「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
私の子供の頃(昭和20年代から30年代頃です)、五島の大人たちは、世の終わりが近々来ると言って、聖めたローソク、聖めた水などを家に準備していた。
起源2000年前後に世の終わりはあると信じられていたから、大人たちが口々に言い合っていたのをごく自然なことだと思って聞いていた。
長崎に原子爆弾が落とされた時、永井隆博士はこれが世の終わりだと思って、空から天使がラッパを吹いて降りて来るのを待った。
しかし、いつまで経っても天使はやって来なかった。
私は昭和37年9月に、五島の福江大火で家が全焼し、その焼け跡に立って福江市の中心部が焼け野原になってしまったのを見て、世の終わりかと思った。
そのことを父母に言うと、父母は「なんの、明るかじゃん、世の終わりは暗闇になるとよ」と教えてくれた。
世が終わる時には、太陽は昇らず、暗闇の状態になると教えられ、それから朝になると明るいかどうかを気にした。
明るく陽の光が差していると、「いや、まだ世の終わりは来ん」と安心するのだった。
あれから60年以上経ち、今や、世の終わりがどうのとおしゃべりする人は少なくなってしまった。
私もいつしか世の終わりのことを口にすることもなくなった。
それは、毎朝、目が覚めると、雨が降っていても明るいからである。
明るいということは世の終わりではない、まだまだ希望があるというしるしだと最近では思っている。
神さまはどこにでも希望のしるしである太陽をあまねく輝かせてくださっているのだと。