アート・オブ・ブラス1巻の裏表紙には、本を紹介する英語の文章(梗概文というのですね。恥ずかしながら知りませんでした)が掲載されており、あと、カバー袖に筆者紹介があります。中途半端に終えるのは何となく心地が悪かったので、この2つも日本語にしました。なお、ブログへの掲載については、エリエイ代表の平井憲太郎様(皆様ご存知の、日本を代表する鉄道人のお一人ですね)に了解を得ました。平井様、本当にありがとうございました。
平井氏によると、この2つの文章とも、熊田氏から提供を受けたものだそうです。どちらもこなれた英文ですが、熊田氏が書いたものとは明らかに文体が違うし、ロコモーティブの語源など、日本人がちょっと書きそうにないことが書いてあるので、熊田氏本人が書いたものではなく、誰か知人のネイティブに書いてもらったものではないかと推察します。たくさんのインポーターと取り引きしていた熊田氏ですから、依頼できる相手には事欠かなかったのではないでしょうか。
それにしても翻訳というのは難しいですね。今回の紹介文は、ある程度一般的なことが書いてあるので、自分の言葉を使って日本語で書いてしまうこともできるのですが、さすがにオリジナルに書いてある内容を一部でも無視してしまうのはNGでしょう。結果として、なんだか読みにくい日本語になってしまいました。大学入試だったら、あまりいい点がつかないかも。またまた弁解ですが、素人の訳、ということで、何とぞご容赦下さい。
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(以下、日本語訳です)
アート・オブ・ブラスについて
歴史を通じて、人類は子供たちを喜ばすための玩具として、交通手段のミニチュアをつくってきました。しかしながら、「鉄道の時代」が始まってすぐ登場した鉄道模型ほど、広く人気を博したものはないでしょう。「場所から場所へ移動する力を持つ機械」を意味する「機関車(loco-motive)」という新しい造語ができ、そのレプリカは、古い玩具を駆逐してしまいました。もはや引っ張ることを必要としない輸送機関が発明されたことは、輸送手段の驚くべき進化でした。子供達が何かの目に見えない力で動く、小さな列車に驚いたのと同様、それを作った大人達も魅了されました。こうして、子供と大人の両方を喜ばせる新しい趣味が生まれました。- 鉄道模型の世界です。
この新しい趣味は、最初のメーカー達の先駆的努力によって成長しました。米国では、すべての愛好家がライオネルやアメリカンフライヤーの鉄道模型を知っています。ドイツでは、メルクリンが同様のファンを持っていました。まもなく、他の鉄道模型メーカーの製品が登場し始め、第二次世界大戦の暗雲が形成される頃、新しいスケールのモデル、HOが紹介されました。
1フィートを3.5mmに正確に縮小するもので、サイズは本物の1/87、1,435mmの標準軌道がわずか16.5 mmへ。まさにガリバー旅行記のリリパット国へ行くような驚きの収縮です。第二次世界大戦が終わると、HOスケールの鉄道模型が好まれるようになり、あらゆるところの愛好家の心を掴みました。
もう1つ、戦後の進化が起こります。鉄道模型の市場、そして後年にはその輸出国となる日本の出現です。戦前にも日本には熱心な鉄道模型ファンがいましたが、その数が大きく増えたのです。彼らは、現在もそうですが、全アジアで最大のモデル愛好家グループでした。ファンの中には鉄道模型を作る人もいて、進駐軍にいたホビイスト達が、それらを買い始めました。日本にかくも優れた模型づくりの技能があることを発見したホビイスト達の驚きは、マルコ・ポーロがアジアを目にしたときの驚きにも似たものだったことでしょう。
日本人が独自に鉄道模型を作っていたことは驚くべきことではありません。日本にはミニチュア作りの伝統があり、小さな飾りものが古くから作られていました。さらに、輸出用の西洋式玩具も生産されていました。そしてまさに、海外に新しい市場がつくられつつありました。いくつかのメーカーが、目の当たりにする外国人愛好家への売上げから判断して、鉄道模型は儲かる輸出品になるかもしれないと考えたのです。
最初に海外からの注文が入り始めた50年代初めには、このビジネスがどれほど儲かるかわかりませんでした。しかし、需要は劇的に増加しました。今日、数十万台ものブラスモデルが米国、オーストラリア、西ヨーロッパ諸国および世界の他の国のホビイストによって大切にされています。まさに輸出業者たちの誇りとするところです。
ブラスモデルでこの第1巻に選ばれたクマタ貿易株式会社は、これらの先駆的なメーカーの1つでした。世界中の愛好家が、彼らの製品の品質と豊富な品揃えを評価しています。彼らのK.M.T.レーベルは、2フィートにおよぶOスケールの大型電気機関車から、2インチに満たないHOスケールのレールスピーダーまで、様々なモデルに見られます。彼らの様々なブラスモデルは1,000種を超え、さらに増え続けています。直接管理下にある2つの工場と、指定された下請け工場は、平均して2週間に1つの製品を生み出すことで、大量の注文に応えています。もはや製造されていない鉄道模型はコレクターズアイテムであり、仮に見つかったとしても、常に高値が付いています。
この本には、これらのレアモデルだけでなく、有名なK.M.Tラベルを持つ、多くの傑作ブラスモデルを掲載しました。各写真は明確に識別され、関連する製造データが記載されています。この「アート・オブ・ブラス第1巻」実現のため、われわれはクマタ貿易株式会社の全面的な協力を得ました。
