみましょう。素人の翻訳ですから、細かい間違いがあるかもしれません。どうか優しくご指摘下さいませ。
1979年1月
親愛なるPFMディーラーの皆様
皆様ご認識の通り、今日のブラスモデル市場は、数年前に比べると健全ではありません。これは一連の出来事によります。
まず1つ目に、1965年から1975年に、日本の賃金上昇は、米国の賃金上昇率を遥かに超えました。
2つ目に、70年代初期のドル切り下げは、インポーターが一定量の円を買うために必要なドルが常に増え続けるという苦しい環境を招きました。この状況は1978年中の激しいドル下落で、さらに悪化しました。
3つ目に、韓国が生産能力を築き、市場が購買可能なモデルの量をはるかに超える量を生産しています。
4つ目に、新しいブラスインポーターが続々と設立され、ありとあらゆるプロトタイプを提供することで、一般の鉄道模型愛好家の選択肢が非常に多くなっており、コレクターもこれについていけなくなってきています。
これらの要因についての詳細は、同封した「ブラスモデル市場の変化」と題する別紙にあります。さらに情報が必要なディーラー様はこちらをご覧ください。お客様への説明にもご利用いただけると思います。
以前からのPFMのポリシーは、ディーラーの予約リクエストで示された品種と数量に基づいて、それらのモデル(新製品と再生産品)をつくるというものでした。モデルが到着した時点での予約の減少(欠減)率は、常に予測可能でした。しかし、1976年以降、ディーラーが予約を引き取らないケースが大幅に増え、PFMの強制力がない予約システムは機能しなくなってしまいました。その結果、PFMの在庫は徐々に増え、多種に渡るモデルの大量在庫を持つに至りました。
最近、いくつかのインポーターが直売(訳者注:「消費者」への直売)を始めることをアナウンスしています。さらに、いくつかのディーラーから、PFMも同様に直売を始める、という噂があると聞きました。しかし、これは事実ではありません。
以下の理由から、PFMはこのカテゴリーでの直売はありえないと考えています。
l ディーラーがすでに常連客に提供している小売価格を下回って、お客様が得ることのできる値引き幅は、あったとしてもごくわずかです。
l 追加の広告や管理コストが必要となるため、価格を、現在のディーラーへのネット価格よりも引き上げなければなりません。
l お客様は、お買い求めの前に、モデルをみることも、触れることも、テストランさせることもできません。
l 常連のお客様がなじみのディーラーから享受している、さまざまな非公式の形での「取り置き」ができなくなります。
l PFMは素晴らしいディーラーネットワークによるサポートを失いたくありません。なぜなら、ディーラーのレベルで、モデルに関するお客様の問題をすみやかに解決するような「第一次防御」がなくなってしまうからです。
l PFMは常に、健全な鉄道模型産業の基礎となる、近隣のホビーショップ、というコンセプトをサポートしてきました。
直売によってディーラーは、ブラスロコ販売による利益を失うばかりでなく、お店でブラスロコを扱うことによる間接的なメリットも失うことになります。よくできたブラスロコの品質と職人技は、どんなお客様に対しても、つまり彼がブラスロコの購入者であろうがなかろうが、よきインスピレーションを与えます。ブラスロコは、ディーラーにおける他の鉄道模型商品の売上にも寄与するのです。
さて、われわれには2つの問題があります。
l われわれの予約システムはもはや機能していません
l 大量の在庫を持っています
解決方法をみつけるために、皆様の助けが必要です。
PFMの予約システムには改良が必要です。近日中に、将来のモデルプログラムについて、PFMディーラーの皆様と協働する新しいポリシーを発表します。これに関して、われわれは、皆様のニーズに合致して、なおかつ達成可能な、現実的な生産数量がどんなものか、皆様のご意見をおうかがいしたいと思います。皆様のご意見のための返送用フォームを同封します。
当方に積みあがった在庫をクリアするために、われわれは、PFMディーラー向けに、古い在庫モデルの大幅な値引きのお知らせを同封しています。PFMのディーラー向けスペシャルセール価格は、1979年2月28日まで有効で、それ以降、全ての旧在庫は現在のディーラー標準ネット価格から12.5%の値上げとなります。
