人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

良心神の実践/道の真ん中を歩く

私のブログを見ている方から、良心が大切なことは解りました。実践的にどう考えるのか、どう行動するのか考えたいと言うメールを貰いました。これは、一人一人がどう考えるかという問題で、他人が押しつけ論ではないわけです。

各自の良心とは、自分が産まれた時代。自分が所属する国家で、良心と呼ばれるものの価値観が違います。特段の基準があるわけではないのです。
自分が置かれた時代や環境の中で、右にも寄らず、左にも寄らず、上にへつらうこなく、下に威張り散らすことがない「真ん中」の道を歩くことなのです。
仏教で「中道」の教えが説かれます。すなわち「中道」を歩くならば、産まれた時代や環境に関係無く、それが良心の基準となります。

大本教が起きた時、開祖の出口なおさんはその信徒達に「道の真ん中を歩け」と教えをされたそうです。すると、初期の大本教信徒は「そこのけ、そこのけ」で往来の真ん中を歩き、出口なお開祖は嘆かれたとあります。
「道の真ん中」を歩きなさいと教えたならば、往来の真ん中を歩くことだと錯覚の理解してしまう人達。それは別に今の世でも一緒なのです。その教えの表面を理解するのではなくて、その意味をくみ取ることが大切なのです。

されど、右にも寄らず、左にも寄らず、上にへつらうことなく、下に威張ることなく実践できたとしても、それだけでは単なる「善人」で止まってしまうのです。そこに弱者をいたわり、助ける精神が入りますと「愛善」と化します。愛善ともなれば、それが良心となるのです。
スピリチュアルを標榜している人達の中で、神は愛であり。何をしても神に許されますと平然と語っている人達が多数有ります。愛の意味を理解していないのです。何をしてもいいというのは【我れ好しの身勝手です】。

ベストセラーとなりました藤原正彦さん著の【国家の品格】の中で、藤原さんは「四つの愛」を説いておられます。まず、家族愛です、次に郷土愛です、それから「祖国愛」です。この三つが固まれば最後が「人類愛」です。とても素晴らしい教えだと思います。

私はある不思議な体験をしました。地元の低い山に上って行く時、その途中に旧帝国陸軍の軍人の姿をした者達が多数居るのです.皆、負傷兵です。痛々しい姿です。すると、南方戦線なのでしょか。椰子で屋根が葺かれた様な病舎に敵戦闘機が機銃掃射して、多くの負傷兵が戦死する光景です。その時に戦死された方達の霊の様です。その一体を指揮している青年将校が、私に向かって言ったのです。
自分達はこの美しい日本を愛した皇国の軍人です。自分達は日本が戦争に負けたことも知っています。靖国神社に英霊として祭ってもらってもいます。自分達の家族も私達を弔ってくれています。しかし、私達は死んでもこの美しい日本を守りたいのです。どうか、私達がこの日本の国に留まって守ることのお許しを願いますと言って来ました。
私は自分が神の世界で本当は如何なる立場の者かは知りません。私が子供の頃に臨んだ声は、そなたが本当は何者なのかは神々にも解らないようにしておくでした。ですから、どうして私にそうした許可を求めて来たのかはよく解りません。本当は霊界にきちんと送り、新しく生まれ変わって新しい人生を歩んでいただきたいが本当です。しかし、その熱い想いに思わず解りました。許可しますと言ってしまいました。
彼等は戦争に出ましたが家族を愛していたでしょう。当時の人達は皆さん郷土愛があったでしょう。そして、死しても祖国愛を言って来たのです。

愛は神から何をしても許されるものではなくて、自分が家族を愛し、郷土を愛し、祖国を愛する。だから、親を大切にし先祖も敬い、故郷の産土神氏神様を奉り、そして日本という国を守って来た。それは人に対し、自然に対し、神に対して「愛」を実践して来たのです。それを世界に広げた時、人類愛にと向かうわけです。
愛は受け取るものではなくて、与えるものなのです。神から受け取るものは「恵み」なのです。

だが、もはや本当の「愛」も消えつつあるのです。

精神世界

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