われわれは、この本がすべての鉄道模型愛好家に歓迎されることを強く願っています。模型店、ホビイスト、コレクター、皆さんがどこに住んでいても、この小さな精緻の世界が、人々の人生を豊かにすることは確かです。しかし、出版社として、私たちには一つの懸念があります。ここに掲載した栄光の鉄道模型は、読者の皆さんを、さらに熱心な収集に追い込むかもしれません。しかし、これが皆さんに喜びをもたらすならば、私たちは自身の有罪を認めようではありませんか。
著者について
クマタ貿易株式会社の社長である熊田晴一氏は、非常に競争の激しい鉄道模型製造の世界で成功したビジネスマンです。成功には、知性と確固たる決断力の独特のブレンドが必要ですが、一族が代々ビジネスを営んできたことも、プラスに働きます。熊田氏の場合、3つの要素が全て満たされています。彼は60年以上に渡って繊維を扱ってきた東京の商家の出身です。また、クマタ貿易株式会社の一部門は繊維を扱っており、一族の伝統が残っています。
彼の鉄道模型業界への関心は、鉄道模型へのかわらぬ情熱を持っていた少年時代に遡ります。大人になり、東京商科大学を卒業して初めての仕事は、運命が彼の将来を命じたが如く、大手輸出商社の玩具部門でした。そこから、鉄道模型製造関係のオーナーになるのは、論理的進展でした。輸出貿易を習得すると、彼は退社して自立し、1950年にニューワンモデルが製造する鉄道模型の輸出を始めました。その後、彼は他メーカーの製品も扱い始め、販売する製品の品質を保証するために、とうとう製造の分野に入りました。
あらゆる汽車好きとって、クマタ貿易と有名なK.M.T.ラベルは改めて紹介する必要のないものです。もしあなたがクマタ製品をよく知らなかったとしても、この本をパラパラとめくるだけでいいのです。1人の有能な経営者の下で、彼らが作り出したユニークな鉄道模型がここにあります。
本書はビジネスの領域における熊田氏の才能を視覚的に証明しているのですが、それとは別に、この本にはもう1つの驚きがあります。氏がこの本を紹介する序文に豊富に示した、氏のライターとしての才能です。文章は、鉄道模型の世界における、彼の人生の回顧録の形を取ります。成功を達成する意志を持って働くビジネスマンの率直なストーリーです。しかし、語りの中で、物事が最も暗く見えるときでも、私たちは著者の楽観主義に触れ、氏の絶え間ないユーモアを楽しむことができます。短い文章ではありますが、楽しい読み物です。ビジネスのプレッシャーによって、今まで熊田氏の文学的才能が開花していないのは何とも残念です。彼がすぐにでも再びペンを取り上げることを祈ろうではありませんか。
(日本語訳、以上)
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さて、熊田氏のお写真については、以前、「熊田晴一氏の名文を掲載いたします」の項に、古いBrass Modeler & Collector誌に出ていたものを無断借用して掲載しましたが、この度、熊田氏のお嬢様から、もう1枚の写真を提供いただきました。お隣にいるのはすでに故人となられた奥様で、お嬢様によると、「1975年から80年にかけて撮られたものだと思う」とのことでした。
シャングリラ鉄道博物館という金文字がでているものの、場所の完全特定には結構手間取ったのですが、ネットでやっと同じ場所の写真をみつけました。これは故・原信太郎氏の芦屋の自宅にある、シャングリラ鉄道博物館の、オリエント急行の客車を模した運転台ですね。この下に大型レイアウトが広がっていたはずです。一般には未公開の博物館ですから、熊田ご夫妻がシャングリラ鐡道にいるという、二重の意味で貴重な写真だと思います。お嬢様、無理をお願いしてしまって、すみません。貴重なお写真をご提供いただき、本当にありがとうございました。
さて、平井憲太郎氏によるとアート・オブ・ブラスについて「第1巻は熊田貿易にプロダクション・サンプルが残っており、それをベースに作ったため、模型集めの苦労は無く、リストの整理などが大きな仕事だったが、第2巻は一部を除いてメーカーサンプルの提供が無く(というか、ほとんどのメーカーがサンプルを残していなかった)、そのため松本謙一氏のコレクションを中心に構成したので、時間がかかった」とのことでした。
あと、「カツミは第3巻でという構想もあったのだが、母数が大きいだけにサンプルを集める事が難しく、結局出ずじまいだった」とのことです。日本を代表するビルダーの一つであるカツミが第2巻に出ていないのは不思議だなあ、と思っていたのですが、なるほど、そういう事情があったのですね。
あと、皆様ご想像のとおり、この本をとれいん側で主に担当したのは、松本謙一氏だそうです。これだけの模型の写真とデータを揃えて、きっちりレイアウトする、というのは、出版の素人である小生が考えても、とてつもない作業だと思います。しかも月刊誌をつくりながらの出版です。熊田氏にしても、松本氏にしても、ビジネスを越えた、模型への強い愛情と使命感がなければ、こんな凄い仕事、後世に残る仕事はできないだろうなあと、改めて感謝・感激する次第です。
さて、著作権の問題もあるので、一連の翻訳シリーズはこれでおしまいにします。お読みいただき、ありがとうごさいました。あとは小生の手によるお気楽な模型の話題に戻ります。
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