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1943年11月27日、病院船「ぶゑのすあいれす丸」はラバウルとココポで傷病兵1,129名を乗せパラオに向かっていたが、B-24の爆撃を受けて沈没。別の米軍機は救命ボートで漂流していた生存者を機銃掃射で殺傷。患者65名、衛生班47名、船員40名、その他12名、従軍看護婦10名の計174名が死亡。本船は4月25日にも米潜水艦の雷撃を受け損傷していた。 本船は、1942年11月23日に外務省経由で病院船として連合国への通告が行われ、12月に入ってからスイス、スウェーデンおよびスペイン経由で連合国側に通告され受理されていた。沈没時のぶゑのすあいれす丸は、規定の標識に加え、アメリカ側の示唆に基づき追加の標識を数カ所掲げていた。
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