これも散々言い古されて来た内容ですが、実際に出来ていないのが、この世に対する執着や未練を捨てるがあります。この世とは三次元世界です。物質世界のことです。四次元世界は誰でも死ねば行きますので、別にとやかく言う必要はありません。
仏教で説かれて来たのは、バラモン教では「輪廻転生」が説かれていましたが、輪廻転生から抜ける為のものです。しかし、輪廻転生を抜けるには【仏陀の悟り】が必要で有り、仏教徒だから輪廻転生を抜けられるではないわけです。悟りとは、書かれた書物を読んだから悟れるものでもないのです。
仏教では、説によって少し違いはありますが、お釈迦様の死後500年間は「正法(しょうほう)」の時代と呼び、成仏が出来る時と言ったのです。次の1000年間を「像法(ぞうぼう)」と呼び、仏法も修業する者も存在するけれども、悟りを開く者は無しとされた時代です。その後は末法(まっぽう)と呼ばれ、仏の教えのみ存在する時ですが、その像法が終わり末法に入ったとされる頃に出られたのが日連さんを初めとする名だたる仏教の宗派の開祖さん達です。
しかし、今は末法の時だということを意識されている僧達はあまりおられないようです。
私達はこの世に「裸(ラ)」で産まれて来ます。私達の魂の核たる部分は天帝の分魂で「ラ」で説きます。この状態のままであれば、魂に何の汚れも垢もついていないのです。
お釈迦様は、この世は「苦界」と説かれています。どうして、本来は裸で汚れが無い存在が、わざわざ苦界と呼ばれる様な世界に身を投じなければ行けなかったのでしょうか?。
この世は魂の修行の場。天人の苗床と言われて来たように、「天人」と成る為には必要な修学の場だからです。皆さんは、エンジェルと言えば幼児の様な存在を思い浮かべられるでしょう。確かに幼児型エンジェルには裸で恥ずかしいと言う意識は存在しません。汚れを知らない純粋のままにあるのです。だが、そのままでは魂の成長が難しいのです。天人には成りきれないのです。
この世は善と悪が混じり合った世界です。だからこそ、魂の修学の場として適しているのです。
悪とは何かを知らない善は善とは言えないのです。悪と呼ばれるものを学び終えてこそ、真の善を知ることが出来るのです。
私達はこの世の命を終えて、あの世に帰る時、霊魂となって帰ります。その時、この世は物質界であり、欲望が渦巻く世界です。この世の世界のことは、完全に切って渡らなければなりません。もしも、未練があればこの世に引きずられて、あの世に渡りきれないのです。
私が某掲示板の輪廻転生で論陣を張っている時、ある方から質問を受けました。自分の夢の中で亡き母親と居て、母親はここで別れます。自分は更なる上の世界に行く切符を貰いに行き、そのまま行きます。もう貴方と会うこともないでしょうから、自分のことはモウ忘れて下さいと言ったと言われるのです。この世に未練や執着があれば、更なる上のステージには上がれないからです。だから、自分がお腹を痛めて産んだ子であっても会えないから、お別れを言いに来られたわけです。
輪廻転生と呼ばれる中では、御先祖様もある程度の年月で生まれ変わってしまわれます。古い御先祖様で残っておられる方は神上がりをされたような存在か、まだ物質世界の意識に囚われておられるような御先祖さんです。全て上げておけば、もうこの世に対しては何の囚われも執着も要らないのです。
御先祖供養とは、自分を幸せにしてくださいとお願いすることではないのです。
御先祖様、皆様高い世界に進んでくださいと御供養するのです。
よく、スピリチュアル系の方が、アセンションに関して、この世(三次元)の意識は捨てなさい。そうすれば五次元に上がれますと説いておられます。四次元界はまだ三次元意識に囚われていますので、論理的には正しいのです。
しかし、この世で犯した罪は意識レベルを五次元に上げたからと言って、その罪が解消出来るではないのです。何故ならば、
五次元界では邪神が多数存在することでも解る様に、意識を上げたからと言って悪が消滅している世界ではないからです。
悪と呼ばれる魂の汚れを落とさないと、七次元以上は難しいと言えます。五次元ではその罪は持ち込むのです。だから、そうしたスピリチュアルの方達は善悪など関係無いと言っておられるわけだと思いますが?。違うかも知れません。
善悪の二元論がないのではなくて、未だ五次元段階では魂が磨き切れていないということなのです。
邪神に支配されている霊能者やスピリチュアルの人達が多数居られるのは、五次元界は物質的肉体に対する未練や執着は無くなっていても、善悪の問題では分けられてはいないということなのです。
何故、こうした注意をしておきますかと言いますと、一部のスピリチュアルの方達は、この世は楽しく遊んでいればいいのです。この世に幸せに成る為に産まれて来たのですからと言った教えをされています。何故にそうした教えをしているのか?。その背後の正体を説いている本人達も知っておられないからです。
別に来世も要らない。今の世を楽しく遊んで愉快に暮らせればそれで好いと言うことであれば、もうそれ以上に言う必要はないのです。永遠の命たる魂を失うだけの話しです。

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