第2回伝説の記者の遺産いまも 権力にこびる「報道の自由」はありえない
ホワイトハウスの記者会見室は、最前列の中央が故ヘレン・トーマス記者の指定席だった。1920年に生まれ、ワシントンの新聞社で「コピーガール」と呼ばれた原稿運びの職を得た。通信社に記者として採用され、ケネディ政権のホワイトハウスを担当して以来、オバマ氏まで歴代10人の大統領を取材した。記者会見ではいつも最初の質問をまかされ、権力者に鋭く迫った。
2003年5月3日。国連が1993年の総会決議で「世界報道の自由の日」と定めたこの日、世界各地で殉職した記者の追悼式がワシントン近郊であった。殉職者の名を刻んだ碑の前でトーマスさんに声をかけると、「戦争で仲間がたくさん死んだ。コリアやベトナムではなく、第2次世界大戦だけど」と語った。
その16年前の5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で、目出し帽をかぶった何者かが散弾銃で29歳の小尻知博記者の命を奪った。トーマスさんに事件について説明し、目の前の碑に小尻さんの名が刻まれていると伝えると、「えっ、日本で」と言って顔をこわばらせた。
90歳を目前にホワイトハウスを去った彼女の指定席は、米国を代表する非営利メディアのAP通信が引き継いだ。その「スタイルブック(編集・用語の手引)」が広く使われているAP通信は、「メキシコ湾」から「アメリカ湾」への改称を拒み、大統領の執務室や専用機での取材から締め出された。
それを連邦地裁が「違憲」と判断すると、代表取材の通信社枠を撤廃。記者会見室の席順でも慣例を覆し、政権にこびるメディアを優遇したいようだ。
ある記者会見で「大統領の卓越した指導力」をたたえてから質問する記者がいた。ありえない。「報道の自由」は人々の知る権利と表裏一体。権力者へのへつらいとは微塵(みじん)も重ならない。
◇
世界の出来事を遠眼鏡(とおめがね)で読み解きます。香港、ワシントン、北京で特派員をつとめた坂尻信義・論説副主幹が執筆します。
「デジタル版を試してみたい!」というお客様にまずは1カ月間無料体験
- 【視点】
ホワイトハウスのヘレン・トーマス記者はとても有名な方でしたね。もう亡くなっていらしたんですね。2013年没だったそうです。 このような記者をホワイトハウスの記者会見場に置いていた、彼女が存在できたということ自体が米国の報道の自由の象徴のようでした。 トーマス記者が生きていたら、今回のトランプ政権下では席を維持できなかったかもしれません。AP通信が改称を要求された件は、米国の外から見ても、痛ましい感じがしました。 それにしても、大統領のひとことで、コロコロいろいろなことが決まっていく。これ自体がおかしいと思いませんか。多くの人は米国の報道の自由の行方を心配していると思います。
…続きを読む