PFMのスペシャルディーラーセールはPFMの多彩なモデルを非常にお得な価格でお買い求めいただけるチャンスです。多くはわれわれの原価を下回る価格です。これらの素晴らしいモデルが皆様のお店に並べば、われわれの倉庫に眠っているよりも、お客様にお買い求めいただくチャンスがずっと高くなります。
皆様の変わらぬサポートに感謝します。高品質でよく売れるブラスモデルの興味深いセレクションを提供するために、今後も皆様と働くことを楽しみにしています。
ドナルド・H・ドリュー
パシフィック・ファースト・メール
自由競争経済ですから、新たなインポーターが設立されて、彼らが自らの努力で韓国生産によるさまざまなモデルを輸入することは何ら責められることではありません。このあたり、切羽詰ったドン・ドリュー氏による八つ当たりの感もあります。ただし、自らの窮状を訴えるだけでなく、鉄道模型業界全体の将来を憂う氏の気持ちには、胸を打つものがあります。
さて、小売店に買ってもらった在庫を、さらに消費者に買ってもらうために(いわゆる小売り前出し促進ですね)実施したのが、1979年4月の雑誌広告です。同社はモデルレイルローダーとクラフトマン誌の裏表紙に、21年間に渡って広告を実施しており、しかも、回顧録でドン・ドリュー氏が胸を張っているように、同じ広告を2度と実施しないというポリシーを貫いていて、同じ月でも両誌では違う広告が実施されています。ところが、1979年4月の両誌の広告は、同じものなのです。あまりにも悲しい広告で、違ったものをつくるのがつらかった、と考えるのは、こちらの深読みしすぎでしょうか。ともあれ、こちらがモデルレイルローダー誌の広告です。当然以前ご紹介したクラフトマン誌と同じ内容ですが、一応別途スキャンしました。
「あなたのフレンドリーなPFMディーラーが、これらのファインモデルを特別価格でご提供中です。数に限りがあるかもしれません。ぜひお店にお問い合わせ下さい」とあります。
広告には同社の70年代モデルがずらりと並んで壮観です。小生が米国型ブラスに興味を持った90年代初頭は、まだインターネットなんぞない時代だったので、MR旧号のこの広告を、じっとり、ねっとり、ため息をつきながら眺めたものです。
なお、右下には、冒頭に記した第14版カタログが紹介されています。フルカラーの豪華カタログの発行告知が、在庫処分の広告と並んでいるのが、何とも悲しいです。ちなみに、長年続いたこのカタログは、次の1983年発行の第15版カタログで最後となります。ボリュームも14版の60ページから24ページに減ってしまいました。
こちらはMRの同じ号に掲載された、ハイカントリー・ブラス、というデンバーにあったブラスに力をいれているお店の広告です。
「おそらくこれまでで最も傑出したブラス特売」とあって、PFMの未使用の最新ロット製品が並んでおり、実際の店頭価格がどの程度だったかが、わかります。どれもピカピカの70年代レイト・モデルですから、「タイムマシンがあったらこの時代に戻って全部買いたい」というご同輩も多いのでは? もっとも1979年4月の為替レートはカーターショックで少し円安に振れて、1ドル216円ですから、今のように100をかけて円価を算出するわけにはいかないのですが。
PFM以外のインポーターをみると、ウエストサイドやカスタムブラスといった老舗に混ざって、キーインポーツ、オーバーランド、サンセットといった新興のブラスインポーターが、さまざまな韓国製モデルを市場に送り出しているのがみてとれます。ドン・ドリューさんの目には、彼らが市場に過剰供給をもたらす元凶として、いまいましくみえたのでしょうね。
こちらはマイアミにあった老舗模型店オレンジブロッサムホビーの広告です。通常は中古品の広告がメインですが、この号は「スーパーセール」として未使用のPFM製品が並んでいます。
80年代になると、ブラスの生産地は一挙に韓国に移管し、日本からのブラス輸出は激減します。そして、最後まで日本製の品質にこだわったPFMは静かにその終焉を迎えます。70年代中頃には30人いたPFMの従業員は、2003年にはドン・ドリューさん1人になってしまい、氏は2007年に亡くなるまで、顧客サービスに務めました。
なぜPFMのビジネスが立ち行かなくなったのか、なぜ韓国製造を積極的に進めなかったのか、そのあたりは、回を改めて考察してみたいと思います。
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